タワーレコード代表取締役社長・嶺脇育夫にひたすら好きなアイドルについて語ってもらう(不定期)連載。さくら学院ハロプロに続いて今回熱弁を振るうのは、先日ニュー・シングル“圧倒的なスタイル -NEGiBAND ver.-”をリリースし、NEGiBANDとまわるツアーの開催も決定したばかりの新潟発の3人組・Negiccoです! ご存知の方も多いかと思いますが、彼女たちはタワレコのアイドル・レーベルであるT-Palette Recordsの第1弾アーティスト。つまり、嶺脇社長にとって過去2回で取り上げた面々とはまた違った意味で縁も思い入れも深いアイドルということもあり、これまでとはちょっと異なる視点で愛情たっぷりに語ってくれました。10年以上に渡るキャリアのなかで数々の挫折を味わいながらも、夢の日本武道館でのワンマン公演を射程に入れるまでに成長したいまの彼女たちへの想い、そこには愛しかありません!!

 

恵まれていないと言いながらも、恵まれているかもしれない

――今回は、Negiccoが昨年12月26日にニュー・シングル“圧倒的なスタイル -NEGiBAND ver.-”がリリースされたということで、この機会にNegiccoについてお訊きしたいなと。NegiccoはT-Palette Records立ち上げのタイミングから所属しているグループですが、そこに至るお話から。

「これはいろんなところで話しているんだけど、もともとタワーレコードのディストリビューション事業部で何か新規事業的なことをやりたいという話があったんだよね。単に(商品を)仕入れて売るというCD卸業だけじゃなくて、レーベルをやりたいと。それまでにもそういう話はあったんだけど、僕はずっと〈絶対、大変だよ〉って言っていた。でも何回かそういう話があるなかで、〈仮に(アイドル・レーベルを)やるとしたら誰を出したいですか?〉と訊かれて。その頃、NegiccoはすごくいいのにCDをちゃんとリリースできていなかったりとか恵まれていない環境にあったから(笑)、彼女たちの楽曲をCDにして、タワーの店頭を使って紹介したら人気が出るんじゃないかなと思ったの。それで〈Negicco〉と言ったらスタッフが動いた(笑)! 僕の知らないところでね」

――水面下で動かれていたと。

「そうそう(笑)。〈(Negiccoのマネージャーと)会いましたよ~〉という話は聞いていたんだけどね。メンバーも東京に来て話していたみたいで、あとで彼女たちのインタヴューを読んだら、ただ挨拶に行くだけだと思っていたらしい。でも実は〈レーベルを立ち上げるので、ぜひ〉という話になっていて、始まったのかな。バニラビーンズもだいたい同じくらいのタイミングで話があったので、じゃあネギとバニビの2アーティストでレーベルを立ち上げましょうと。そう決まったのが2011年の2月くらいかな?」

NegiccoのT-Palette Recordsからの初リリース作となった2011年のミニ・アルバム『GET IT ON!』収録曲“GET IT ON!”  ライヴ映像

 

――Negiccoはどういうところにいちばんグッときたんですか?

「やっぱり曲だよね。2008年にPerfumeの〈GAME〉ツアーの大阪公演を観に行った時、そのツアーに新潟公演が入っていることをMCであ~ちゃんがしていて。そこで〈Negiccoって知っとる?〉って話になって、あ~ちゃんが〈ねぎねぎねぎっ娘♪〉って1フレーズ歌い出したの、ステージで!」

――へぇー。

「それでふと〈ああ、Negiccoっていたなぁ~〉と思い出して。昔、つんく♂さんがNHK『ポップジャム』の司会をやっていた頃に出てたなという記憶がうっすらあったから、〈ああ、Negiccoまだやってるんだ~〉と。その後にYouTubeで調べたら、“Summer Breeze”や“My Beautiful Life”なんかを新潟・古町の商店街やお祭りとかいろんなところでパフォーマンスしている動画がいっぱいあがっていて、いい曲だったから興味を持つようになった。Perfumeのファンの人たちがみんな〈Negiccoがイイ!〉と言っていたし。それが2008年の夏くらいかな?」

――その頃はまだライヴを観たことはなかったんですね。

「まだその時は行ってなかった。CD-Rをオフィシャルサイトで売っていたので、〈注文しようかな?〉くらいの感じだったんだよね。それで、2008年11月にあったPerfumeの初の武道館公演の、確か翌日に両国でNegiccoのライヴがあるというのをネット上で知って、行ってみたのが初めて。それが2マン・ライヴだったんだけど、対バンがまなみのりさっていうPerfumeの後輩にあたる広島アクターズスクール出身の3人組で。彼女たちのライヴも2008年頃は何度か観に行っていたし、好きなグループだったこともあって、よし観に行こうと」

まなみのりさの2015年のシングル“νポラリスAb”

 

――へぇ~。それでネギを振っていたんですね。

「いや、振ってないけど……。Perfumeの武道館公演の翌日だったこともあって、Negiccoは“スウィートドーナッツ”を、まなみのりさは“エレクトロワールド”をカヴァーしていたり、おもしろかったよ。そこからだね、始まりは」

――かれこれもう7年前ですね。

「でもその当時でNegiccoはすでに5年くらいキャリアはあったんだよね。それからライヴはちょくちょく観に行った。浅草ROXに〈まつり湯〉というスーパー銭湯みたいなところがあるんだけど、そこの宴会場でやったライヴがすっごく楽しくて。お風呂入って、浴衣着て、つまみを注文してビール呑みながら(笑)。写真撮り放題だし」

――ハハハ、エンジョイしていたんですね(笑)。そこでのライヴはどんな感じだったんですか?

「パソコンに繋いで音出しをしていたんだけど、音がよく止まっていたのね。それでその場を繋ぐためにNegiccoはネタをやったりしていた」

――ネタとはどういった?

Nao☆ちゃんとMeguちゃんがお笑い芸人さんのネタを真似したり。ザ・たっちの幽体離脱とかをやってたんだよ(笑)。ザ・たっちではピンとこなかったんだけど、Negiccoがやるとおもしろいなって(笑)。そういうハプニングにも臨機応変に対応できる、場馴れした感じにキャリアを感じて、より感情移入していったのかな。まつり湯はとにかく楽しかったの、だってアイドルを観ながらお酒が呑めるんだから。始めは後ろのほうで観ていたんだけど、何回か観に行っているうちに楽しくて前のほうで観るようになって、最終的には最前で観てたからね。しかも昼と夜の2回公演だったので、午前中から行ってお風呂入って1公演見て、また2公演目までの間に足つぼマッサージをやってもらったりお酒呑んだりして、結局夕方5時、6時くらいまでいた」

――楽しそう!

「2009年~2010年くらいまではそんな感じで、バーッてくっついて追っかけるっていうよりも、ポイントポイントで機会があれば意識して行くようにしてた。まつり湯に行くと、K-Popの流れで知り合った鈴木妄想さんとか、Negiccoを応援していた人とも会うようになったし」

――まつり湯では本当によくやっていたんですね。

「いや、年に1~2回くらいかな。パフォーマンスは全然いまのほうがいいと思うんだけど、場の温かさとconnieさんの書く曲が良かったよね。アキバにいるようなほかのアイドルとは違う雰囲気もあって」

Negiccoの2014年のシングル“光のシュプール”

 

――そしていまやTパレを代表するアイドルになっていますよね。

「なんだろ、Negiccoに関わるとみんなネギが好きになるんだよね。十何年もやっているのに、そんなキャリアをみじんも感じさせない初々しさが常にある(笑)。ここ1年くらいはそうでもないと思うけど、以前は例えば〈T-Palette感謝祭〉で吉田豪さんと僕とNegiccoでトークをしていても、3人がどんどんステージの後ろに下がっていくんだよね。〈前に出ろよ!〉って(笑)」

――それは……。

「自信がない感じなのかな? これまでに不運なことがいろいろあったから。吉田豪さんやバブルガム・ブラザーズブラザートムさんたちが審査員の勝ち抜き番組※1があって、優勝したらメジャー・デビュー、みたいな企画に出たんだけど、ここで勝ち抜けばデビューだっていう時に落とされちゃったんだよね。その時、審査員の1人に厳しいことを言われたから、ネギたちは〈自分たちで振付をやってるんです〉〈曲もファンが書いてくれてるんです〉と喰い下がって。審査員たちはNegiccoはどこかの芸能事務所に所属していると思っていたんだけど、実はそうじゃなくて自分たちだけでやっているんだと伝えたら、〈だったらもう1回チャンスをあげない?〉という話になって、結局最後まで勝ち抜くことができた。でも、優勝したらメジャー・デビューという話が、大人の事情で〈CDデビュー〉という形に話が変わってしまったんだよね。しかも彼女たちはもうCDを出していたから……。さらに、2010年にご当地アイドルのイヴェントで優勝したんだけど2、そのご褒美だったTV番組の1か月レギュラーが1週だけで終わっちゃったりとか――いろいろ実力で勝ち取ってチャンスを掴むんだけど、その後にグダグダっと潰されてしまうという挫折を何回も経験をしているんだよね、あの子たちは。だから自信を持ちたくても……」

※1:GyaO(現GYAO!)で配信していたアイドルの勝ち抜きオーディション番組「勝ち抜き!アイドル天国!!ヌキ天」
※2:ご当地アイドルNo.1を決定するイヴェント〈U.M.U AWARD〉の第1回

――それでも辞めずによくぞここまで来てくれました!という感じですよね、すごい精神力だなと。

「ファンが根強く支えてきたから。新潟のファンの人もいまだに応援してくれているしね。そういう意味では僕なんてまだ新参者ですよ……。それもあるし、やっぱりconnieさんがいたというのは大きいと思う。専属ではないとはいえ作詞/作曲家がいて、すごく良い曲を不定期だけど発表できる環境にあったというのは、恵まれていたなと思う」

――やはり〈良い曲〉の存在は大きかったんですね。

「connieさんはもともとモーニング娘。加護ちゃんが大好きで、新潟でJ-PopのDJイヴェントをやっていた人なんですよ。それで、新潟にご当地アイドルが登場するというのでNegiccoを観に行って、好きになった。そもそもはいちファンなの。当時Negiccoには1曲しかなかったから、自分で作った曲を歌ってくれたら嬉しいな……ってストックしていた曲を提供したのが最初」

――そのエピソードはインパクトありますよね。

「ファンが提供してくれるなんてねぇ。そういう意味では、恵まれていないと言いながらも、恵まれているかもしれない(笑)。connieさんや、いまのマネージャーさんが現れたり、要所要所でNegiccoを応援しよう、支えていこうという人たちが登場する」

――そうですね、運は持っている。

「まったく人気がなかったらそういうことにはならないだろうから。曲もない!とか」

――やっぱり曲の良さがすべてに繋がっていますよね。connieさんをはじめ、いまやさまざまなアーティストが参加して制作されていますが、どれもイイですもの。

「僕自身、まずNegiccoの何から触れたかと言うと、3人には申し訳ないけど間違いなくルックスではなく(笑)、曲だったので。やっぱり曲が好きになれないと、アイドルにも感情移入できないタイプだから。やっぱりconnieさんの書く曲が好き」

――またより広くNegiccoの名前が知られるにあたっては、西寺郷太さんが手掛けられた“愛のタワー・オブ・ラヴ”(2013年)を皮切りにさまざまなプロデューサー陣が関与するようになったことが大きかったのかなと思います。

Negiccoの2013年のシングル“愛のタワー・オブ・ラヴ”

 

「“愛のタワー・オブ・ラヴ”をリリースするまでに、結構時間が空いたのね。最初はconnieさんによる楽曲でずっとやっていきたいと思っていたから、別のクリエイターに頼んでいいものか、ちょっと悩んだのよ、僕としては。でも悩んでいてもしょうがないからconnieさんに相談したら、〈全然いいよ!〉と。connieさんなりのNegiccoのロード・マップも描かれているし、そういった意味で自分にあんまりこだわらなくても……と言ってくれて。それでいざ誰にお願いしようかとなった時に、僕もconnieさんも真っ先に思い浮かんだのは郷太さんだった。南波志帆ちゃんの“それでも言えないYOU & I”みたいな、郷太さんが書くガール・ポップの雰囲気はNegiccoに合うと思ったんだよね」

――その通りだと思います。

「タイトルにある〈タワー〉が、タワーレコードのタワーと、ジャケット写真に写っている新潟の万代シティにあるレインボータワーのタワーに掛かっているような感じもイイし、〈愛のタワーのぼるの 少しずつ 少しずつ〉といった歌詞が、少しずつ成長していくNegiccoのその後を予見するような内容だったりしてね。郷太さんにお願いしたというのはNegiccoにとってすごくエポックな出来事だったと思う。これをきっかけに、『Melody Palette』(2013年発表の初オリジナル・アルバム)の制作にあたって、次は小西康陽さんに頼もうということになったから」

――なるほど。そういった制作陣の人選を含めた作品のあれこれについては、どのように関わっているんですか?

「『Rice&Snow』(2014年発表の最新アルバム)は方向性が大きくブレなければ問題ないかな……ということで長くやっているA&Rに任せたんだけど、それまではそれなりに。2012年にリリースしたNegiccoのベスト盤(『Negicco 2003~2012 -BEST-』)を作った時は、Tパレに来て、それまでに何枚かシングルを出させてもらっていたので、いわゆるTパレ入りするまでの彼女たちをちゃんと表現して、一区切り付けたいなと思ったんだよね。あの時はまずメンバーに入れたい曲を選んでもらって、そのなかから僕が収録曲を選んで、メンバーとconnieさんとで曲順を考えた。で、次が『Melody Palette』か。あの作品のコンセプトなどは一通り僕が考えました。いまだに〈ネギ〉とか〈ローカル・アイドル〉といった目で見られるわけじゃない。Negiccoで新潟出身なわけだから間違いなくそうなんだけど(笑)、でも音楽的には洗練されたサウンドにすることで、それとのギャップを出したいと思ったの。それで、同じ3人組ということで(当時活動していた)Tomato n' Pineのプロデューサーをやっているジェーン・スーさんにアートワークを頼んだんだよね。Tomato n' Pineはオシャレで洗練されている感じがあったから」

Tomato n’ Pineの2013年のライヴDVD「The First and The Last Live DVD"POP SONG 4EVER~散開~"」ティーザー映像

 

――このアルバム、ジャケからして相当カワイイですよ。

「(メンバーの)肩を出していいかとジェーンさんから訊かれたので、あの子たちは肌の露出をあんまり好まないので、〈いや~嫌がるんじゃないですかね~〉と言っていたんだけど、ジェーンさんが言ったらすぐにOKが出た(笑)」

――アハハ、なるほど(笑)。

「僕から言ってたら絶対NGだっただろうな~(笑)」

――言う人が言えば……(笑)。

「そうそう、言う人が女性だとね」