血が騒ぐインストに挑み続ける孤高の表現者

 2013年円盤より謎めいたアーティストの処女作がリリースされた。プロフィールには映画美学校音楽講座に特別に入学を許可され、高校生にして某メジャーレコード会社のスタジオを自由に使わせて貰っていた謎の音楽家、とある。また実際鳴る音にそのプロフィールが負けるどころか、吹き飛ばしてしまう程の衝撃を受けた事を覚えている。この作品はそのあまりにも独自な音楽性に当時音楽マニアに高い評価を受けた。彼の才能は菊地成孔にも絶賛されている。そんな服部峻の初フル・アルバムが発表された。

HATTORI TAKASHI MOON NOBLE(2015)

 この作品は元々遠藤麻衣子監督による日仏合作映画『Technology』のサントラとして企画されたが、取材旅行で訪れたインドからインスパイアされ作られた楽曲も含む、サントラとオリジナルの狭間に立つ特異な作品となった。今回服部に語ってもらった中でも音楽とどの様に向き合っているのか?といった根幹に関する発言をピックアップし、彼の音楽を理解する一助となる様にしたい。服部の音楽は縦のライン(音響)も横のライン(コンポジション)も従来の持つ役割から飛翔し、その構成の歪さは触れる者を驚嘆させる。

 「インストは精神世界そのもの。自由に作って最初のイメージから脱線していく事もある。構成に関しては沢田マンション(高知にある素人が増築を重ね独自に建てた建物)の感じ。自分でもどうなるか分からないで作ってるし、その方が楽しいです」

 服部の音楽には歌が無い。インストでの表現についても尋ねてみた。「言葉が無いから、音楽そのもの、むき出しの自分を表現が出来る。歌では出来ない事がインストでは出来ると思います」

 そして、繰り返し1人である事の必然性を言葉にする。「メンバーが居ることで出来ない規制がある。曲がぐにゃぐにゃに変容して行く表現はなかなか出来ず、1人で音楽を作るからこそ出来る事だと思います」

 服部は音楽で何を目指しているのだろうか?「聴いてて血が騒ぐもの。魂の音楽。DNAのどこかに音楽の気持ちよさが刷り込まれていると思うんです。良い音楽だなって感じる新しい旨み成分。どんなに新しくてもテクノロジーを使用していても、それだけだと面白く無い。デジタルだからこそできる表現の自由度を使って、血が騒ぐものを追求したいです」

 服部の音楽に触れた者は、音楽という表現の真の自由さを否が応でも突き付けられ、しばし呆然としてしまうかもしれない。服部は時代から遊離した個そのものを音として生み出す。同じ時を共にして規格外の奇才の軌跡を辿っていける事。これは音楽を能動的に享受する最大の喜びではないだろうか?