怪物的音楽家を語り尽くし謳い尽くす
とんでもない本が出た。『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』と並ぶべき、一家に一冊の必携書と言っていい。本の体裁も、事典みたいに頼もしい。
エンニオ・モリコーネが音楽をつけた全映画430本に解説をつける、という気の遠くなるような作業を記した本だが、本書を網羅的な資料として書架に置くことはできない。〈東京エンニオ・モリコーネ研究所〉というヒトを食ったネーミングの集団による文章が、面白すぎるからだ。読書中に脳がかくもドーパミンやらアドレナリンやらを放出し続ける映画本に、類例はあるだろうか。とにかく、読み始めると、止まらない。切ればたぎる血の噴き出るような言葉が、マカロニ・ウェスタンの狂騒と興奮を伝えてくる。バネのようにツッコミの仕掛けられた文章が、黄金期のイタリア映画の飄逸と放埓を伝えてくる。
加えてここには、サンタ・チェチーリア音楽院で十二音技法を学び、490ものカンツォーネの編曲を手掛けた稀有な作曲家の映画音楽を、あくまで構造と音色を持った音楽として分析し、その特質を追究する怜悧な視点がある。イタリア映画音楽のもう一人の雄、ニーノ・ロータは、都市の諧謔と哀愁の漂い出る音楽を書いたが、モリコーネの音楽からは、荒野を吹き渡る風の音と荒々しい蛮勇の雄叫びが飛び出してくる。そんな彼の音楽がいかなる音の組み立てといかなる音色(の楽器と声)とで成り立っているかに、この本は迫る。
しかも、それを表す言葉は、オペラブッファのアリアを歌うように軽やかで明るい。「ぎゅいんぎゅいん唸る弦、どでどでどで…とリズムを刻むエレキベース」といった野放図なオノマトペが、文章にドライブをかける。気持ちが良いだけではない。映画音楽は「本質的な矛盾として映画との対立を図るべき」だという、武満徹の言葉をそのまま想起させる創造の深淵まで、この本は覗き込んでみせる。まさにエンニオ・モリコーネという巨大な矛盾に対峙する書である。