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若い世代で価値観を変えていく

――では、今回のDaiki Tsuneta Millennium Paradeというソロ・プロジェクトはどのような方向性?

常田「俺は、日本のシーンや音楽の様式が窮屈に思うことがよくあるんですけど、そういうことは一切関係なく、これまで聴いたことのないものを、世界のトップランナーたちと同じ志でやろう、そういうプロジェクトですね。ただ、今回のアルバム自体はすごく〈日本〉を意識しました。世界を意識するとなおさら自分が〈東京で生活している日本人〉であることを意識したところもあって、東京の街並みにだいぶインスピレーションを受けています」

――なるほど。そこはとてもおもしろい話なので後でじっくりお訊きするとして、その前に石若さん、アルバム『http://』全体を聴いてみていかがでした?

石若「いやあ……(常田のほうを見ながら)あっぱれ!」

常田「あざす(笑)」

石若「いろんなミュージシャンが参加していますけど、その前の土台の段階ですごくこだわって作り上げていたのは凄いなと思って。あと作曲面も、ちょっとしたところの作り込みが凄くて、その辛抱強さに驚かされました」

常田「このアルバムを象徴しているのが(冒頭曲の)“Angya”なんですが、この曲なんか相当カオスだと思うんですよ。駿のラウドなドラムがそのままパッケージされてるけど、書き譜では緻密に作り込んだ部分もあって、粗さと緻密さが混在してる」

――“Angya”の構造はちょっと複雑ですよね。この曲はどうやって作ったんですか?

常田「(オリヴィエ・)メシアンのワンフレーズをモチーフにして、そこから発展させていった感じですね。このプロジェクトにおいては駿のドラムが重要なんです。昔、駿がオーケストラに参加していたとき、エルヴィン・ジョーンズみたいにティンパニを叩いて怒られたという事件があって(笑)」

※1950年代から活躍したジャズ・ドラマー。60年代にはジョン・コルトレーンのグループで活動したほか、マイルス・デイヴィスやウェイン・ショーター、グラント・グリーンなどの作品に参加。夫人が日本人だったこともあり、来日公演をたびたび行っている。2004年没

石若「あったね(笑)」

常田「〈オーケストラ meets エルヴィン・ジョーンズ〉じゃないですけど、“Angya”にはその感覚がちょっと入ってる。オーケストレーションにひとつ暴れ馬の要素を入れる、そういうバランスが俺は好きなんですよ。フライング・ロータスでいえばサンダーキャットの役割を駿がやっている」

――“Angya”もそうですけど、他の曲も〈これ、どうやって作ったんだろう?〉っていうものばかりですよね。

常田「単純に1曲に対して50通りくらいの構成を考えるんですよ。そのために尋常じゃない籠り方をして……去年の12月ぐらいから作りはじめたんですけど、ちょっと浮世離れした生活をしていました(笑)。ただ、ここ2年ぐらいソロ・プロジェクトとして駿とちょこちょこライヴをやっていて、そこで追求してきたものでもあるので、今回のアルバムはリリースのために急いで考えたものではないんです」

――浮世離れした生活をしながら作ったことが影響しているのか、確かに密室感がある作りですよね。でも、その一方ではライヴ感や生演奏のスリルがあって、そのバランスがとてもおもしろく感じました。

常田「そこは駿が持ち込んでくれたものが大きいですね。他のミュージシャンにも基本的に自由にやってもらったし、プレイヤーにやってもらうんだったら自由にやってもらうことが前提だと思うんですよ。機械的に演奏してもらうんだったら打ち込みでいいわけで。各々が最高だと思うことをやってもらって、それをまとめて形にするのが俺の役目」

――参加しているアーティストの顔ぶれも幅広いですよね。個人的には上海のアンダーグラウンド・クラブ・シーンで活動する女性シンガー、チャチャが参加していて驚きました。

常田「今回はいろんな言語が混ざり合った内容にしたくて、中国語をどこかに入れたかったんですよ。チャチャは国際感覚を持ったアーティストでもあるし、大前提として声がいい。それで友達に紹介してもらったんです」

AM444の2015年のEP『Dark Show』収録曲“Dark Show”

――多言語であることがこのアルバムを広いものにしてますよね。ヨーロッパなどでは多言語の作品ってジャンルを問わず多いですけど、なぜか日本には少なくて。

常田「そうですよね、確かに。こんなに世界中の人たちが集まる国なのに」

――さっき東京をモチーフにしたとおっしゃっていましたけど、僕もいまの東京っぽい音だと思ったんですよ。多言語だし、多音色。

常田「そうそう、そういう意識で作ったんです。東京は街並みにしてもある種の美的感覚が圧倒的に足りていなくて。例えばテンプレート的なコンクリートのビルばかり建っているかと思えばその横にヨーロッパっぽい建物を平気で建てちゃったりする。日本のそういうところは昔から好きじゃないんですけど、そこにアジアらしいエネルギーがある気もしていて。このアルバムにもそういうエネルギーを入れたかったんです」

――チャチャの他にも、さまざまなジャンルの方々が参加していますよね。

常田「基本的には仲間内で集めました。今回も駿にいろいろ協力してもらいながら進めていったんで、駿に紹介してもらった人も結構いますね」

石若「ラッパーのJua、トラックメイカーのエルムホイは僕経由ですね」

ermhoiの2015年作『Junior Refugee』収録曲“Why?”

常田「だから、今回のアルバムは駿がいないと成り立たなかったんですよ」

石若「俺がGarageBandで作ったものもちょっと入ってますし(笑)」

――へえ、そうなんですか?

常田「まだ世の中に出てない石若駿の打ち込みのトラックが山ほどあるんですけど、結構ヤバイんです。すげえサイケで、異常に歪んでて……インフルエンザで寝込んでるときに作ったらしいんですけど、ちょっと頭おかしい感じ(笑)」

石若「時間があるときじゃないと、打ち込みってできないじゃないですか。お医者さんから〈1週間は外に出たらダメです〉と言われたので、久々に打ち込みでもやるか、と。タミフルを飲んでいた影響が出てるのかもしれない(笑)」

――ところで、石若さんは国外のミュージシャンも含めてさまざまな方々と共演されてますけど、そんな石若さんにとって常田さんと演奏するおもしろさとはどんなところにあります?

石若「見たことのない世界に連れていってくれるところですかね。〈俺たち、これからどんな音楽を作れるんだろう? こんなの聴いたことないよ!〉っていうワクワク感がある。世界中の人たちが〈なんだこれ、よくわかんないけどスゲエ!〉って思ってくれたらいいんですけどね。いまは世界中どこで活動していようともヤバイ音楽はヤバイし、可能性あると思うんですよね」

常田「そこをめざして日々やっている感じですね。駿とは大学時代からいろんな形で一緒にやってきたけど、このノリのままでもっとフィールドを広げていけたら最高なんですけどね」

――こう言っちゃナンですけど、ヨーロッパですごくウケそうな気がするんですよ。

常田「うん、自分でもそんな気がしています」

Daiki Tsuneta Millenium ParadeとVJのRyoji Yamadaによる2016年7月のライヴ映像

――今回参加しているKoki Nakanoさんのように、海外に拠点を移すことは考えていない?

常田「そういうこともあるかもしれないけど、今回のアルバムがまずは第一歩ですよね。Kokiくんは兄貴みたいな存在だし、いろいろアドヴァイスをもらっています」

――今回の参加ミュージシャンは90年代前半生まれの人たちが多いんですよね。

常田「そうですね。92年生まれあたりが中心ですけど、Juaはまだ10代だし、エンジニアの染ちゃん(Hiraku Someno)も俺より2つぐらい年下。今回自分のなかでは〈若い世代で変えていくぞ〉という意識はありましたね、確かに」

――では、その世代で共有してるものがあるとすれば、それはどういうものでしょう?

石若「よく思うのは、少し上の世代だと大きな会社やプロダクションに引っ張られた経験のある人は多いと思うんですけど、僕らの世代は何かに頼ることなく、ネットなどを使って自分の力だけでもポンと(世に出て)行けるんじゃないか、というヴィジョンを持ってる人が多いと思うんですよ。ジャスティン・ビーバーにしたって自分の弾き語り動画をきっかけにブレイクしたし、最近だとジェイコブ・コリアーもそう。そういう可能性をみんなどこかしらで夢見てるんじゃないですかね」

ジェイコブ・コリアーの2016年作『In My Room』収録曲“Saviour”

常田「バブリーな業界の恩恵はまったく受けてないですからね。個人の腕や技量で勝負できる人も多いし、いい意味で現実を見てる人が多いんだと思う。そりゃ高級車にも乗りたいし、いい生活もしたいけど……いい車に乗りたいよな(笑)?」

石若「そうやねえ、乗りたいねえ(笑)」