GotchことASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文によるソロ2作目『Good New Times』にまつわるロング・インタヴュー。その後編では、バンド・メンバーとの繋がりから得たものや、これからの音楽の在り方に対する想いを語ってもらった。このあとのインタヴューで本人もライヴへの想いを熱弁しているが、9月6日(火)の東京公演を皮切りに10公演を回る全国ツアー〈Gotch & The Good New Times Tour 2016 “Good New Times”〉が決定しているので、ぜひ足を運んでみてほしい。
自分の好きな音楽に対しては、ナイスだよって言いたい
――少し別なアングルから訊かせて下さい。いまみたく世の中がいろいろな形で分断している状況下で、後藤くんは音楽をやっている時も、音楽以外の活動をしている時も、どこか意識的に、そこに何かしらのブリッジを掛けよう/何かしらのハブになろうとしてきたと思うんですね。そういう文脈で言うと、この作品、いまのGotchバンドというのは、何と何にブリッジを掛けるものになりうると想像しますか。
「難しいなぁ。というのは、もはや〈橋〉って考え方じゃないような気もしているんですよね。新しい農地を作らなくちゃならないというか、そもそも土がなかったというか。ずっと何かを植えたくてやっていたけど、どうにも何も育たないと思っていたら、やっぱり土がだめだったんだ、みたいな考え方なのか。あるいは、僕たちが何かこう……新しい細胞じゃないですけど、そういうものになっていかなきゃならない、そういうイメージですかね」
――なるほど。
「がん細胞って喩えちゃうと良くないけど、新しい細胞として誰かの身体のなかに入り込んで増殖していく以外に、変える方法がない気がするから。アメーバ的な感じでもあるんですけど。だから別に、僕のソロのバンドというヴェクトルからだけ考えているというよりは、Turntable Filmsがあって、the chef cooks meがあって、YeYeがいて、mabanuaがいて、あとの2人(戸川琢磨と佐藤亮)もそれぞれの場所で演奏していて。そういう繋がりが広がっていくのが一番美しい気がするんですよね」
――現状認識が変わったことによって、自分の活動のモデルそのものが変わってきたってことだ?
「だから、チーム的に、同時多発的になっていくというか。彼らは彼らで、自分たちのバンドのみならずいろいろなバンドに参加したりするので、それがだんだん大きなネットになっていけば、気付いた時にはそこそこ居心地が良くなっているというか、豊かになっているんじゃないかなと」
――いわゆるリゾーム的なモデル。ただ、後藤くんが言いかけた、がん細胞以上にもっと酷い喩えになっちゃうけど、それってモデルとしては全世界的なテロリズムの拡がりにも似てますよね。なんて、酷いこと言ってるな、ごめん(笑)。
「うーん(笑)。テロというよりは、ゲリラだと思っているんですね、僕は。同時多発的にいろいろなところでポジティヴなゲリラを起こしていきたい。物理的な意味ではなくて、心象的というか、観念的なユニティがあって。いつかちゃんと地表に出て、物理的にもユナイトしているように見えたら、最高かなと。もっと大きな場所として立ち上がったらいいなとか。そうなるうちにまた新しい豊かなカウンターが生まれてきたりして、僕も土に還されて、みたいなことになればいいのかなと。とはいえ、仲間たちも別に一緒にやってなくてもいいんじゃないかという気もして」
――具体的に接点がなくても。
「例えば、くるりなんかはずっとそういった居心地の悪さを感じてきたんじゃないかな。他にも、そういうバンドはたくさんいると思うんですよね。だからきっと、あんまりそれぞれが申し合わせなくても良くなっていく気がする、という楽観的な視点もありつつ(笑)。とはいえ、チーム的に機能すればいいかなって。技術や知恵の交換をできたりとか、あとは物理的な問題も解決できる。これは単純に金銭的な問題もありますけど」
――経済の流通ね。
「そう、経済の流通。仕事を振ってみたり。あるいは、僕の持っている機材がみんなの助けになったりとか。そうやって共有していかないと、結構タフな時代になってきているので。自分の興味がどうしてもそっちにあるというか。僕らの世代は何とか食えたけど、仲間だと思っている若い人たちにどうやって繋いでいくのか。それで、状況が少しでも良くなればいいなと」
――ファースト・アルバム(2014年作『Can't Be Forever Young』)のタイミングだと、もう少し無邪気に日本の新世代インディー・バンドに対するシンパシーを後藤くんは口にしてたと思うんですね。そのニュアンスがここ2~3年で変わってきた? 俺なんかは、3年前は〈これはおもしろいことになるな〉と期待していたのに、結局、変わらなかったという思いもあるんですけど。
「まあ、のれんに腕押し、みたいなところはあると思うんですが、そういうもんだろうという気もしていて。確かに昔よりは、金銭的にどんどんしんどくなってきてはいる。でも、お前が言うなと言われちゃうかもしれないけど、友達のバンドとか見ていると、働きながらでもバンドをやりたいと選択している人たちって、しがらんでないんですよね。金銭的にも」
――うん。
「その人たちは、自分の時間を割いてまで音楽をやりたくてやっているわけで。仕事もして、家族との時間もあって。そのなかで無理やり時間を作って、それでも音楽をやりたいってヤツは、好きでもないことを絶対にやらないんですよ。だからこそ、音楽が大きくなってるというか、本来的なところに戻っているというか。そういうインディーの強みってやっぱりあるから。そういうなかから、また新しいすごい人たちが出てくるような気がしていて。そうやって繰り返されることだから、いまは耐えるしかない。ただ自分にできることがあるとしたら、なるべくそういった人たちに機会を与えるというか。それで誰かすごい人たちが出てきたら、自分の利益にはまったく反していないし、そっちのほうがヘルシーだし。でも……そうだなあ。良くなっていくと思うんですけどね(笑)。いい音楽は鳴り止まないから。いつまでもいいバンドが出てくるから」
――歴史は螺旋上に変化していくものなので、常に良くなっていっているのは間違いない。
「そうですね。ただ、元気がないヤツがいたら〈大丈夫〉と言ってあげたいけどね。いい曲だよ、大丈夫だよ、俺は好きだよって。そうしないと、もしかしたら、辞めちゃったりするかもしれないし。自分の好きな音楽に対してはナイスだよ、クールだよって言いたいんですよね。それは海外の人と仕事すると特に思う。彼らって言葉の使い方がポジティヴなんですよね。逆説的な言葉から始まる会話がほとんどない」
――必ずイエスからはじまる。〈Good〉や〈Cool〉、〈Nice Work!〉みたいにね。
「そうそう(笑)。そういうのから始まる作業って、どんどん良い方向へドライヴしていくから。ああいう話法が俺たちにも必要なんじゃないかって思うんですよね。友達や仲間といる時なんかは特に。それ、佐野(元春)さんの感じとも似ているんだよね(笑)」
――佐野さんはもう30年以上もそれをたった一人でやってるからね。
興奮すると演奏に出自が出てくる、その組み合わせがおもしろい
――前半で話したように、実際、このレコードって音楽的な文脈ではすごく説明しづらいレコードで、むしろいま話してもらったようなことの方が文脈とアングルが共有しやすいレコードだと思うんですけど、もう少し音楽的な文脈で語ることはできますか?
「と言うと?」
――例えば、これはmabanuaくんのスタイルも反映されていると思うんですけど、ファーストの人力じゃないハットに比べても、ハイハットがすごくクリアに録音されている。これは偶然ですか。あるいは、何かしら全体のプロダクションを固めるために意識的に?
「クリス(・ウォラ)の録り方もあると思うんですよ。わりとデッドにいくというか、コンプが強くて。もう少しアンビとか、アンビ・マイクがいっぱいあったんですけど、結局、近めのドラムにしていくイメージがあって」
――ハットがクリアであることで、むしろトータルではアンビエンスが際立ってるいうという印象を受けました。
「そうかもしれないですね。ドラム全体が遠くにいたら、たぶんアンビエンスを食っていくというか、それが環境音をごっそり持っていっちゃうことがあるから。最初のプロダクションを設計する段階でクリスの頭の中にはあったのかもしれないですけど。でもやっぱり、アメリカのちょっと重ためというか後ろめの感じというのが、僕たちがいままでやってきたロックの文脈に別のニュアンスを与えているのは確かで。それは組み合わせの妙があるんですけど、ハードコアやエモ、メタルとかわりとヘヴィーなところから知ったベーシスト(戸川琢磨:TYN5G/bluebeard/元・COMEBACK MY DAUGHTERS)と、クラブ・ミュージックの文脈の人(mabanua)がぶつかってるから、何ともよくわからない緊張感が生まれてるんですよね」
――そこも含めて、不思議なレコードだよね(笑)。
「ライヴでもそうなんですけど、興奮というか、緊張感が出てくると、自分の出自が出てくるんですよ。mabanuaは固い時ほどレイドバックするし(笑)、ベースのたっくんは攻撃的になっていく。そこに井上(陽介)くんのアメリカっぽいギターがぶつかってきて。それまでやってきた音がそのまま出るというか。どこにもない、不思議な……音楽的な解釈というより、その組み合わせがおもしろい。どうにもならないリズム隊の癖みたいなものがあって、僕の言う通りにやれたら、それこそザ・バンドにも近づけたのかもしれないけど、そうはならない。あとは、訛りを消さないで欲しい、という話はクリスにしていて。これをガシガシ整理していくと、誰が演奏してもいいものになっていくから。その話は最初にじっくりしましたね。それはピッチの面でもそうで、人間味をやっぱり奪われたくない。極端に言えば、人間であるために音楽をやっているのに、みんな真逆のことをやっているじゃないかと思って」