伝説のレコード店・パイドパイパーハウスが、〈PIED PIPER HOUSE in TOWER RECORDS SHIBUYA〉という名の下にタワレコ渋谷店で復活したのを機に、Mikikiで連載中のパイドパイパーハウス企画第3回。さまざまなゲストを迎えてトークショウが行われているなか、今回はオーナーの長門芳郎氏と縁の深いはっぴいえんどやティン・パン・アレーなどで活躍したギタリスト、鈴木茂氏が登壇したイヴェントをレポートします。こちらは鈴木氏の今年3月に発売された著書「自伝 鈴木茂のワインディング・ロード はっぴいえんど、BAND WAGONそれから」と長門氏の「パイドパイパー・デイズ 私的音楽回想録 1972-1989」のWリリース記念として開催。同時代をサヴァイヴしてきた2人だからこそのざっくばらんなお話から、はっぴいえんどのライヴにおけるエピソード、お互いの著書についてなど、和気あいあいとした雰囲気が伝わるレポートになっていますよ! *Mikiki編集部

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長門芳郎 『パイドパイパー・デイズ 私的音楽回想録 1972-1989』 リットーミュージック(2016)

同じ仲間という意識が強い

タワレコ渋谷店に復活した〈パイドパイパーハウス〉では、いろいろと飾られているメモラビリアを目にするだけでも楽しめる。カウンターの中でひときわ輝いているのが、はっぴいえんどが73年9月21日に行った解散ライヴのポスター。メンバーやら山下達郎らのサインが入ったお宝だ。

そして今回、店長の長門芳郎とのトークショウに登壇したのは、そのサインを書いた一人、鈴木茂。長門さんと同じく、彼は3月に自著「自伝 鈴木茂のワインディング・ロード はっぴいえんど、BAND WAGONそれから」を刊行したばかりだ。「当初は同じ日に発売して、一緒にトークショウをやろうと考えていたんだけどね。僕のほうが4か月遅れちゃって」と最初に長門さんの口から事情が語られた。

両者は、長門さんが地元の長崎で主催した音楽イヴェント〈大震祭〉にはっぴいえんどを呼んだときが最初の出会い。その際の経緯は「パイドパイパー・デイズ 私的音楽回想録 1972-1989」に克明に記されている。「僕ははっぴいえんどのファンだった。あの頃、ギタリストとしてナンバーワンだった」――茂さんをそう評していた長門さんだが、この日は同じ時代を駆け抜けてきた同志としての絆が見え隠れするような語らいが繰り広げられ、パイドは終始和やかな雰囲気に包まれることに。

鈴木茂「年齢はちょっと上だよね? 僕は1951年生まれだけど」

長門芳郎「僕は1950年生まれ。もう出会った頃から、〈シゲル、シゲル〉って呼んでるの。いいよね?」

鈴木「ハハハ、もちろん」

長門「ラジオ番組なんかで昔からの音楽仲間と一緒に出たりするでしょ。例えば、大貫妙子さんの番組に呼ばれたときも、最初は〈大貫さん〉って言うんだけど、すぐに〈ター坊〉になっちゃう。でもリスナーは(大貫さんに対して)馴れ馴れしいと思うらしいんだ」

鈴木「シュガー・ベイブのマネージャーをやっていたいきさつを知らないからね」

長門「ター坊が19歳のときから知ってるから、いまさら〈さん〉付けで呼ぶと違和感がある。シゲルのことはみんなシゲルって呼んでたね。周りがだいたい年上だったから」

鈴木「そうそう。キャラクター的にも呼び捨てにされるような感じだったのかな。〈鈴木〉って名字で呼ばれることはめったになかったね。あと周りに同じ年齢の人が多かったんですよ、林立夫くん、小原礼くんだとか。だから自然とそうなるよね」

長門「林のことはなんて呼んでるの? 〈ミッチ〉だよね?」

鈴木「いや僕はそれに抵抗があって、〈林〉って呼んでる」

長門「松任谷(正隆)は?」

鈴木「〈マンタ〉だね。どういう理由でマンタになったのかよくわかんないんだけど」