プリンスの急死がいまだ大きな影を落とすなか、彼の音楽遺産を受け継ぐ日米混合ファンク・バンド、NOTHING BUT THE FUNK(以下:NBTF)が約3年ぶりに再集結。10月13日(木)、16日(日)にBillboard Live TOKYO、10月14日(金)に広島CLUB QUATTRO、10月15日(土)にBillboard Live OSAKAでそれぞれライヴを行う。
日本を代表するグルーヴ・マスター、沼澤尚(ドラムス)がLAに留学していた80年代に、エディ・M(サックス)、カール・ペラーゾ(パーカッション)、レイモンド・マッキンリー(ベース)という、当時のプリンス・ファミリーに重宝された一流プレイヤーたちと意気投合。そこにネイト・マーセロー(ギター)とジョエル・ベールマン(トロンボーン/トランペット)、さらにMr.Childrenや井上陽水といったビッグネームに携わる傍ら、竹村延和の初作『Child’s View』(94年)に参加するなど鋭い音楽センスを発揮してきた森俊之(キーボード)が加わったNBTFは、2000年代初頭から定期的に活動を続けてきた。
80年代にプリンスが開拓して一大潮流となったミネアポリス・ファンクは、その後のポップスやブラック・ミュージックはもちろん、エレクトロやテクノ/ハウスなどジャンルを超えて影響を与え続けている。〈プリンスは世界を変えた〉と追悼文を捧げたのはマドンナだが、いまも世界各地でトリビュート・ライヴが行われるなか、殿下と縁の深いシーラ・E・バンドの新旧メンバーから成るNBTFがこのタイミングで集うのは大きな意義があるはずだ。そこで今回は沼澤&森を迎え、2人と交流のある音楽ジャーナリストの原雅明氏を聞き手にミネアポリス・ファンクの発展史を再考しつつ、NBTFの歩みと公演の展望に迫った。 *Mikiki編集部

〈こんな人が日本にいるんだ!〉とEW&Fのメンバーも驚いていた
――Mikikiは若い読者も多いので、今回はいまの音楽シーンに紐付ける形でNBTFとミネアポリス・ファンクについて語っていただきたくて。それこそJ・ディラやクリス・デイヴの音楽性のルーツを探っていくと、ミント・コンディション※やジャム&ルイスに辿り着くわけじゃないですか。
※ミネアポリス出身の男性R&Bグループ。ジャム&ルイスが発掘して90年代初頭にデビューを飾り、2010年にはプリンスの〈Welcome 2 America〉ツアーに参加。まだ駆け出しだったクリス・デイヴが、90年代後半から参加していたことでも知られる
沼澤尚「なるほど。そういえばこの間、ミント・コンディションは(プリンスの)トリビュート・ライヴをやってましたもんね。しかも、振り付けつきで(笑)」
――まずはNBTFが結成された経緯を教えてもらえますか?
沼澤「僕がアメリカで活動していた頃に、自分と同じ20代の仲間たちがプリンスやシーラ・Eのバンドで演奏するようになったんです。その83年~85年に僕もチャカ・カーンのライヴに参加していたんですけど、当時のブラック・ミュージックで頂点といえばプリンスだった。80年代でもっとも動員が多かったのは『Purple Rain』のツアーだし、80年代前半はミネアポリス・ファンクの時代で、当時のプリンスはタイガー・ウッズみたいな存在だったんですよ」
――なるほど(笑)。
沼澤「その頃に、僕が仲良くしていたのがエディ・Mやカール・ペラーゾ、レイモンド・マッキンリー、それからキャット・グレイという、プリンスやシーラEの作品/ツアーに参加していた面々でした。それで僕もシーラ・Eのバンドに参加する一方で、自分たちのオリジナルを(NBTFの前進バンド)13キャッツでプレイするようになったんです。バンド自体は3人だけど、多くのサポート・メンバーがステージに立つミネアポリス・マナーを踏襲していたので、エディやレイモンドもツアーに参加していました」
――キャット・グレイ、カール・ペラッゾと沼澤さんの3人で13キャッツが結成されたのが87年ですよね。森さんと知り合ったのはいつ頃ですか?
沼澤「最初に知り合ったのはShikao & The Family Sugar※に参加したときで、〈こんな人が日本にいるんだ!〉と驚きましたね。僕は2000年に帰国するんですけど、その年に開催された佐藤竹善の武道館公演では、バック・バンドを13キャッツのツアー・メンバーが務めていて」
※2007年まで活動したスガシカオのライヴ・バンド。森が音楽監督を務めていた
森俊之「それ、スガシカオと観に行った!」
沼澤「じゃあ、森くんと知り合ったのは99年くらいかな。佐藤竹善の武道館公演は2000年の1月~3月にかけて3か月連続で行われたんですけど、その間にバンド・メンバーがみんな日本にいたので、空いている日にNBTFと名乗ってライヴするようになったんです。それで、最初はキャット・グレイがキーボードを弾いていたんですけど、諸々の事情であまりツアーに参加できなくなって。その頃にアース・ウィンド&ファイア(以下:EW&F)が来日したことがきっかけで、森くんがバンドに加入することになったんです」
森「それって2002年だよね、よく覚えてる。ちょうど同じ頃に、(サッカーの)日韓ワールドカップを観に行ったから(笑)」
沼澤「EW&Fからライヴが終わったあとに、〈夜中にセッションできるところないの?〉と訊かれたんですよ。それで、キーボードを探していたから森くんに声を掛けて。ヴァーダイン・ホワイトやラルフ・ジョンソンも遊びに来ていたんですけど、その場にいた人たちがみんな森くんのプレイに驚いて。そこから〈アイツとNBTFをやろうよ!〉という流れになり、現在に至るという感じですね」
人力の演奏とマシーンを融合させるセンスが飛び抜けていた
――さっき話に挙がった〈ミネアポリス・マナー〉について、もう少し詳しく説明してもらえますか?
沼澤「プリンスのスタイルに影響を与えたのは、ジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーン、PファンクにEW&Fですよね。『For You』以前のプリンスはモロにEW&Fだったし。彼のルーツにはファンクがあって、そこにジミヘンやビートルズが共存していた」
――なるほど。
沼澤「それで、〈ミネアポリス・マナー〉の特徴はゴスペルなんですよ。特に顕著なのがベースラインで、親指やピックで弾くところはモロにそう。それともう一つは、アナログ・シンセサイザーから生まれる80sサウンドというか、最近だとヴェイパーウェイヴの元ネタになったりするような音色ですね。『Parade』以前のプリンスは、オーバーハイムのOB-8しか使ってないですから」
森「鍵盤楽器のルーツと言えば、オルガンやローズ、クラヴィネットだった。そこからシンセが普及することで、それまでオルガンでやっていたことをシンセで表現するようになるわけです」
沼澤「それの大元は、やっぱりバーニー・ウォーレルだよね」
森「そう、Pファンクですね。そこから黒人のミュージシャンがみんなシンセを使うようになっていく」
沼澤「チック・コリアやウェザー・リポートといったフュージョンでもアープのシンセが使われていたけど、ファンクでの先駆けはバーニーでしょう。そこからオーバーハイムが、和音を出すことができるアナログ・シンセを開発していて。これぞまさしくミネアポリスの音だよね」
――ヌメロというオブスキュアな作品ばかり発掘しているアメリカのレーベルが、2013年に『Purple Snow: Forecasting The Minneapolis Sound』というミネアポリス・サウンドを集めたコンピを発表してたじゃないですか。
沼澤「ありましたね、94イーストとかが収録されていて」
――あのコンピには74年~84年までの楽曲が収録されているんですけど、いまの話より少し前に該当するものが大半ですよね。まだオーバーハイムのシンセがなかった頃で、音にもヴィンテージ感がある。
森「プリンスも『For You』くらいまでは、そういう感じでしたよね」
沼澤「だから、とにかく機材の普及が大きかった。プリンスの音で一番のキャラクターは、やっぱりオーバーハイムだったと思います」
森「それとリンドラムですね」
沼澤「そうそう。初めはDMXというドラム・マシーンを使ってたんだけど、そこからリンドラムを使うようになって。『Purple Rain』ツアーでも、バスドラムと一緒にリンドラムのビートが鳴っていて。そのときの映像を観ればわかるけど、(ドラムスの)ボビー・Zは“Let's Go Crazy”でも〈ボン、ボン、ボン〉しか叩いてない」
森「タイム感が必然的にタイトになるんですよね」
沼澤「僕らがシーラ・Eのライヴをやるときも、キックはDMXかリンがずっと鳴っていて、その上で必ず演奏していました。そこでは、NBTFにも参加しているカールがパーカッションとドラムスを担当していたんですけど、彼はスタンディングで演奏するんですよ。立ってドラムを叩いて、足は踏まない。(机をボンボン叩きながら)このビートがずっと鳴ってるから」
森「そのビートに、オーバーハイムの〈ブワーン〉って伸びた音が入るのがミネアポリス・ファンクの特徴ですよね」
沼澤「だから、当時と同じ機材を使うと一気に80sファンクっぽくなる。プリンスがプロデュースしたバンドも全部そういう音じゃないですか。タイム、ファミリー、ヴァニティー6、アポロニア6、シーラ・E、マザラティ、ジル・ジョーンズ……」
――沼澤さんもシーラ・Eのバンドでは、ドラム・マシーンが鳴り続けるなかで叩いていたんですね。
沼澤「そうです、自分はキックも一緒に踏んでましたけど」
――それだと演奏するのも大変だったのでは?
沼澤「でも、それが大前提だったから。みんなが同じようにやっていたし、自分もやらなくちゃいけなかった。そういう時代だったんですよ」
森「なかでもプリンスは、人力の演奏とマシーンを融合させるセンスが飛び抜けてましたよね。スライの『Fresh』に“In Time”って曲があるじゃないですか。あそこでポコポコ鳴ってるのは、エース・トーンというアナログのリズム・ボックスで。その後のTR-808とかと違って、まだデジタル・サンプリングされた音ではない。スライはそのビートに、アンディ・ニューマークが叩くデッドでタイトなドラムを重ねていたんですよね。あのへんのグルーヴがルーツにあるはずで」
沼澤「うんうん」
森「そこからリズム・ボックスはエース・トーンからPCMのリズムボックスに取って代わられ、MIDIも普及していく。そこでプリンスは、打ち込みでクォンタイズされたジャストなビートを、生ドラムやベース、ギターといった楽器と合わせることでグルーヴさせたんです」
沼澤「だから、キーボードは絶対に手弾きだったもんね」
森「そう、タイトなのはドラム・マシーンだけ。そういう音色とグルーヴ感覚がミネアポリス・ファンクの特徴かなと」
沼澤「そのあとにニュー・ジャック・スウィングが流行り出す頃になると、タイムのジャム&ルイスがジャネット・ジャクソンをプロデュースするときにもMPCを手で打ち込むようになって。あとはブレイクビーツやグラウンド・ビートといった、サンプリング・ループが主流になっていった。そこからア・トライブ・コールド・クエストがジャズのレコードをサンプリングすることで90年代のヒップホップを変えて、21世紀以降はJ・ディラのビートがもたらした影響が大きくなっていくと。最近だと、エイドリアン・ヤングはそういった要素をすべて生演奏でやろうとしていますよね」
――ここ数年はそうですよね、機械のグルーヴを自分たちで演奏するのが一番新しい。
沼澤「ミネアポリス・ファンクから今日のヒップホップに至るまで、ジャズやファンクのルーツが途絶えたことは一度もないんですよ。ルーツ・ファンクの要素は絶対になくならないけど、消化の仕方はその時代ごとのトレンドで変わっている。だから、ミネアポリス・ファンクは80年代における象徴の一つでしょうね」

プリンスはとにかくメンバーに厳しかった
――90年代に入ると、プリンスはまた変わっていったじゃないですか。それはどう見ていました?
沼澤「〈マイ・ネーム・イズ・プリンス~〉〈セクシ~・マザーファッカ~〉とかラップしていると〈えっ!?〉って一瞬なるんだけど、〈でもプリンスだから、うーん……OK!〉みたいな(笑)。黄色いBMWに乗って、マイクが銃になる※のも……(渋い表情をして)まあOK!」
※プリンス&ニュー・パワー・ジェネレーションが92年に発表した“Sexy Mf”のミュージック・ビデオでのワンシーン
一同「ハハハハハ(爆笑)」
沼澤「自分のなかではそんな感じでしたね。でも、“Willing And Able”みたいな曲は思い切りゴスペルで、そういうのを聴くと嬉しかったです」
――その時代の前後で、バック・バンドもいろいろと変わっていますよね。
沼澤「僕が一番好きだったのは、やっぱりレヴォリューションかな。バンドが大きく変わるのが『Sign 'O' The Times』のときで、それまでは演奏が上手いかどうかよりもキャラクター重視だったのが、レヴォリューションが解散してからは衣装とかも含めて大きく変化していきましたよね。サンプリングを使い出したのもこの頃からだし、“Housequake”のようにドラム・マシーンのビートも細かくなって。そこから『Lovesexy』(88年)に向かう頃には、ミネアポリス・ファンクのお約束であるアナログ・シンセの〈ブワーン〉もやらなくなった」
――基本的には多重録音しながら、一人で全部できるタイプの人じゃないですか。
沼澤「『Lovesexy』まではほとんど全部自分で演奏していたけど、ニュー・パワー・ジェネレーションからバンドを強調するようになりましたよね。マイケル・B(ドラムス)やソニー・T(ベース)がたっぷり演奏したり」
――エリック・リーズ※の兄、アラン・リーズはもともとジェイムズ・ブラウンのツアー・マネージャーで、その後はプリンスやディアンジェロとも携わった人ですけど、そのアランが〈プリンスは何でも自分で演奏できるけど、サックスだけはやらないから弟は生き延びているんだ〉と語っていて。
※1952年生まれのサックス/フルート奏者。『Parade』以降のプリンス諸作やツアーに参加した
沼澤「エリック・リーズの前任がエディ・Mだったんですよね。『Around The World In A Day』でもサックスを吹いていますけど、〈あれっていつ録音したの?〉と彼に訊いたら、『Purple Rain』のツアー中にレコーディングしていたと。まだペイズリー・パークが出来る前の話で(87年設立)、ツアー中に曲が出来たらすぐに録音へ取り掛かっていたみたいです」
――行く先々のスタジオで録っていた。
沼澤「そうそう。プリンスはあまりLAにいなかったので、僕は残念ながら会ったことがないんですけど、逆にシーラ・Eはベイエリアの出身なので、しょっちゅう一緒にいて。彼女は地元のミュージシャンを自分のバンドに起用していたんですけど、プリンスはそのバンドが好きだったので、自分の曲を練習するときにも使っていたんです※。それを録音したブートもありますけど、『Around The World In A Day』の収録曲を延々やらされたとキャット・グレイが言ってました」
※シーラ・Eは『Purple Rain』と『Parade』のツアーでプリンスの前座を務めた
――さっきのアラン・リーズの証言によると、プリンスはとにかくメンバーに厳しかったそうですね。細かい指示も多いし、何か気に入らないことがあるとすぐに文句を言われた。その一方で、ディアンジェロはジェイムズ・ブラウンやプリンスに比べると寛容だったみたいで。
沼澤「プリンスは罰金制度も凄かったみたいですね。ステージ上で誰かが演奏を間違えると、〈ブーツ一足も~らい〉とMCで言ってたとか(笑)」
森「タカさん(沼澤)から聞いた話ですけど、ジェイムズ・ブラウンもそうだったみたいですね。これを出したらブレイク、これを出したら(音量を)落とせ、上げろとか。その(合図となる)キューを見落とすと、物凄い罰金を払わなくちゃいけない。バンドもただ演奏するだけじゃなくて、常にフロントマンのほうへ注意を向けてないといけなかった」
沼澤「それは、アメリカのソウル・バンドにとっては基本中の基本だったかもしれない。僕が(87年に)ボビー・ウーマックのツアーに参加したときも、例えばライヴ中にブレイクの合図が出るじゃないですか。それでキリのいいところで止まったら〈キューを出したら、その瞬間にブレイクしろ!〉と、あとで新幹線の中で怒られたんですよ。〈え、サインが出たら「3、2、3、4/4、2、3、4、ハイ!」と入るんじゃないんですか?〉と言ったら〈それだと遅い!〉って」
森「ハハハハ(笑)」
沼澤「そんなにすぐ行かなきゃなんだ!っていう(笑)。しかも、そのキューもボビーが歌いながら背中を向けてるときに(腰元で指を鳴らすしぐさをして)こんな感じなんですよ。そんな細かい仕草すら、見逃すわけにはいかなかった」
――日本でそこまでシビアな現場はないですよね?
沼澤「絶対にないです、見たことがない(笑)」
――そう考えると、ディアンジェロが寛容だったのは自分の仲間たち(ソウルクエリアンズ)とレコーディングしていたのが大きかったのかもしれないですね。エレクトリック・レディ・スタジオで。
沼澤「そうそう、感覚がだいぶ違うんじゃないですか。クエストラヴも、たぶんルーツのメンバーに罰金は課してなかったでしょうし(笑)。彼がプリンスについて語ってるインタヴューは全部おもしろい。とにかく影響を受けていたので、プリンスがやったことは全部やらないといけないと思っていたそうですね。特に音楽制作がそうで、プリンスが他のアーティストについて語っていたら絶対にチェックしていたとか。ディアンジェロもそうですよね。最近はジェシー・ジョンソン※がバンドに参加しているし、ライヴを観てもプリンスになりたがっている様子が見え見えで。これだけでも、プリンスとミネアポリス・ファンクが今日のブラック・ミュージックにもたらした影響は明白なんじゃないですか」
※タイムのギタリストとして著名な1950年生まれのギタリスト。近年はディアンジェロ率いるヴァンガードに参加
日本人のミュージシャンだけ集めても、絶対にわからない感覚がある
――最後に、改めてNBTFの話を訊かせてください。森さんは一緒に演奏してみてどうでしたか?
森「変な言い方ですけど、沼澤さんやNBTFのメンバーと会う以前から、ライヴやレコードを通じて、自分が信じてやってきたことがあったんですよ。特にグルーヴに関して。けど、日本人のミュージシャンと〈その感覚〉で演奏すると、僕だけズレてしまって。なんて言ったらいいのかな……」
沼澤「いや、わかるよ」
森「演奏していると〈アレ……?〉ってなるけど、自分が見聞きしてきたアレやコレは確かにこうだったよなと。そんな違和感を抱きつつ、30歳を過ぎるまで〈その感覚〉を信じてやってきたんです。そこからShikao & The Family Sugarに沼澤さんが参加することになって、初めてスタジオでリハーサルして音を出したときに〈これだ!〉となって」
沼澤「俺は間違えてなかったと(笑)」
森「うん、最初にそう言いましたもんね。本当に言葉にしづらい、プリミティヴで本能的な感覚で……要するに〈ファンキー〉ってことだと思うんですけど」
沼澤「僕は逆に、なんでこの人は日本で音楽をやってきたのに〈その感覚〉を知ってるんだろうと思いましたね。僕が日本に帰ってきたときも、それまではアメリカ人とばかり演奏してきたから、こっちのライヴに参加すると違和感を覚えてしまって。森くんは、外国人が集まったバンドで演奏するほうが全然やりやすそうだったもんね」
森「そうなんです。もちろん海外のスタジオでレコーディングをしたことはあるけど、そういう話ではなくて」
沼澤「語弊があるかもしれないけど、そういう音楽ができそうな日本人のミュージシャンだけを集めても、絶対に〈その感覚〉はわからないんですよ。本人たちのなかに入らないと掴めない。ブラジル音楽だってそう。マルコス・スザーノとも共演しましたけど、そうやって現地のミュージシャンと交わらなければ絶対にわからないことがある。別に日本が劣っているとかではなく、世界各国で(感覚の)スタンダードがそれぞれ違うという話ですけどね。でも、森くんはなんで〈その感覚〉がわかったんだろう?」
森「なんか……子どもの頃からそうだったみたいで(笑)。自分でもよくわからないんですよ」
沼澤「僕ら2人だけでは〈その感覚〉を出せないんだけど、カールやエディ、レイモンドの誰か一人でも入っただけで途端に変わるよね。それを佐藤竹善はSing Like Talkingでやろうとしていた。メンバーを雇って※楽曲を作り、LAで録音した『togetherness』(94年)というアルバムがあるけど、日本語で歌ってるのにサウンドの言語は英語になっていたからね」
※キャット・グレイが共同プロデュースを担当し、13キャッツやネッド・ドヒニー、エモーションズなどがゲスト参加
――日本の若いミュージシャンの間でも、ブラック・ミュージックからの影響を採り入れようとしている人たちが増えているみたいですね。
沼澤「もしそういう人がいるなら、日本人だけで集まってやろうとせずに、とりあえず一人で向こう(アメリカ)に行ってみたほうが、やりたいことができると思いますね。僕や森くんが特別なわけでもないし、向こうのミュージシャン達に加わって演奏していれば自然とできるようになるんじゃないかな」
森「NBTFと一緒に演奏するのは楽なんですよ。自分が素のままでいいから、変に力を入れなくてもいい」
沼澤「みんな凄いメンバーなので、ブラック・ミュージックが好きな人なら誰でも上手く演奏に入っていけそう。例えば自分がドラマーだとしたら、そのドラムスを何倍にも格好良く聴かせてくれるミュージシャンの集まりなんだよね。良い歌や演奏がお互いを引き立てたりするのと一緒で、そこにいるとラッキーというか」
――よくわかります。そんなNBTFのメンバー紹介がそのまま公演の見どころになりそうなので、ぜひお願いできますか。
森「レイモンド・マッキンリーが出すボトムのグルーヴ、これこそ僕はファンクネスだと思っていて」
沼澤「教会でひたすらゴスペルをやってきた人なので、譜面を読むといった素養はゼロなんですよ。トニ・トニ・トニやパティ・ラベルといった教会系のブラック・ミュージックに携わって、プリンスがLAでバンドを集めるときは彼がベースを弾いていた」
森「さっきタカさんが言ってた喩えのように、彼がベースを弾くことで、タカさんが叩いているドラムスをバネみたいにしちゃうんですよ。〈ド、パ、ド、パ〉だとバウンスしてないじゃないですか。でも、そこにベースが入ることで〈ジョッ! パッ! ジョッ! パッ!〉にしてしまう。これ、活字に起こすと全然伝わらないと思うんですけど(笑)。とにかくNBTFのライヴは、このグルーヴを体で感じてほしい」
沼澤「あのベースは日本人じゃ無理だよね。まったくアカデミックじゃないのに、なんであんな音楽的にできるんだろう。ゴスペル育ちなので、ミネアポリス・ファンクを親指で弾くようなプレイは特に凄いですよ」
森「そういうファンキーなグルーヴって、アメリカのリズム&ブルースにおける長い歴史のなかで、昔からずっと培われてきたわけじゃないですか。そういう1本の長く太い線を、レイモンドのベースを聴くことで感じられると思う。天才ですね」
沼澤「カール・ペラーゾは、サンフランシスコのミッション・エリアで育ったイタリアン・メキシカン。だからラテン音楽がルーツにあって、プリンスのことは実際に知り合うまで全然知らなかったそうです。そのあと、カールと彼の奥さんは特別気に入られて、プリンスからいつも食事に誘われるようになるんですけど、きっと変に特別視してなかったのが良かったんでしょうね。サンタナの右腕として、25年間もバンドに君臨している世界最高峰のラテン・パーカッショニストなので、今回のライヴでもソロを叩くシーンは当然ハイライトになるはずです」
森「エディ・Mは、ライヴ前にプリンスから〈今日は音を2つしか吹くな、それで客を全部持って行け〉と言われて、本当に持って行った男です」
沼澤「レスター・ヤング、マイケル・ブレッカー、メイシオ・パーカーの系譜だよね。それに、プリンスから一番最初に気に入られた管楽器プレイヤーというだけあって、華やかなステージングも見どころ」
森「もし〈ド・レの2つしか吹くな〉と言われたら、メロディーやフレーズにこだわったソロを吹いてる場合じゃなくて、リズムと音色、音の長さで勝負するしかない。だから、エディのサックスはリズムがとんでもないですよ。サックスも打楽器だと言わんばかり」
沼澤「ジョエル・ベールマンとネイト・マーセローの2人は、現在のシーラ・E・バンドに参加しています。ジョエルはベイエリアで知り合って以来の仲間で、自分でジャズのバンドを率いたり、ラテンにも精通しているホーン・プレイヤーで、トランペットとトロンボーンが両方できる。ネイトはまだ20代だけど、そうは思えないほどルーツ・ミュージックに詳しくて、しかもライやバンクスみたいな最近のオルタナティヴ系にもガッツリ関わっているんですよ。そういえば以前、ミコ・ウィーヴァーやリーヴァイ・シーサーJrといったプリンス/シーラ・Eのバンドの歴代ギタリストが集まってトリビュート・ライヴのリハをやったときに、ネイトが全員やっつけたと言ってました(笑)」
――これはライヴを観たいという気にさせられますね(笑)。
沼澤「いまのブラック・ミュージックが好きな人にもぜひ観てほしいですね。ヒップホップをそのまま演奏するわけじゃないけど、ルーツに触れる機会になると思いますし」
森「そもそも、ファンクとヒップホップは親戚みたいなものですからね」

NOTHING BUT THE FUNK
JAPAN TOUR 2016
10月13日(木)、16日(日) Billboard Live TOKYO
開場/開演:
〈10月13日(木)〉
・1stステージ:17:30/19:00
・2ndステージ:20:45/21:30
〈10月16日(日)〉
・1stステージ:15:30/16:30
・2ndステージ:18:30/19:30
料金:サービスエリア/7,800円、カジュアルエリア/6,300円
★公演詳細はこちら
10月14日(金) 広島CLUB QUATTRO
開場/開演:18:0/19:00
料金(1D別):前売り/6,900円
★公演詳細はこちら
10月15日(土) Billboard Live OSAKA
開場/開演:
・1stステージ:15:30/16:30
・2ndステージ:18:30/19:30
料金:サービスエリア/7,900円、カジュアルエリア/6,900円
★公演詳細はこちら