【Click here for English translation of article】

エリマージ『Conflict Of A Man』(2012年)、デリック・ホッジ『Live Today』(2013年)、クリスチャン・スコット『Stretch Music』(2015年)、エスペランサ・スポルディング『Emily D+Evolution』(2016年)、黒田卓也『Zigzagger』(同)など、現代ジャズにおける近年の注目作でたびたび名前を見かけるのがコーリー・キングだ。〈コーリーの代わりなんていない〉と黒田もインタヴューで語るなどトロンボーン奏者として圧倒的な実力を誇る彼は、同時にメロウな歌声の持ち主でもある。最近はヴォーカル/コーラスや作/編曲、鍵盤奏者としてクレジットされる機会も目立つようになるなど、只者ではない予感が漂っていた。

そんなコーリーの初ソロ作『Lashes』は、彼のアナザー・サイドだけで形成されたような一枚だ。ここではトロンボーンを一切吹いてないし、近年のトレンドであるネオ・ソウル/ヒップホップのフィーリングも皆無。ヴォーカルとシンセ、プログラミングと多重録音を駆使しつつ、ロック的なセンスを兼ね備えたジャズ・ミュージシャンによる演奏を活かすことで、エフェクティヴな音響と生々しく肉体的なサウンドを両立させている。退廃的で色気を感じさせる楽曲は、エスペランサやクリスチャン・スコットが提示した〈ジャズ・サイドからのロック的なアプローチ〉をより大胆に推し進めたものと言えるだろう。

今回は、去る8月に開催されたJUJU × 黒田卓也の共演ライヴのために来日していたコーリーにインタヴューを実施。彼のキャリアを改めて辿りつつ、『Lashes』の制作背景と独自の音楽観に迫った。さらに取材現場には、大親友の黒田も同席。その微笑ましい掛け合いからも2人の絆が窺えるはずだ。

COREY KING Lashes Ropeadope/AGATE(2016)

 

初めてツアーの仕事を紹介してくれたのはグラスパーだった

――子供の頃に、トロンボーンから音楽を始めたらしいですね。

コーリー・キング「そうだね、12歳の頃から。最初はクラシックをやっていたんだ。歌いはじめたのはもっと早くて、5歳くらいから教会の合唱隊で歌ったりしてたよ。それにクラシックの教育を受けていたから、譜面を読んだりもできたんだよね。だから、とにかく何か楽器をやってみたくて。そんなときに中学校の頃に学校のバンドで監督をやっていた先生から〈トロンボーンをやれ〉って言われたんだ。それがきっかけだね」

――ジャズはヒューストンのパフォーミング・アーツ系の高校で始めたんですね。

コーリー「うん、15歳のときだね。夏に高校に入ってから、本格的にジャズを始めたんだ」

――ロバート・グラスパークリス・デイヴと同じ学校だったんですよね。同級生にはどんな人がいました?

コーリー「同級生だとジャマイア・ウィリアムズかな。あとは、自分よりちょっと年上だけどアラン・ハンプトンとも仲良しだよ」

※ジャマイア・ウィリアムズはコーリーも在籍するバンド、エリマージのリーダー/ドラマー。アラン・ハンプトンはシンガー・ソングライター的なリーダー作を発表しているベーシスト。この2人は『Lashes』にも参加している

コーリー、ジャマイア、アラン、マシュー・スティーヴンス(ギター)から成るエリマージの2014年の来日公演の模様
 

――じゃあ『Lashes』は、高校時代からの仲間と一緒に作った感じでもあるんですね。その頃によく聴いていた音楽は?

コーリー「ロックやクラシックなど、ジャズ以外の音楽もたくさん聴いていたよ。高校に入る前はニルヴァーナレディオヘッド、ジャズだとウィントン&ブランフォードのマルサリス兄弟をよく聴いてたね。高校はヴィジュアル・アーツ系だったから、ミュージシャンじゃない人たちも結構いて、ペインター志望の子が歌ったり、歌手の子が演劇をやったりしていた。自分も当時から歌っていたので、いろんなメディアの要素をミックスするということを、その頃からよくやっていたよ。だから、ジャズ自体は演奏していたけど、トラディショナルなジャズを追求するという感じではなかった」

――好きだったり、参考にしていたトロンボーン奏者は誰ですか?

コーリー「高校生の頃、手本にしていたのはJ・J・ジョンソン。彼は歌うようにプレイするよね。さっきも話したように、僕自身もヴォーカリストだからそういう奏法に惹かれたんだ」

※1924年生まれで、ビバップ創世記から約60年間に渡って第一人者であり続けたトロンボーン奏者。2011年死去

J・J・ジョンソンの1957年作『Blue Trombone』収録曲“Blue Trombone”
 

――そこから、2004年にNYのニュースクール大学に入学したんですよね。黒田さんと一緒にやるようになったのはその頃からですか?

コーリー「そう、タクヤとはその頃からの友達だね」

――言える範囲で大丈夫なので、黒田さんとのエピソードを教えてもらえますか。

コーリー「たくさんありすぎるよ(笑)。NYでもしょっちゅうつるんでるし。タクヤの家は、自分の別荘みたいなものだからね」

黒田卓也「ブルックリンにある僕の家は、もう遊び場ですね。コーリーだけじゃなくて、僕やコーリーのミュージック・ビデオを作ってくれた日本人の映像作家(Ryosuke Tanzawa)や、写真を撮ってくれる人とかもよく来るんですよ。みんな音楽好きだから、iPhoneを(ステレオに)繋いで、好きな曲を流しながら呑むんです。まぁ、文化交流の場ですね。そこの2人がエキシビションとかアートの話をしている隣で、別の2人がゴリゴリなヒップホップの新作について語り、こっちでは料理の話を……みたいな感じで、カルチャーがずっと交錯している。NYに来てから12年間くらい、ずっとそんな感じですよ」

――それは賑やかそう。ニュースクール時代の印象的なエピソードはありますか?

コーリー「大学生の頃には、ミュージシャンとしてツアーを回っていたんだよね。実は、僕に初めてツアーの仕事を紹介してくれたのはグラスパーで、19歳の頃にはローリン・ヒルと一緒に仕事しているしね」

――そうだったんですか!

コーリー「その頃で一番記憶に残ってるのは、ギル・スコット・ヘロンとの活動だね。特にカーネギー・ホールで開催されたコンサートは印象的だったな。ギルとの活動は、人生のハイライトみたいな時期だったと思うよ。その後すぐにギルが(2011年に)亡くなったことで、残念な意味でもスペシャルな経験になってしまったけどね。ギルはものすごい多作家で、そのすべてが詩情に溢れていた。それに周囲に対してもフレンドリーで、調和の取れた雰囲気を作り出すことができる人だったんだ。彼は特定のスタイルを追求するというよりも、いろんなスタイルを取り込むスタイルのアーティストと一緒にいたから、彼自身や周りのミュージシャンからは大きな影響を受けたものだよ。そういう意味では、グラスパーも同じように影響を受けたアーティストだと言えるね」

コーリー、クリス・デイヴ、グラスパー、サンダーキャットケイシー・ベンジャミンなどによる2008年のセッション・ライヴ映像
ギル・スコット・ヘロンの2010年作『I'm New Here』収録曲“Me And The Devil”
 

――ギルと共演するようになったきっかけは?

コーリーモス・デフがギルと共演したのがきっかけだったと思う。その時に僕はモス・デフのバンドで演奏していて、それをギルが気に入ってくれたみたいだね」

――ローリン・ヒルとはどのように出会ったんですか?

コーリー「奇妙なきっかけだったよ。トランペッターで友人のレロン・トーマスに〈ローリン・ヒルのリハーサルがあるから付き合ってくれないか〉と誘われて、なぜか僕もリハで演奏することになったんだ。それで帰ったあとに音楽監督から電話があって、〈バンドに入ってくれないか〉と言われてね。実際はリハーサルではなく、オーディションだったことを後で知ったんだ(笑)」

※コーリーと同じくニュースクール大学出身のトランぺッター兼コンポーザー。2014年のリーダー作『Whatever』にはマシュー・スティーヴンスやテイラー・アイグスティエリック・ハーランドが参加

――あとはオルガン・ジャズの巨匠、ドクター・ロニー・スミスとも活動してますよね。彼のビッグバンドで音楽監督を務めていたそうですけど。

コーリー「それも楽しかったし、素晴らしい経験だったよ。ただ、ロニー・スミスは譜面を元に演奏する人じゃなくて、耳だけでやるタイプでね。彼の意図を汲みつつ、15人くらいのバンド・メンバーに指示を出して音楽を作るというのは、あまりにチャレンジングというか……ほとんど無茶だったね(苦笑)」

 

コーリーはアプローチの仕方からして違う

――黒田さんから見て、大学時代のコーリーはどんな感じでした?

黒田「学年は僕の1つ下なんですけど、すごいヤツが入ってきたと思いましたね。トロンボーンってどうしても大味になりがちなんですよ。ニューオーリンズっぽかったり、ブルージーで大きなフレーズを、顔を真っ赤にしながらデカイ音で吹いて喜んでる人が多いですけど、コーリーは全然そんなことはしない。すごく難しい曲も、平気な顔でスラスラスラ~っと吹くんです。もう大型ルーキーでしたね」

コーリーが参加した黒田卓也の2014年のライヴ映像
 

――プロ・ミュージシャンを見回しても、コーリーはかなり上手い部類ですよね。

黒田「アプローチの仕方がもう……、全然違いますよね。コーリーは誰かをめざしたり、手本にした人がいたのかも知れないけど、僕には〈誰っぽい〉とかもわからないし、彼の演奏は唯一無二ですね。代わりはいないですよ」

――コーリーはそういう個性的な奏法を見つけるために、どんなことを意識してきました?

コーリー「トロンボーンだということはあまり意識しないで、他の楽器におけるプレイをどんどん採り入れるようにした。例えば、ジョー・ヘンダーソンが好きだから、彼のサックスみたいに演奏してみたりとか。といっても、ジョー・ヘンダーソンのサックス的な演奏とJ・J・ジョンソン風のトロンボーンを(ひとりで)同時にプレイするのは不可能なわけでさ。だから、そこは試行錯誤しながら自分独自のやり方を見つけるしかない。それは常に意識してやっているよ」

ウェイン・ショーターと共に60年代の新主流派を代表する、1937年生まれのテナー・サックス奏者。2001年死去

ジョー・ヘンダーソンの63年作『Page One』収録曲“Blue Bossa”
 

――そうやって別の楽器から置き換えようにも、トロンボーンは演奏するのが特に不自由な楽器だと思うんですけど。

コーリー「難しい楽器ではあっても、いろんなことを試していけば、それなりに方法は見つかるし問題は解決するものだよ」

――簡単に言うなぁ(笑)。ジョー・ヘンダーソンの話が出ましたけど、管楽器以外のプレイを採り入れたりもしました?

コーリー「うん、もちろん。サラ・ヴォーンは節回しが素晴らしいだけじゃなくて、ハーモニーに関する知識があったので、スキャットをするときも音の選び方がすごく興味深いんだ。だから、僕はサラが好きで何度も聴いて研究したよ」

サラ・ヴォーンの1954年作『Sarah Vaughan With Clifford Brown』収録曲“Lullaby Of Birdland”
 

――逆にコーリーから見て、黒田さんはミュージシャンとしてどんなところが優れていると思いますか?

コーリー「作曲家として、かな。自分が曲を作るときにすごく意識している作曲家のひとりだね」

黒田「(財布を取り出して)1万円、ワンモア」

コーリー「じゃあ、もう少しだけ(笑)。作曲家としてメロディーも良いし、コード進行も素晴らしいし、そういうところをリスペクトしているよ。彼の音楽に関しては、聴き手を温かく受け入れてくれそうな、開放的な部分が好きだね。アーティストによっては分厚い壁を築いて、そこを乗り越えてくるのを期待するような音楽を書く人もいるけど、タクヤの音楽はそういうものではない。本当に誰でも受け入れられる、誰でも歓迎しそうな音楽――でも、そのなかではすごく複雑なことが起こっているのもいいよね。もちろん、トランペット・プレイヤーとして最高なのは言うまでもないし」

コーリーが参加した黒田卓也の2016年作『Zigzagger』収録曲“R.S.B.D”