アット・ザ・ドライヴ・イン(以下、ATDI)が実に17年ぶりとなるニュー・アルバム『In・ter a・li・a』を発表した。90年代末にメキシコにほど近いテキサス州エルパソから突如として現れた5人組は、セドリック・ビクスラーとオマー・ロドリゲスというアフロ2人のヴィジュアル的なインパクトもさることながら、何より爆発的なライヴ・パフォーマンスが話題を呼び、一躍〈ロックの救世主〉としての地位を確立。メジャー・デビュー作となった『Relationship Of Command』は、ポスト・ハードコアやエモといったジャンルの括りでは到底語り切れないロックの名盤として、いまも輝き続けている。

しかし、バンドは翌2001年に突如として無期限活動休止を発表し、メンバーはマーズ・ヴォルタとスパルタに分裂。その後、しばらくして2012年に一度再結成をし、〈フジロック〉での来日も実現したが、アクシデントも重なって継続的な活動には至らず。それでも、2016年にジム・ワードが脱退し、スパルタのギタリストであるキーリー・デイヴィスが加わるなどの変化を経て、遂にセルフ・プロデュースでの新作が完成した。そこで今回は、かねてよりATDIのファンを公言していたlovefilm/the telephonesの石毛輝を迎えて、唯一無二のバンドの魅力に迫った。現在活動休止中のthe telephonesは、〈We are DISCO!!!〉のフレーズからダンス・バンドとしてのイメージも強いが、そのライヴ・パフォーマンスやギター・サウンドは紛れもなくATDI譲り(ATDIの『In/Casino/Out』と『Vaya』でエンジニアを務めた、アレックス・ニューポートと一緒にアルバムを制作したこともある)。そんな石毛に、〈自分にとってのヒーロー〉だというバンドに対する想いをたっぷりと語ってもらった。

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AT THE DRIVE-IN In・ter a・li・a Rise/BMG Rights/HOSTESS(2017)


ATDIのライヴ・ビデオを観て、〈俺たちはこれになるしかない〉と話した

――ATDIとはどのように出会いましたか?

「僕はエモ世代なので、ゲット・アップ・キッズとかジミー・イート・ワールドとか、その辺を聴いてた中で、ATDIだけ毛色が違って、突き刺さるものがあったんですよね。アルバムで言うと、最初に聴いたのが『Relationship Of Command』(2000年)で、そこから遡って昔のも聴きました。『Vaya』(99年)とかもすごく好きです」

――〈毛色が違った〉というのは?

「本気さが違うというか、エネルギーの量がこいつらだけ半端じゃないと思ったんです。たしか、最初にライヴ映像を見たんですよ。まだYouTubeはなかったから、友達が西新宿とかでブートのライヴ・ビデオを買ってきて、それをメンバーと一緒に見たときに、〈俺たちはこれになるしかない〉という話をしたのはよく覚えてます」

――いま改めて聴くと、やっぱり初期のthe telephonesはATDIの影響がすごく強くて、そこにいわゆるディスコ・パンクの流れ、ラプチャーとかを組み合わせたようなバンドでしたよね。

「あとLCDサウンド・システムですね。the telephonesは2005年結成だから、すでにATDIは解散してたので、あの衝動を活かしたまま、そのときのムーヴメントをやろうって感じでした。でも、ファースト・アルバムの『JAPAN』(2008年)に入ってる“DaDaDa”という曲のイントロだけ完全に“One Armed Scissor”に敬意を表しているし、『Rock Kingdom』(2011年)でアレックス・ニューポートと仕事をしたときも、リスペクトを込めて“Heliotrope”みたいな曲(“Make Some Noise”)を作ったりもしてます。でもネットで色々言われたらめんどくさいんで(笑)、デモ・ヴァージョンをボーナス・トラックとして入れたんですけど」

ATDI『Relationship Of Command』収録曲“One Armed Scissor”
the telephones『JAPAN』収録曲“DaDaDa”
 

――〈一番好きな曲は?〉と訊かれたら、どれが出てきますか?

「一番好きなのは“Rolodex Propaganda”ですかね。ライヴだとセドリックがギター弾くのもいいんですよ。あと日本で一番有名な曲は、“Sleepwalk Capsules”でしょうね。〈空耳アワー〉の〈童貞ちゃうわ!〉で(笑)。まあ、『Relationship Of Command』は捨て曲ないと思います」

『Relationship Of Command』収録曲“Rolodex Propaganda”
 

――影響という意味では、Mikikiのブログで〈オマーのギターからはギタリストとして強くインスパイアされている〉と書かれてましたね。

「プレイ内容というよりは、エフェクターの使い方ですごく影響を受けていて、彼と同じエフェクターは結構持ってますね。LINE6のDL4っていうディレイは壊れては買い直して3台くらい持ってたり(笑)、エフェクティヴなギター・プレイが肌に合ったんです。歪みに関してはジョン・フルシアンテの影響が大きくて、ラムズヘッドとか、初期型のも含めBIG MUFF系のファズの音が好きなんですけど」

――オマーとジョンは一緒に作品を作ったりもしてますけど、その2人を足すと石毛くんになると(笑)。

「それをポスト・パンクにハメるとthe telephonesになるって感じじゃないですかね」

――一方、フロントマンとして、セドリックからの影響はいかがですか?

「僕は声質的にラプチャーのルーク(・ジェナー)に似てるって言われることが多いんですけど、歌唱法はセドリックの方が近いというか、ルークは余裕を持って歌うけど、僕は限界ギリギリまで叫ぶので、セドリック寄りなんですよね(笑)。あと初期のthe telephonesは歌詞の書き方がカットアップだったので、それもセドリックの影響だったかもしれないです」

 

アット・ザ・ドライヴ・イン
 

ATDIのおかげで、ステージでは好き勝手やっていいと思えた

――実際に初めてライヴを観たのはいつですか?

「再結成後の〈フジロック〉(2012年)です。レディオヘッドを蹴って、最前で観てました(笑)。オマーのお母さんが亡くなった後だってネットのニュースに出てたので、〈頑張れオマー!〉と励ますつもりでダイヴしまくりました(笑)」

――ライヴ自体に対しては、どんな印象でしたか?

「オマーがそういう状態だったので、再結成前のライヴを観てる人からすれば、〈あんまりよくなかった〉と言うんでしょうけど、僕は自分が若い頃に聴いてた曲が生で聴けるという、それだけで幸せでした。そのときはまだジムもいて、ジムのコーラスも好きだったから、〈本物だ〉と思いながら観てましたね。セドリックが竹ぼうきを掲げて出てきたのも面白かったし(笑)」

――ちなみに、the telephonesがアフロを被ってステージに出てくるのは、やっぱりディスコに対するオマージュだったんですか? セドリックとオマーに対するオマージュだったりもしたのでしょうか?

「あれはただ賑やかしたかっただけで、あんまり深く考えてないです(笑)。僕らがやってたのは、かっこつけることに対してのカウンターだったんですよ。当時って、タレント寄りのかっこよさを追求してるバンドが多くて、ライヴハウス育ちの人間としては、それにすごく嫌気が差してたんです。なので、the telephonesは〈とことんふざけ倒してやろうぜ〉っていうのがあって、それでああなりました(笑)。僕がかけてたサングラスも、ロック・バンドが何万円もするサングラスをかけるみたいな風潮に対して、〈じゃあ、俺は100均だ〉という。サーストン・ムーアも一時期ふざけたサングラスをかけてたりしたけど、そういうカウンターをポップにやれたらかっこいいなって思ってたんですよね」

――ATDIも、まさにカウンターな存在でしたよね。当時で言えば、いわゆるヘヴィ・ロックが商業化していく中で、そことはまったく違うスタンスだった。

「やっぱり、ATDIは音楽自体が革新的だったと思うんです。いわゆるエモ的な曲作りの枠を超えていたというか、どちらかというと初期のエモだとは思うんですけど、リズムを紐解くと、ラテンみたいな要素もあったり、オマーとセドリックはデ・ファクトでダブもやってたし、いろんな音楽的要素が混ざって、それが感情的に爆発してるのがATDIだったと思うんです。そういうジャンルに縛られないところ、唯一無二な感じが好きでしたね」

――ライヴは野生的なんだけど、楽曲からはインテリジェンスが感じられますよね。デビュー時のthe telephonesの近くには9mm Parabellum Bulletとかがいて、彼らもそういう存在だったというか、当時の日本でもカウンターだったと思うんです。

「滝(善充)のステージングも激しいですもんね。でも、呑みながらATDIの話をしたことはないかな。メタルの話しかしないから(笑)」

『Vaya』収録曲“Heliotrope”
9mm Parabellum Bulletの2007年作『Termination』収録曲“Termination”
 

――音楽性はメタルなんだけど、ステージングは重くなくて、そこが新しかったわけですよね。

「確かに、エモとかポスト・ハードコアを通過したものですよね。だから、シンパシーを感じて仲がいいのかもしれない。で、いまの若いバンドたちもそういうところから知らず知らず影響を受けてるんでしょうね。まあ、もっと大本で言えば、MC5とかだと思うんですけど、そういう連鎖っていいですよね」

――脈々と続いている広義の意味でのパンクの歴史がある中で、いまの30代の中には〈ATDIがファースト・インパクトだった〉という人が多い気がします。

「オマーとかギター弾かずにスライディングしてたり、ホント好き勝手やってたから、ステージは自由でいいんだなと思いましたね。テレビ番組に出たときも、演奏終わった瞬間にギターを放り投げて、アンプ飛び越して帰っちゃったり、〈かっこいいなあ〉と思いながら見てました」

――当然、自分のステージングにも影響を与えている?

「影響受けてると思います。僕も回し蹴りしてマイクスタンド曲げちゃって、謝りながら買い取ったりとか何回かしてるんで(笑)。〈そのときの感情を全部ステージに置いていく〉というスタンスでやってたのは、ATDIの影響でしょうね。だから、そこらへんのパンク・バンドよりパンクだなって思ってたんですよ。形式ばったファッション・パンクより、こっちの方が全然いいやって。ホントに、ヒーローでしたね」

ATDIの2001年のライヴ映像