プリンスとマイルス――生演奏とプログラミングの中間にある新しいサウンド

また、僕のミシェルの音楽に対するイメージはドラムの特徴的なサウンドにもある。彼女の音楽は最初期のころから、フルセットのドラムが想像できないような音がしている。2つ、もしくは3つくらいの太鼓でサウンドが作られている印象があり、スネアとシンバルだけとか、様々な組み合わせはあるものの、一貫してドラムの音色が限定されていることがほとんどだ。そして、同時に手数も多くない。音色と音数が指定され、的確に打ち込まれているようなドラムが鳴っている。それはプリンスがソロやタイムなどの時にリンドラムで打ち込んでいた音と同じような雰囲気がある。ミシェルはバンドでミュージシャンに演奏させることにかなりこだわりはありつつも、まるで打ち込みのようなドラムを叩かせている部分がかなりあるのだ。

それは『Comfort Woman』(2003年)がわかりやすい。全編ダビーでコズミックなバンド・サウンドを聴かせるこのアルバムでは、クリス・デイヴの起用法が実に特殊なのだ。生演奏でヒップホップのビートを叩くために、イレギュラーなサイズや音色のスネアやシンバルをいくつもドラムセットに追加していることでも知られるクリスのその音色やテクスチャーは活かしながらも、曲ごとに限られた音色だけを指定して叩かせ、手数もグッと抑えさせている。クリスの奔放さは抑え、彼が持つ音色の美しさやタイム感、繊細な表現に注力させることで、他では聴けない彼の魅力を引き出している。

2003年作『Comfort Woman』収録曲“Love Song #1”

クリス・デイヴが4曲で起用されている『The Spirit Music Jamia』(2005年)でもそれは変わらない。絞り込んだ音色と手数で機械のようなクールな正確さを求めるリズムは一聴してモノクロームだが、その白と黒の枠の中で奥行きや立体感を表現できるクリス・デイヴや(フライング・ロータスなどにも起用される人力テクノ・ドラムのパイオニアの)ディアントニ・パークスのような名手を参加させることで、ミシェルの作品でしか聴けないサウンドが鳴っている。

そんなサウンドを生バンドのアンサンブルとして生み出す部分と、多重録音でレイヤーを重ねながら作るような部分を高度に共存させているのがミシェル・ンデゲオチェロの音楽なのだろう。全ての楽器をアンサンブルとしてまるでパズルのように組み上げながら、同時にそれを生演奏でグルーヴさせる彼女の音楽は、生々しさと作り物感が同居した実に奇妙で美しいものだと思う。

その奇妙さは、90年代以降のヒップホップ以降の〈ビートメイカー〉の感覚というよりは、80年代のプリンス的な〈多重録音〉の感覚に聴こえるから、なのかもしれない。生演奏とプログラミングの狭間にある新しさを表現していながらも、(そして、同じようにボブ・パワーが関わっていながら)エリカ・バドゥやディアンジェロとはどこか違うのは、そういったプロデューサー的感覚の差異に起因するのかもしれないとも思うし、プリンス同様に彼女自身が誰よりも個性的な〈演奏者〉であるからかもしれない。その後、ヒップホップに振り切った『Cookie: The Anthropological Mixtape』(2002年)をリリースして高い評価を得る(し、僕も個人的に大好きな作品だ)が、その後、彼女が同じような路線のサウンドをやらなかったのは、そんな自身の音楽性とヒップホップとの相性を考えたからかもしれない。

ちなみにミシェルがジャズ・ミュージシャンと共にジャズに挑戦したと言われている『The Spirit Music Jamia』は、ミシェルの方法論を70年代のエレクトリック・マイルス的なサウンドやオーガニックな音色とテクスチャーのなかでも実践しようと試みた1枚とも言えるかもしれない。マイルス・デイヴィスそっくりの演奏を得意とするトランぺッターのウォレス・ルーニーの起用をはじめ、ウェイン・ショーターのようなプレイを聴かせるケニー・ギャレット、ピート・コージーのようなギターを弾くブランドン・ロスが聴ける“Ai-Falaq 113”にはマイルスを意識していることがはっきりと感じられるし、“Papillon”ではジョー・ザヴィヌルっぽいシンセも聴こえる。だが、そこには70年代マイルス的な混沌ではなく、80年代マイルス的なレイヤー感とコントロールされたサウンドが聴こえてくるのが面白い。そして、ジャズ・ドラムの巨匠ジャック・ディジョネットを全く自由にさせないことで彼の美しい音色やタイム感を引き出した“Luqman”を含め、多くの楽曲でドラムを叩くクリス・デイヴに関しても、ドラム・サウンドの美意識はこれまでと変わらない。

2005年作『The Spirit Music Jamia』収録曲“Papillon”