キャリア20年、アルバム10枚、40歳という節目を迎え、その眼差しは武道館へ。昭和レコードのトリオ作『MAX』も控え、その熱はやはり『話半分』では済まない!

自分の中の熱量が高かった

 【前号からの続き】エイプリルフールに『話半分』をリリースすると同時に、来年1月11日の〈おはよう武道館〉開催を発表した般若。長らく目標に掲げてきた大舞台へ向かうチャレンジャーとしての心情は、アルバムのラストを飾る“ぶどうかんのうた”で語られている通りだ。今回は同曲を中心に新作に込めた思いを訊いてみよう。

般若 話半分 昭和レコード(2018)

 

――まず、アルバムを作り出す時点で日本武道館は決定されてたんですか?

「“生きる”を出した去年の5月ぐらいにもう話はしてたんですけど、まだ確定ではなかったです。アルバム自体も10月の段階で一回作り直してるんで、いろいろ結果的には発表のタイミングが合った、みたいな」

――その10月に出来上がった作品から足し引きして『話半分』になった?

「3曲減らして、4、5曲増やしたって感じっすね。最初はもうちょい堅いアルバムだったかな、うん。“生きる”で始まって、2曲目は“3時56分”で……って考えてたんすけど、〈これはマニアックすぎるぞ〉みたいな(笑)。悪くなかったけど、自分の中で少し引っ掛かってたっていうのが答えだったんでしょうね。で、曲も入れ替えて作り直しました。後から足したのは“虎の話”“君が居ない”“乱世”、それと“MY WAY”あたりですね、はい」

――それこそ“君が居ない”や“乱世”からの最後にかけての展開は、ラストの“ぶどうかんのうた”に向けて流れ込んでいくような印象を受けました。

「あ、そうですね。作り終わってみて、凄い流れがあるなって思いました。今回はわりかし聴きやすいアルバムではあると思うんですよね。『グランドスラム』の時もそういうのを考えてたし、あれはあれで良いアルバムなのかなとは思うんですけど、考えすぎたかなっていうのはありました。今回はもうちょい言葉にフォーカスを凄い絞って、しっかり作っていったかなっていう」

――その前作『グランドスラム』って、いま振り返ってみるとどういう作品でした?

「ちょっとベスト・アルバムっぽいような感じはありますよね。ヴァリエーションもあるし。けど、次を作る時にはさらにレヴェルアップしなきゃいけないなって思ってたんで、どうやって人の心に残るか、今回はそのやり方を凄い考えてました。ラップが巧ければ伝わるわけでもないし、言葉数がどうとか、フロウを三連でハメてどうとかじゃなくて、人に伝えるっていうことがいちばん難しいので。で、いつもは自分が信頼してる然るべき人に聴かせて、その時の反応を見て考えたりするんですけど、今回はほぼ誰にも聴かせなかったんです。たぶん自分の中の熱量が高かったんだと思うし、今回は人に意見を仰ぐようなテイストの作品じゃなかったのかもしれないです。自分が一曲一曲に対して置きに行ってないか、ちゃんと100点、120点を上回ることができてるかっていうところに凄い重きを置いて、内容的なところ、伝えるっていうことを凄い重視しました。あと、前作ぐらいからエンジニアとしても関わってるFUMIRATCHの意見も凄い大事でしたね。そんななかで、まず“生きる”が出来て、その後で結果的に“3時56分”を作る羽目になったんです。とある人の死に触れる機会がありまして、俺の中で答えが見つからなくて。世界的に見たら人の死なんて毎日あることだけど、そこから過去の自分の友達が死んだこととかを思い出したりして……それで、ふと時計を見たら3時56分だった、っていう。最後に〈ありがとう〉って言ってるのは俺の息子なんですけど、それが入るか入んないかで全然違う曲になったっていうか。救われた気持ちになったっていうか。まあ、勝手な位置付けなんですけど、後々に振り返っても凄い大事な曲になると思いますね」

――でも、“生きる”を作られた後にそういう出来事があるっていうのは……。

「そう、皮肉なもんですよね。考えさせられることです。それがあってからアルバムを作り出して。何となく頭の中でイメージはしてたんですけど、結果こうなって、それに対しては凄い満足はしてます。やっぱ、10枚目にしていちばん良いアルバムになったんじゃないかな。やるからにはアップデートしなきゃいけないし、自分で自分を超えていかなきゃいけないし」

――そうですね。“あの頃じゃねえ”もありましたし、『グランドスラム』を到達点みたいな印象で受け取っていたところがあって、〈この後どうするのかな?〉と思ってたところもあったので。

「まあ、“あの頃じゃねえ”みたいな曲は作るの簡単だったっすよ、正直。KOできる右ストレート、みたいなところはあったんで。それはあのタイミングでちょうど良かったとは思うんすよね。だからって同じことやってたらダメだと思うんです(笑)」

――とはいえ、あの曲を経て、いろんな過去をちゃんと消化できたような部分は新作にも繋がってる気がします。

「うん。10枚作って、過去にある程度ケジメはつけられたと思います。自分の中でコンプレックスだった部分とか、そういうものはここで終われたのかな。音楽と関係なく働かなきゃ金がなかった時の気持ちとかは“何者でもない”で歌ってる通りだし、辛い経験をして良かったなと思うんすよ、いろんな意味で。このアルバムは年齢や世代に関係なく、聴いた人が好きに受け止めてもらって構わないですね」

――それがあっての“ぶどうかんのうた”ですが、アルバムを作り直される前から武道館が決まる前提で作っていたんですね。

「リリックもほぼほぼ変わってなくて、けっこう最初のほうに作ってました。Kiwyのトラックは初めてなんですけど、聴いた時に浮かびましたね。最初に貰ったトラックはガチャガチャ展開してたんで、〈そうじゃなくて、最初のループだけでやってくれ〉って(笑)。〈このドラムロールが大事だから〉って。〈これ、ゴールに向かっていくようなことができるはずなんだよ〉って自分の中で思って」

――高まるような、高まりきらないようなループで、ラストの曲だけど、ちょっとイントロみたいな雰囲気があって。

「そうなんですよね。こう、ずっと歩いて行くような。最後にちょっと走ってって、ゴールがフッと見えて、終わる、みたいな感じなんで」

――凄い良い終わり方だし、すべてがラストに向かう流れが作られているような。

「そうっすね。良い映画だなって感じっすよ、ホント。別のインタヴューで〈短編集を読んでるみたいだ〉って言われて、それも凄い嬉しい表現だなっていう」

――曲中では妄走族のK5Rさんと初めて武道館に行った昔の話から始まりますけど、その時に観たのは……。

「(長渕)剛さんっすよ、もう」

――般若さんにとって武道館ってどういう場所でした?

「やっぱ特別ですよね、それを観て、その観に行った人に縁があって繋がって、〈お前、武道館で前座やれ〉って言われたのが2005年ですけども、その頃は生きてる意味みたいなのが自分で見い出せてなくて。ただ、持ってるものをすべて出し切って、終わった後に、あの人が何も言わずに俺のことを抱きしめた時に、俺の中でたぶん何かが変わってったと思うんすよね、そこから。人生の価値とか自分の生きてる意味だったりとかを考えはじめるようになって。まあ、遅かったですけど。そこからの現在って感じですね」

――昨年はAK-69さんの客演でも武道館には立ちましたが。

「AKの時はもう次に自分がやるのも決まりそうなタイミングだったので出ましたけど、Zeebraの時は一回断ってるんで。観る側としてはAIちゃんのも行ったし、SKY-HIのも行ったし、いろんな人のライヴも行って、もうずっと挫折と葛藤ってのがありました。そこだけがすべてじゃないけど、ひとつ胸を張れるようなものが欲しかったんですよ」

 

ある意味ではスタート

 20年のキャリア、10枚目のソロ作、今年で40歳という節目。その意味では昭和レコード設立から10年という区切りもあるわけで、このたび昭和の日に登場するのがレーベル仲間のSHINGO★西成とZORNを交えたトリオでのアルバム『MAX』だ。重々しい“WTF”で幕を開ける同作は、ほぼ全曲で3人が揃い踏みしたストロングな新曲群に加え、“GO”や“HUNGRY”などの配信シングル、さらには“最ッ低のMC”“ラパッ”のリミックスも収められた豪快な一枚となる。

般若,ZORN,SHINGO★西成 MAX 昭和レコード(2018)

――昭和レコードを作って最初の『ドクタートーキョー』から10年ですけど、最初の大きな転機というのはそこだったのかなっていうのが。

「そうですね。海外ドラマ的に言うと、4枚目の『ドクタートーキョー』からがセカンド・シーズンだった感じかな。3枚目の『内部告発』の後に作品を出せない時期があって、そこから無理くり〈UMB〉に出て何とか優勝もできて、もう一回名前が上がったり。そうやって取り返そうとして動いてた時期でした」

――言わずもがなですけど、昭和レコードってどこから取った名前なんですか?

「長渕剛さんの『昭和』ってアルバムがホントに好きで、何か自分でやる時は〈昭和〉って名前を付けたいなって思ってたんすよ。ねえ、もう平成も終わるっていうのに(笑)」

――そうやって個人ブランド的な感じで始まって、そこに新たに2人が加わって。

「SHINGO★西成は良いラッパーだし、あの人もやっぱ苦労人なんで、彼の叫んでることって、いまの日本の社会において物凄い大事なことだし、もっともっと評価されていい人間のひとりだと思います。ZORNもそう。あれだけ生活に密着してて、優しい気持ちになれるラップができる人って、たぶんそんなにいないと思います。彼も唯一無二の人じゃないかな。ただ、たまたまこの2人が揃っただけで、次は全然違うタイプもありえるかもしれないし、この3人で完結かもしれないし」

――第4弾は簡単に出てこなそうです。

「まあ、変に増えないで良かったんじゃないかな(笑)。人ばっか増えて話題を作っても仕方ないし、みんな〈音源はちゃんと出していこうね〉ってところもあるんで」

――確かに、音源をコンスタントに出してワンマンもきっちりやって、みたいな部分は3者の共通点のように思います。

「そうっすね。だから『MAX』は遅かったぐらいのアレだけど、ここで出せて良かったかな。『話半分』とは全然違いますからね。『話半分』は客演なしで一人でやって良かったと思うし」

――個々にテーマ性の強い作品を出されてきているので、『MAX』はそれぞれのラッパーとしての強さみたいな感じが純粋に出てる気がします。

「とある題材があっても、3人の間で全然違うこと言ったりとかしてますからね。こういう作品はそういう楽しみ方もあるんで。聴く奴が聴けば〈これ、あのことを言ってんな〉とかもあるし。結果的にみんなの色が出せたんじゃないかな」

――はい。では、こうしてアルバムが2枚完成して、あとは年明けの武道館へ向かう感じになりますが。

「まあ、具体的には内々で揉んではいますけど、どの曲をやる?みたいなのも、ビックリ箱みたいなもんじゃないですか(笑)。俺が嫌いでもみんなが好きな曲とかあったりするし、〈よ~し、実はこれ好きだろ?〉って歌ってみてコケたら傷つくし(笑)。地方とかで古い曲をやるとたまにあるんですよ、〈それ、知らないです〉って。時代が巡って、それだけ新しい人が来てるって思うと、喜ばしいことではありますけど」

――ちょっとしたゴールみたいな意味合いのあるメモリアルな日になるとは思うのですが、それが般若さんとしてのゴールではないわけですからね。

「ある意味スタートな部分もありますからね。曲で例えたら、ここまでがイントロとは流石に言わないけれども、まだ尺だったりヴァースがどのくらい残ってんのかな?って。まあ、般若としての集大成を見せる日が1月11日っていうのは決定してるんで、ステージに上がる直前までの気持ちは一生忘れちゃいけないと思ってます、後のことは記憶がなくなっても。フィジカル的なところは、もういまから計算して身体を作ってはいるんで、まあ、そこに関しては10年近くやってますから、普通の39歳、40歳とは違うんで(笑)。あとはやっぱメッセージだと思うんですね。俺が伝えられることはそんなにないけど、そのメッセージをどうみんなが受け取ってくれるか、それを見たうえでまたどういう影響を及ぼしていくか、はい。その後に何かが良くなったりとか、誰かのプラスになったりとかしたら、それはもう万々歳です」

――長い助走期間ですよね?

「そう、だから俺は1月11日まで2018年が終わらないんですよ(笑)。前も渋谷公会堂とSHIBUYA-AXで1月にやって、〈もう1月はやめよう〉とさんざん言ってたのに、今回はしょうがないなっていう。もともと俺はライヴ前とか余裕ないんすよ、いっつも」

――気が重い年末年始になりそうですね(笑)。

「そう、だから、みんなチケット早めに買って安心させてくれ、みたいな(笑)。前売りのほうが得だし、俺も安心するし、みんなのこと好きになれるし、っていうところはありますね、はい(笑)」