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ジョニー・グリーンウッドの『ファントム・スレッド』-官能の彼方を見据える音楽-

 ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)の『ファントム・スレッド』では、ほとんどの場面をジョニー・グリーンウッドの音楽が覆い尽くしている。それどころか、ときに音楽はシーンが始まる前から鳴りだして、予め場面のメンタルな方向性を規定してしまう。PTAの前作『インヒアレント・ヴァイス』で、映像に注釈をつけていくような控えめな音楽をそっと添わせていたグリーンウッドからは想像できないくらい、音楽は前面に迫り出している。なぜ、こういうことになるのか?

 PTAがロンドンの仕立屋を主人公にしたことは、この映画に圧倒的な官能性をもたらしている。手の味わう布の感触、自動車の走行の異様なスピード感、料理から漂う濃厚な匂いと味……。繊細を極めた天才ドレスメーカーの張り詰めた神経が捉える世界を、五感全てを刺激する圧倒的質感の映像が、表現している。

 特にこの映画の物音たちは、触覚的とも言うべき強い感触を持っている。縫製の衣擦れの音、暖炉の薪の弾ける音、朝食の食器の音、全てが肌に届くような響きで芸術家の過敏な神経の緊張を伝えてくる。かくも強く感覚を刺激してくる音たちに、音楽は拮抗する。かかる感覚の檻に捉われた人間に、恋愛がどれほど残酷な運命的試練を与えるか。感覚の愉楽から、恋がどんな風に人を心の世界に連れ戻すか。そんな人間のドラマを、音に伍する強度を持った音楽は示そうとする。

JONNY GREENWOOD Phantom Thread Nonesuch(2018)

 手と布の陶酔的な戯れには、剣呑なオスティナートの連なる音楽が不安と焦燥を混入させる(《The Hem》)。恋人アルマ(美と幸福のミューズ)の所作を讃える甘美なストリングスには、プリペアド・ピアノのひしゃげた音と不協和音が衰弱と死の影を投影させる(《Alma》)。人の営みに宿命的な意味を見出し、感覚の混沌(カオス)の虜囚となった人間を、人の生きるべき世界(コスモス)に還す神の視点を、グリーンウッドの音楽は導入しているのだ。

 


FILM INFORMATION

『ファントム・スレッド』
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
音楽:ジョニー・グリーンウッド
出演:ダニエル・デイ=ルイス/ヴィッキー・クリープス 他
◎5/26(土)シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館ほか 全国ロードショー!
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