10代のディランが故郷の道を歩いている。~すべてのはじまりはここから。

 いま、ボブ・ディランは『フジ・ロック』のステージにあがっている。2016年度のノーベル文学賞を受賞したのは記憶に新しいが、77歳で文学/音楽活動は変わらない。いま、わたしは部屋で、『ノー・ディレクション・ホーム』を、手にもって読むのはかなり負担がかかる、分厚い英語の辞書とほぼおなじほどの翻訳本を、パソコンの脇においている。著者ロバート・シェルトンは1995年に亡くなった。ディランのノーベル賞など想像することはなかっただろう。原著初版は1986年だが、すべてがおもいどおりのものではなかった。いまの、完全なかたちになるには2011年の新版を待たねばならなかった。

ロバート・シェルトン,樋口武志,田元明日菜,川野太郎 ノー・ディレクション・ホーム ボブ・ディランの日々と音楽 ポプラ社(2018)

 十代半ばのディランが故郷の道を歩いている。伝記はそこからはじまる。

 情報量が多い。容易には消化しきれない。ときにページからページへ行ったり来たり。ときに閉じたり。ときに適当な箇所を開いたり。インデックスもあるから何らかの固有名をたどってみたりもし。そうして、ディランのみならず、その人物が身をおいた1960年代、1970年代の社会、アメリカ合衆国の一地域、ユダヤ系移民の生活といったものを読み手は垣間みてゆく。

 ディランの生に沿ってゆく。沿ってゆくのだが、かならずしも、単線的ではない。ある時代を中心に述べていても、のちに本人やまわりにいた人たちからひきだしたはなしが挿入され、その「はなしをきいた」時代と場所とがもとの時代と場所と接続されたりする。あいまあいまにはちょっとしたレトリックで背後にあるものを、暗示やふくみを感知させもし。

 もしディラン本人の伝記に興味がなかったとしても、「時代は変わった」と題された最初の部分、Preludeは読んでみてほしい。文字に記され印刷されるより前、声が、ことばが、文学があったことを意識する。第6章には「ロール・オーヴァー・グーテンベルク」とタイトルにつける。小説『タランチュラ』を声によるテクスト――このタイトルも織物をつくりだす生きものをさす――と喝破する。こんな著者シェルトンの慧眼に、長大な伝記を書き記す力量に、きっと、嫉妬するだろうから。