伝説の〈ロイヤル・アルバート・ホール〉公演を再現!
「5歳の時に聴きはじめて以来、他のどのソングライターの作品よりもボブ・ディランの曲は私に語りかけ、インスピレーションを与えてくれた」。
そのようにレジェンドへの敬意を惜しまないキャット・パワー。2022年11月、彼女はロンドンでロイヤル・アルバート・ホールのステージに立ち、ディラン史上もっとも伝説的なライヴセットのひとつを全曲演奏した。このたび音盤化された『Cat Power Sings Dylan: The 1966 Royal Albert Hall Concert』で彼女が再現したのは、ディランが66年5月にマンチェスターのフリー・トレード・ホールで開催し、ブートレグ盤の誤りによって当初〈ロイヤル・アルバート・ホール・コンサート〉として知れ渡ったライヴからの15曲だ。ディランによる実際のライヴの模様は、現在では『The Bootleg Series Vol. 4: Live 1966, The “Royal Albert Hall” Concert』として公式リリースされているが、その日のパフォーマンスが語り草になっているのは、ディランがショウの途中でアコースティックからエレクトリックに切り替えたことで、フォーク純粋主義者の聴衆から野次を飛ばされるというハプニングと、それに伴う演者側の独特の緊張感ゆえだろう。
CAT POWER 『Cat Power Sings Dylan: The 1966 Royal Albert Hall Concert』 Domino/BEAT(2023)
もともとカヴァーにも定評があり、昨年の『Covers』も含めてカヴァー主体のアルバムを3枚発表しているキャット・パワーながら、彼女がディラン経由のナンバーを最初に取り上げたのはそれよりも前、98年作『Moon Pix』にて披露した伝統的なフォーク・ソング“Moonshiner”だ。同曲のディラン版は91年に『The Bootleg Series Volumes 1-3: Rare & Unreleased 1961-1991』で蔵出しされた63年の録音。なかなかの選曲だが、彼女にとってもこれは当時のボーイフレンドに聴かせてもらった思い出の曲らしい。
以降の彼女は『The Covers Record』(2000年)にて“Paths Of Victory”を、映像作品「Speaking For Trees」(2004年)で“Knockin’ On Heaven’s Door”をそれぞれ披露し、ディランをモチーフにしたトッド・ヘインズ監督の映画「アイム・ノット・ゼア」(2007年)のサントラに“Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again”を提供。それから『Jukebox』(2008年)では“I Believe In You”を取り上げているが、その制作時にディラン本人に初対面が実現したのを受けて“Song To Bobby”をみずから書き下ろして収めているのもポイントだろう。
今回あえて本物のロイヤル・アルバート・ホールを選ぶあたりもヒネリが効いていると思いきや、このシチュエーションは計画したものではなかったという。
「そもそもイギリスではフランス、日本や南米と同じく支持を受けてきたから、どうしてUKツアーが実現しないのか、悩んでいた。そしたら昨年〈急な話だけど、11月5日のガイ・フォークス・デイにロイヤル・アルバート・ホールで演奏しないか?〉というオファーが突然あって、〈ディランの曲のみで構成したセットでOKならぜひやりたい〉と即答した(笑)。ボンファイア・ナイト(11月5日)は〈革命の夜〉だからもう最高だった!」。
レコーディングのたびにバンドを新しく作るという彼女は、ライヴ録音することも前提に馴染みのエリック・パパロッチ(ベース)から初顔合わせの面々までディランの楽曲を熟知したミュージシャンを選び抜いたそう。そうやって歴史的な夜を彼女自身の表現にした一夜のパフォーマンスの何たるかは『Cat Power Sings Dylan: The 1966 Royal Albert Hall Concert』を実際に聴いて確認してほしいが、オリジナルに漂う不穏さや緊張が彼女固有の温かみで包まれているのが印象的で、女性的な視点で歌われる“Just Like A Woman”など、聴き進めるごとに再現の意味よりも楽曲それ自体の魅力がしみじみと伝わってきて心地良い。
前半をアコースティックで披露し、グルーヴィーな“Tell Me, Momma”からの後半でフル・バンドのエレクトリックに移行するのはオリジナルと同じ。“Just Like Tom Thumb’s Blues”の滋味深さ、ラストの“Like A Rolling Stone”のとんでもない眩しさまで聴きどころは多いが、なかでもキャッチーなハイライトになるのは、うらぶれた“Ballad Of A Thin Man”が始まる直前、オリジナルへの敬意を込めて観客のひとりが〈ユダ!〉と叫ぶ場面(オリジナルで野次が飛ぶ場所とは違っているが……)。そこでキャット・パワーは咄嗟に一言、〈ジーザス〉と返して歌いはじめる。
「あれは衝動的なものだった。観客がオリジナルのショウの場面を再現してくれるとは期待していなかったけど、その事実を正したいと思った。ある意味、ディランは曲を書く私たち全員にとって神だから」。
左から、キャット・パワーの98年作『Moon Pix』、2000年作『The Covers Record』、2008年作『Jukebox』(すべてMatador)、2022年作『Covers』(Domino)、2007年のサントラ『I’m Not There』(Columbia)、ボブ・ディランのライヴ盤『The Bootleg Series Vol. 4: Live 1966, The “Royal Albert Hall” Concert』(Legacy)