ティモシー・シャラメ主演、ジェームズ・マンゴールド監督の映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」が2025年2月28日に日本公開された。ボブ・ディランがニューヨークに移住した1961年に始まり、フォークの貴公子や時代の寵児・代弁者に祭り上げられたあと、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでエレクトリックバンドでのライブをおこなって賛否両論を巻き起こすまでの期間を描いた作品である。

それにあわせてMikikiは、映画が描く時期のディランのアルバム6作をレビュー。半世紀にわたって繰り返し語られてきた名盤の数々を新たな観点から捉え直した。当時の時代背景や歴史的な意義を改めてなぞるのは他稿に譲ろう。この記事では、後追い世代の書き手がそれぞれの視点、今の耳で聴いた〈ディランの歌〉を楽しんでもらえたら幸いだ。 *Mikiki編集部


 

Bob Dylan/ボブ・ディラン(1962年)
by 谷口 雄

BOB DYLAN 『Bob Dylan』 Columbia(1962)

ボブ・ディランのレコードを棚から適当に掴んで順番に聴いていくと、一体何が本当のディランなのか分からなくなってくることがある。『Nashville Skyline』の済んだ歌声、スライ&ロビーを従えた『Infidels』、ボノ(U2)に導かれダニエル・ラノワの音響に飛び込んだ『Oh Mercy』などなど。多くのリスナーが経験してきたであろうこの混乱は、ディランが60年を超えるキャリアの中で、自在に変幻し続けてきたことの証でもある。そのはじまりとなった本作は、当時20歳のロバート・アレン・ジマーマン青年が、どのようにボブ・ディランというキャラクターに変幻したのかを知る上で重要な作品といえる。

収録された12曲のうち、10曲がトラディショナルなフォークやブルースのカバー。“Baby, Let Me Follow You Down”の冒頭でも言及しているように、エリック・フォン・シュミットやデイヴ・ヴァン・ロンクといった先輩フォークシンガーのレパートリーも含まれており、コーエン兄弟が「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」で描いたような、当時のグリニッジ・ヴィレッジの情景が目に浮かぶ。ディランの卓越したギターやハーモニカの腕前はもちろん、ランブリン・ジャック・エリオットやウディ・ガスリーの影響をもろに感じるディランの歌声は、彼のディスコグラフィーの中でも特に力強くエモーショナルに響いてくる。

自作曲は“Talkin’ New York”と“Song To Woody”の2曲。ウディ・ガスリーに捧げられた“Song To Woody”は「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」でも印象的なシーンで歌われており、鑑賞後は特別な感慨をもって聴くことになった。

本作を聴き終わって、やっぱりディランはフォークだよな、と一応の納得をしたところで、ジャケット写真のギターの弦の張り方が逆になっていることに改めて気が付いてぞっとしてしまった。ギターのネックがコロムビアのロゴと重ならないように写真を反転させているだけなのだが、それさえも人を食ったような演出に思えてしまう。やはり一筋縄ではいかないのがボブ・ディラン。またも迷子になってしまいそうだ。