サウス・ロンドン発、若きラッパーがキャリアを前進させる新作『Not Waving, But Drowning』
ロイル・カーナーは、トム・ミッシュやジョルジャ・スミス、キング・クルールの活躍で近年注目を集めるサウス・ロンドンから登場した若きラッパーだ。前作『Yesterday's Gone』が2017年のマーキュリー・プライズのアルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされたほか、翌年のブリット・アワーズでも複数部門にノミネートされるなど、既に評価も固めつつある。4月19日にリリースされる彼のセカンド・アルバム『Not Waving, But Drowning』にも期待が高まるばかり。実際、期待を裏切らないばかりか、前作から見せていたストーリーテリングの巧みさとどこか人懐こいメロウなビートの力をスプリングボードに、着実にキャリアを前進させる一作だ。
LOYLE CARNER Not Waving, But Drowning Virgin EMI UK/HOSTESS(2019)
同作には、前述のトム・ミッシュやジョルジャ・スミスといったサウス・ロンドン勢のほか、シンガーのジョーダン・ラカイ、ユセフ・カマールでの活動でも知られるドラマーのユセフ・デイズ、東ロンドン出身のプロデューサーであるアルファ・ミストなど彼らと交流の深いロンドンのミュージシャンが多数参加。ケレラやソランジュの近作でも引っ張りだこのプロデューサー、クウェスも前作以上に深くコミットしているようだ。この顔ぶれだけでも、ロンドンの今を知らせるサウンドに期待が高まる人も多いだろう。
現行ジャズと90年代的〈ジャジー〉なブーンバップ・サウンドが融合した音楽性
前作とも共通することだが、本作のサウンドは、ヒップホップの影響を強く受けたプレイヤーが牽引する現行のジャズと、90年代の東海岸を思わせる〈ジャジー〉で耳馴染みのよいブーンバップが融合したビートに特徴づけられる。ファットさよりもくぐもった質感やアンビエンスを意識した、簡素ながら人懐こい手触りが印象的だ。2019年の1月にリリースされたシングル“You Don't Know”は、ソウルフルなサンプルづかいに加え、叩きつけるようなスネアの迫力が耳を惹きつける。他方、ジョーダン・ラカイがフィーチャーされ、プロデュースも担当した“Ottolenghi”はサンプリング主体のループ・ミュージックとは趣が異なるものの、ローズ・ピアノのメロウな響きとタイトなドラムスのアンサンブルが、レイドバックした親密さを楽曲に与えている。
“Krispy”にさりげなく挿入される〈Reminisce like CL and Pete Rock〉といったラインが示すように、実際にカーナーの影響源にアメリカのサンプリング主体のヒップホップがあることは間違いない。とはいえ、単にその影響をトレースするばかりというわけでも決してない。むしろ先述したように、90年代の〈ジャジー〉なフィーリングと、2010年代のジャズとヒップホップの接近が同居することによって、ノスタルジーには収まらない現代性を持っている。
たとえば“Krispy”自体、少しトリッキーな楽曲だ。ピアノ・ループとくぐもり気味のベース、そして遠くを漂うトランペットといったピート・ロック的とも言えるサウンド・デザインを取り入れつつ、中盤に登場するわずかなビートや、終盤の木箱を叩いたようなパーカッションのほかにリズム楽器は入っていない。まるで換骨奪胎、抽象化したかのようだ。あるいは、トム・ミッシュをフィーチャーした“Angel”は、フィルターで激しく変調されたサンプルを中心に組み立てられた、これまたピート・ロック的なサウンド。しかし、ドラムスとして参加するユセフ・デイズの見事な演奏で、ループ感覚とグルーヴの繊細な変化が同居した現代的なビートに仕上がっている。
個人的には、サンファをフィーチャーした“Desoleil (Brilliant Corners)”が白眉。この曲では、ピアノのゆらぐ倍音をフィルターで包み込みつつ、残響を残したパーカッションの独奏が続く。ブーンバップであれ、あるいは今様のトラップであれ、ヒップホップのビートではハイハットなどによる〈刻み〉が楽曲の表情に重要な影響を及ぼす。それを考えると、この曲の〈刻み〉は8分音符でグリッドを刻むブーンバップとも、ハイハットのロールで緩急をつけるトラップとも性格を異にする。かえって浮かび上がるのは、カーナーのぱっと聴きは地味で淡々としたラップがつくりだすグルーヴの着実な推進力だ。ラップにおいてライミングがグルーヴを紡ぎ出す快楽が端的に現れているように思う。
苦しみを吐露する〈手を振ってるんじゃなくて、溺れてるんだよ〉というタイトル
ここまでサウンドに焦点をあてて本作の特長を概観してきたが、もちろんそれだけでは本作を輝かせている要素を取りこぼすことになろう。
懐かしいようで瑞々しい。この表層とディテイルの絶妙な関係性は、サウンドが持つ親しみやすさと、カーナーの紡ぐリリックの、ときに身を切るような悲哀にもなぞらえられるかもしれない。アルバム・タイトルの〈Not Waving, But Drowning〉は、スティーヴィ・スミスの詩からの引用で、同名の収録曲には彼女自身の朗読がサンプリングされている。〈手を振ってるんじゃなくて、溺れてるんだよ〉という皮肉なフレーズは、表層のふるまいだけしか見ていない周囲の人間に対する、自分のうちに抱えた苦しみの吐露の言葉だ。
とはいえ、そんなカーナーのメランコリーは詩情に彩られ、さらにアルバムの冒頭と末尾をかざる母子の手紙が物語るように、家族と率直に交わされる信頼に支えられてひとつの表現としての強度へと昇華されている。前作でも中心的な主題だった家族とのつながりの物語は変化を迎え、さらに未来へと向かっている。リリックのなかのこうした主題の展開は、メランコリーと安らぎ、ノスタルジーと未来が、まさに現在のサウンドでつながるプロダクションと重なるように思える。文化的にいえばノスタルジーがうんざりするほど身の回りに溢れ、一方で社会的にはさまざまな他者――もちろんそこにはもっとも身近な他者、〈家族〉も含まれる――との向き合い方に再考が迫られるいまこそ、ぜひ聴くべき一枚だ。