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 アルバムの作業は、上記のカルテットでのツアーの合間を縫って行われたので、完成するまでにはかなりの時間を要したそうだが、それぞれの曲にとって自然な形で完成するように心がけたという。

 「とにかくたくさんの要素をまとめ上げる必要があって、それこそ映画の編集作業みたいだった。列車のSEをあの形にするだけでも何週間もかかったからね(笑)。楽器を演奏する作業には慣れていたけれど、サウンドで物語を組み立てる作業は、それとは勝手が全然違う、今までにやったことのないものだった」

 物語の要素としては列車のSEばかりでなく、“セイム・リヴァー”で聴かれるシタール・ギターやギター・シンセサイザーなども、パットの音楽では耳慣れたサウンドだ。昔から〈愛用〉するサウンドも使いながら新しい物語を紡ぐことで、作品が時を超えたものになる。

 「僕は音楽を始めてからずっと、曲を書く時には身近な人やギタリスト仲間をとくに意識してはいない。僕が常に基準にしてきたのは、バッハなんだ(笑)。ウェス・モンゴメリーもそうだな。つまり、バッハやウェスの音楽が何度も繰り返し聴くに値するのはなぜかということを、常に考えているんだ。肝腎なのはそれが信頼できるもの、つまり、それを作った人にとっての真実だということだと思う。思い返してみれば、僕の好きな音楽はどれもそういう性質のものなんだけれど、必ずしもバッハやウェスのようにミュージシャンとして完成された人たちの音楽とは限らない。たとえばキンクスの“ユー・リアリー・ガット・ミー”なんかも、同じような価値を持っている。あの曲は世に出て以来、たくさんの人たちが取り上げてきたけれど、キンクスのオリジナルの演奏の域に達しているものはない。なぜかと言えば、彼らの演奏には、あの曲を作った時に発見した真実があるからだと思うんだ。僕はそういう真実を見出す方法は無限にあると考えているし、常にそれを探っている。コード進行やものの考え方、共演するミュージシャンの中に、その瞬間でなければ二度と発見できない真実は何なのか、ということをね。あと、もうひとつ重要なのは、そうした音楽の価値を見出す聴衆の多くは、その音楽が作られた時には生まれていなかったということなんだ。だから、この音楽の価値を見出してくれる人が出てくる頃には、僕はもう死んでいるかもしれない(笑)」

 現に、パットの記念すべきソロ・デビュー・アルバム『ブライト・サイズ・ライフ』(1976年)は近年、スミソニアン大学で〈20世紀に作られた最も影響力のあるジャズ・アルバム20枚〉のうちの1枚に選ばれたが、この画期的なアルバムも、発売以後少なくとも20年以上は、ほとんど顧みられることがなかったという。制作時には可能な限り最高の、真実味のある作品を作ろうと努力していたに違いないにもかかわらず、である。