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雑多なジャンルがごった煮になった『サンセット・ギャング』

――何年頃のお話ですか?

「72年ぐらいだったかな。73年はラリーズと夕焼けが両方存在していた。そうこうしているうちに最初のソロ・アルバム『まちぼうけ』が発表になり、(レーベルの)トリオからアルバムを作ろうという話が来て、次第にどんどん忙しくなっていく。そして作ったのが『サンセット・ギャング』」

久保田麻琴 『サンセット・ギャング』 SHOWBOAT(1973)

 夕焼け楽団のファースト・アルバム。久保田麻琴のセカンド・ソロ・アルバムという意味合いもあった本作は、74年10月1日リリース。共同プロデューサーである吉野金次のスタジオ〈Hit Studio〉の階上にあったライブハウス〈ジャン・ジャン〉で無観客ライブのもと録音された。キャラメル・ママ/ティン・パン・アレーの細野晴臣や林立夫らに加え、バック・ヴォーカルに吉田美奈子や大貫妙子らが参加。レイドバック感満点のアーシーなバラードからザ・スパイダーズの有名曲をジャングル・ビートで料理した“バンバンバン”など多彩な楽曲、ブルースやジャズからカントリーやリズム&ブルースまで雑多なジャンルがごった煮になった音楽性が新鮮な驚きを与えた。

――『サンセット・ギャング』はリリース直後から話題になりましたね。

「その年はちょっとしたバンド・ブームだったんだけど、夕焼け楽団はその先駆けだった。シュガー・ベイブのアルバム(『SONGS』、75年)や、ウエスト・ロード・ブルース・バンド のような関西のブルース・バンドも少し後。彼らは、デビューが1、2年遅かったんだよ。

で、当時そういう日本のバンドがあまりいなかったせいもあって音楽雑誌ですごく大きく取り上げられたんですよ。見開き1ページだったんだけど、右側のページがブレバタ(ブレッド&バター)だったな。ちょうどイーグルスがブレイクしたり、サーファー・カルチャーも広がったりだとか、そういうタイミングで夕焼け楽団が有名になっていくわけ」

――『サンセット・ギャング』のクレジットで驚かされるのは、作詞家として活動を始めた頃の松本隆さんがドラムを叩いている曲があること。

「そういうのもホント無意識というか、偶然そうなったんだよ。正田俊一郎の叩けないような曲がいろいろあってね。いいドラムを叩くんだけど、ヒッピー道まっしぐらだったんで、彼は。ちょっと困っていたら、吉野さん(エンジニアの吉野金次)が松本くん呼ぼうか、と言いだして。まさかここではっぴいえんどとは。このアルバムでの彼の印象は、無口で、バシッと叩いて、お、さすが渋くて上手だなぁって思ったかな」

『サンセット・ギャング』収録曲“いとしのマリー”。松本隆がドラムを叩いている

――本作独特の趣として、ブルース・ジャムの“サンセット・サンセット”が入っていたりすることで。

「あれはOZでよくやっていたブルース・セッションをそのまま持ってきたもの。OZはブルース・バンドも多かったから。レイジー・キムという変わった奴がいて、アメリカの高校を出て、大学は早稲田だった。そのレイジー・キム・バンドに妹尾ちゃん(ハーピストの妹尾隆一郎)も入っていて、チャールズ・マッスルホワイトのバンドのようなしっぶいブルースをやっていた」

『サンセット・ギャング』収録曲“サンセット・サンセット”