ステージに置かれた1台のギターをまじまじと眺めながら〈感慨深いのう〉とため息混じりに呟くその男。ギターの持ち主は、東京・渋谷WWWで行われた〈Makoto Kubota presents the Age of Guitar SAMURAI vol.2 Ultimate guitar show by Yuji Hamaguchi and Ren Takada“Yuji Hamaguchi Going Home Release Party”〉の共演者、高田漣。そしてギターの元の所有主は、高田の父である高田渡だ。

ユウジさんはかつてこのギターを間近で見たことがあった。東海大学体育学部体育学科時代、ある年の学園祭に渡さんがやってきて、ライヴを行った。そのとき、まだ出来たてホヤホヤだった14フレット以上にフレットが打たれていないこのYAMAHAの特注ギター(74年に作られた高田渡のカスタム・モデルで、制作者はギター・デザイナーのテリー中本)をステージ上でお披露目していたのを、ユウジさんは明確に記憶していた。思い出のなかに住み続けていたあのギターとこうして一緒のステージに並んでいるなんて。とても愛おしそうに見つめる彼の眼。そんなことがユウジさんを珍しく感傷的な気分に駆り立てていたことは間違いない。

彼にとって高田漣は、一度お手合わせしてみたかったというギター・プレイヤーのひとり。一方、漣くんは早くからこの勝浦生まれのギタリストの素晴らしさを公言していたひとりである。これまでに会ったのは1度だけ。去年の〈Peter Barakan’s LIVE MAGIC!〉のバックステージで少し会話を交わしたことがあるだけだ。ライヴが決まってからというもの、この春リリースされた漣くんの新作『コーヒーブルース~高田渡を歌う~』を聴き込みながら、これまで何度も演奏したことのある“生活の柄”をどういうふうに披露するのか考えを巡らせていた。“系図”も好きな1曲だし、“銭がなけりゃ”だってやりたい。渋谷にやってくるまで、楽しみが尽きなかった。

J-WAVEの番組〈特集「高田漣。父、高田渡を語る、唄う。」〉動画

 

待っていた両者による“生活の柄”がライヴの終盤に登場する。このステージでユウジさんは、ふたりのミュージシャンとの邂逅を果たした。渡さんが作ったメロディーがずっと好きでした、という思いを親しげな演奏に留めながら告白していたのがよくわかった。そして、この場にはいない彼へ献じられたふたりの音色は、時空だけでなくこの世とあの世をも超えていくような魅力があった。ユウジさんにフォーカスを合わせれば、縁(えん)の不思議さを噛みしめつつ、ひとつひとつの音を紡いでいるように見えたものだ。予想もつかないことが待っているから、人生はおもしろい。それを実感するために、こうしてギターを弾き続けている。あぁ、この日のステージをあの頃のユウジさんにみせてやりたい……そんな考えを頭に思い浮かべていた人はあの会場にひとりやふたりじゃなかったはず。そんななか俺はといえばあの日ずっと、いまよりもっと精悍で野性的だった若きユウジさんが隣で一緒にライヴを観ていたような気がしていたんだけども。

WWWでのライヴから2日後、その男は秩父に居た。そこで待っていてくれたのは、笹久保伸。彼の地元であり、活動の拠点でもあるこの山間の町で、ツーマン・ライヴを行ったのだ。なんとも異色の組み合わせである。

2014年1月8日の渋谷・サラヴァ東京。ユウジさんにとって東京で2度目となるお披露目ライヴがこの日行われた。そのオープニング・アクトを務めたのが、何を隠そうこの秩父前衛派のギタリストであった。ふたりを取り結んだのは、音の錬金術師・久保田麻琴である。振り返ってみれば、あのときはまだデビューも決まっていなかったんだった。楽屋で妙にソワソワしている様子を見て、失敗したりしないようになんとか彼を落ち着かせなくっちゃ、と考えていたことを思い出す(これがライヴ前の標準状態だと知るのはすぐ後のこと)。ちなみにこの日のライヴは、同会場のハウス・レコードを記録するほどの大盛況を博し、熊野から登場した異能のギタリストの存在を広く知らしめる機会となったのである。

笹久保伸の〈PYRAMID12:30 Chichibu Avant Garde 〉でのパフォーマンス映像

 

それ以来となるから、ふたりの再会は約1年半ぶり。ところでユウジさん、秩父のことがまったくわからない、イメージすらできない、という。唯一知っているのは、昔TVで観た若秩父のことぐらい。でもこの街には、笹久保くんがいる。おまけに梅さん(タクシー・サウダージ)もいる。なんとかして行かねば、って気持ちだけはずっと持っていた。ライヴとライヴの間に時間を作ってプライヴェートで訪問するつもりだったのだが、こうしてライヴという形で再会が実現することになって、当然ながら気合は十分。前日から秩父入りして再会を祝してのパーティーを開催、タクシーさんも集まったその酒席は大いに盛り上がった。

※秩父の怪童と呼ばれた相撲力士。1958年、同時に新入幕した冨樫や豊ノ海義美と共にハイティーン・トリオと呼ばれて人気を博す 

当日の秩父は、天気は上々でポカポカ。まずは羊に会いに行くことにした。この町のシンボルである武甲山を東に望む羊山公園へ。ふたりにギターを出してもらい、おしゃべりする様子をカメラに収めていった。おしゃべりはやがて“コンドルは飛んでいく”の演奏へとスライドしていく。ふたりを繋げるのはこの曲しかない、とユウジさんからの提案で弾きはじめたのだが、会話の内容は実に素晴らしく、あっという間に今晩の共演メニューに決定。頭の上ではコンドルが優雅に輪を描いていた(のが見えた気がした)。きっと良いステージになる。

それにしてもこのふたり。実に画になるのだ。並んで立つ姿を離れたところからじっと眺めていたのだが、何やらジム・ジャームッシュの映画から出てきたような雰囲気を醸していておもしろかった。ここに女の子がひとり挟まれば、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の世界が瞬く間に出来上がる(つまりジョン・ルーリーリチャード・エドソンみたいだったってこと)。そんな笹久保氏、インタヴューアー役を務めてくれて、ユウジさんにさまざまな興味深い質問を投げかけていく。ユウジさんも大変話しやすかったようで、滑らかに返答を返している。親子ほどの年齢差があるふたりだが、まったく距離はなさそう。生まれ育った土地で自己のアイデンティティーを探るような音楽活動を行っていることにリスペクトを抱き合っているような節はもともと見受けられたものの、そもそも馬が合う関係なんだな。羊の前で佇むふたりを見ながら、その事実に気付く。

ところで、秩父を巡ってみたユウジさんの感想はというと、祭りを好きな人がたくさん住んでいることがわかったらしい。石灰開発のためにその身を削られて白い山肌を痛々しくさらけ出す武甲山を眺めつつ、なんでご神体を痛めつけたりするのか、人間って勝手な生き物だと話していたことも思い出す。

ライヴ会場である、皆野町の老舗ライヴハウス、ホンキートンクへと移動。これまで多くの著名フォーク・シンガー、ブルースマンが訪れたことが一目でわかる、隙間がないほどフライヤーが貼られている壁。そういう歴史が刻まれた場所って落ち着いた時間が流れたりしているものだが、やはりここも例に漏れず。ユウジさんも店に足を踏み入れたときから、かなりお気に入りの様子だ。このハコで濱口祐自が観たい!と思った人も少なくなかったようで、わざわざ静岡からバイクでやってきたという一団もいらっしゃった。

さて今夜も大勢のオーディエンスを極上ギターで手厚くおもてなし。熱いお客さんが多く来られており、秩父の夜は賑やかに進行していった。

「おおきに。和歌山の勝浦から来ました。秩父は初めてです。秩父のことはあんま知らなんだね。若秩父しか知らなんだよ。昔、相撲取り好きやったんでね」

緊張状態はWWWのときよりも高かったように思える。12弦ギターはめっぽう快調にうねっているし、あったかい反応につられて演奏が徐々に熱が帯びていくのがわかる。

「いつも初めていくところはオーディションやと思ってやるんやけど、星3.5いったのう、ちくしょう。これやったら大久保怜先生もええ点くれるやろのう」

しょうがねえなぁ、という気持ち混じりの笑い声が会場を包む。

「ここのマイクは感度が良くて声がよう入るんで、ひとりごとが筒抜けやのう。聞き流してください」

でもまだまだ緊張で落ちつかない。根っからのマイナス思考で、自分の実力を信用できん。そんな弱々しいMCに反して、流れ出す音色はただただ美しく、“Amaging Grace”の郷愁に満ちた音色はざわつく会場をゆっくりと黙らせていく。スライドばっかりだとインチキなヤツに思われるかもしれないからと、ゴキゲンなシャッフルのブルース・ナンバーを披露して会場を揺らす。運動神経に任せて適当に弾いたというそのヤケクソ・ブルースのカッコ良さはどうだ。ブルースなんだから気持ち良ければすべてOKだろう。そんな豪胆な口ぶりを思わせる演奏だ。

「今日は関東最後の夜。これでおしまいやさかい、火事場の馬鹿力でバッチリきめなあかんのう。例えがおかしいかい?」

野太い声援が飛ぶ。秩父はパワフルだ。さすがは若秩父の故郷だ。ただ「いまのところは抜かりないのう。これで(オーディション)合格したかのう?」という問いかけには、〈これからだぞ!〉という厳しいお声が。発揮揚々。勝負はこれからが本番。

それにしても、今日のサウンドは耳に心地良い。“The Entertainer”などはいつもよりエレガントに聴こえるぐらい。本日のライヴ・エンジニアを務めているのは、秩父のスタジオ〈STUDIO JOY〉の山口典孝。久保田麻琴も一目を置く若き実力者だ。そりゃ当然だろう。ユウジさんもまた、最高!といった反応を示しており、かなり弾きやすそうに見える。そんななか登場した、毎度会場の1/3が涙すると言われている(本人談)“何もないラヴソング”。月のように穏やかで星のように輝いて海のように大らかで山のように優しいこの歌が、ライヴハウスの扉をすり抜けて秩父の町に柔らかく響き渡っていくのが見えるようだ。素晴らしいぞ、秩父エコー。

ステージにちょこんと置かれた黄色い時計を見ながら「今日は時間があんまりないんでのう」とユウジさん。〈時計なんて気にすんな!〉とまたしても厳しいお声が飛ぶ。「あ、すみません。僕、体育会系やもんで律儀なんです。出身は、東海大学体育学部体育学科……」といつもの決まり文句を口にすると、客席から、〈俺とおんなじだ!〉という声があがる。そのお方、どうやら歳も同じらしい。まさか大学の同級生がこの秩父にいるとは。このケースは初めてだ(演奏途中、〈あんな男いたっけな?〉と呟くその人の声が聞こえてきた)。

「しあわせやのう。ほんまに人生不思議やのう。ほんのこないだまで勝浦しか知らん人生やったのに……」

スタートから40分ほどが過ぎてようやく緊張がほぐれてきたのか、心に浮かんだ言葉を丁寧に話し出す。とはいえ、面倒なチューニングもあるし、のんびりしている暇はなく「だいぶ落ち着いてきて、余計わけわからんようになってきた」とぼやいている。そんな状態のときこそ演奏も冴え渡るというもの。かなりレヴェルの高い難曲“Big City Farewell”も快適に響き渡っているじゃないか。自前のサンドペーパーで爪を研ぎながら、猫類の話をしはじめ、チーターの習性について早口で捲し立てていく。どんどん早まるテンポについていけなくなっているぞ。で、本日の“Caravan”はどうか。その日の体調のバロメーターとなるこの曲、かなり心地良いグルーヴが育まれている。いったい何回聴いたかわからないが、聴くたびに新鮮な感覚が得られる不思議な曲である。

濱口祐自の2014年作『濱口祐自 ゴーイング・ホーム』収録曲“Caravan”

 

「ライヴが終わってから安心して呑んでしまうやろ。そしたら明くる日、ギター弾いたことすらおぼえてないこともある。そんなこと多いんや。ま、過去も振り返らんし、あまり先のことも心配せん人生やけどの。かっこええな。手形押した色紙にでも書こかいのう。メモっといてください」

過去は振り返らず、とか言いつつも、唐突に〈X+Y=LOVE〉となどと言い出したり、何かというと〈アベベ〉を引き合いに出そうとしていたり、例えのネタがいちいち古い。お客さんは首をひねりっぱなしで、〈意味不明〉というクレームが飛ぶ始末。「いつまでたってもステージングが下手ですねぇ」とこぼしていて笑いが漏れていたが、それが濱口スタイル。それが最高なんだと、秩父のお客さんもわかってくれている様子。

“Great Dream From Heaven”“椰子の実”“ジムノペディ”のしっとり系3連発に続いて、お楽しみのコラボ・タイムへ。笹久保くんとのデュオはこれが初めて。前回のツーマンのときは楽屋でも喋る時間があまりなく、ちゃんと会話できたのは昨日の食事が初めてだった。「友情が深まりましたね。でも練習はしてません」と笹久保氏。とかいいながらも、“El Condor Pasa”は予想通りに素晴らしかった。質の異なる哀愁が絶妙に溶け合い、綺麗な感情の波形を作っていた。

ライヴ終了後、驚きの事実が発覚する。さきほど声をあげていた同級生の方は、なんと笹久保くんの父君だったのだ。驚くことに一緒に来場されていた母君も当時、東海大学で事務の仕事をしており、ユウジさんは彼女のことをハッキリ覚えていた(余談だが、もうひとりいらっしゃった女性事務員の方をユウジさんはお気に入りだったようだ)。「オオバさん(お母さんの旧姓)とまさかこんな場所で再会できるなんて」と話す声が感激のせいで上ずっている。それも共演相手の両親だとは。あまりにおもしろすぎる偶然。でもこういうことって実はひとつやふたつどころじゃない。久保田麻琴さんが頻繁に通っているカレー屋の女将さんが偶然にもユウジさんの幼い頃からの知り合いだったことが判明したこともあった。とにかくユウジさんと付き合っていると、〈まさか!〉という驚きの連続なのだ。

なんでユウジさんが秩父に引き寄せられてきたのか、これでわかった。縁の糸を手繰りながら歩く旅になった東京遠征。最終日はどうしてもここに来なければいけなかったのである。ドント・ルック・バックにしてノー・フューチャー・プランをモットーとし、息せき切って走る世の中に背を向けて独自のリズムを刻みつつひとり生きてきた彼だが、大きく扉を開いたいま、人とのつながりの不思議を深く実感する日々を過ごしている。いつのまにかこんなに遠くまで来ていることに驚きをおぼえつつ、なんとも不思議な人生をエンジョイしている。

というわけで、約半月に及ぶ今回の遠征を有終の美で飾ったユウジさん。秩父のことがかなり好きになったようだ。打ち上げの席では、ひょっとすると濱口さんが笹久保くんのオヤジになっていた可能性もあったかも、なんていう話でワイワイ盛り上がった。それはマジでシャレにならない。

ホテルのある川越へ向かう夜更けの高速道路。今回の秩父イヴェントのナヴィゲーターを務めた安戸さんがユウジさんに質問している。『竹林パワーDream』(現タイトルは『竹林パワーの夢』)はなんであんなに切ないのかと。「30代は切なかったもん。俺の人生切ないことばっかり」、酔いがかなり回っていることのわかる、よれた声がそう答えた。聞きなれた声のトーン。ただ何やら、いつもの人懐っこさが感じられない。ユウジさんが漏らしたこの呟きのニュアンスにとても近いもの。それこそが『竹林パワーDream』の端々から零れてくる音色そのものじゃないか、ってはたと気づく。 “遠い日の夢”の胸を締め付けるような旋律を思い出しながら思わず泣きそうになる、そんな埼玉の夜だった。

★笹久保伸と濱口祐自の共演ライヴが行われた一日を振り返る連載〈秩父は燃えているか〉第10回はこちら

★連載〈その男、濱口祐自〉の記事一覧はこちら

 

PROFILE:濱口祐自


今年12月に還暦を迎える、和歌山は那智勝浦出身のブルースマン。その〈異能のギタリスト〉ぶりを久保田麻琴に発見され、彼のプロデュースによるアルバム『濱口祐自 フロム・カツウラ』で2014年6月にメジャー・デビュー。同年10月に開催されたピーター・バラカンのオーガナイズによるフェス〈LIVE MAGIC!〉や、その翌月に放送されたテレビ朝日「題名のない音楽会」への出演も大きな反響を呼ぶなか、2015年にセカンド・アルバム『濱口祐自 ゴーイング・ホーム』を発表。年内もまだまだ各地でライヴが予定されているので、詳しくはこちらをチェック!