*『濱口祐自 ゴーイング・ホーム』についてのインタヴュー記事はこちら
那智勝浦のいいところを思い浮かべてみるとき、熊野灘を渡る潮風と紀伊山地から吹き降りる山風が溶け合うように混じり合った濱口祐自の曲がなかば当然のように流れ出す。町に流れる良い匂いをあったかい旋律に留めた自然体の音柄。そこにいけばうんと人間らしい暮らしが待っているに違いないと、彼のとびきり情味のある音語りを聴くたびに想像してしまう。ひょっとしたら紀州のディープ・サウスは知られざるブルース・タウンなのかもしれない。そんな楽しい妄想すら働いてしまう。
〈勝浦からやってきた男〉の衝撃的なデビューから1年。ギター音楽愛好者のおそらく誰もが、Yuji Hamaguchiというその名とアパッチのような風貌をどこかで一度は目にしたことがあっただろう。ラジオや雑誌などでネイティヴな勝浦弁を駆使した絶妙な喋りに触れてショックを受け、ラグタイムの〈ラ〉の字も知らなかったのにアルバムを入手して独特なグルーヴの虜になってしまった人も少なくないかもしれない。天衣無縫の天才、自由の達人、竹研究の権威、メジロ・マスターなど彼にどんな印象を持つ人にとっても、メジャー・セカンド・アルバム『濱口祐自 ゴーイング・ホーム』は、新鮮な驚きと喜びをもたらす作品であることは間違いない。
1957型シボレー・ベル・エアーに乗り込み、両手をまわして揺れながら、思い出の道をひとすじに進む。まぶたを閉じて指笛弾きながら、あの懐かしい星屑の街へ帰ろう。アルバム・ジャケットが唱っているのはそんな詞だ。ファーストではキャンピング・カーをバックにしたポートレート。そしてセカンドではクラシック・カーが登場したとなると、どうしてもイメージしてしまうのはライ・クーダーのアルバムということになる。3作目『Boomer’s Story(邦題:流れ者の物語)』での彼はどうだったか。確かこちらに向かって楽しげに手を振っていたっけ。はたして次回、とびきりの笑顔を浮かべた濱口の姿が待っているかどうか。
レコーディングが行われたのは、2015年2月27日と28日の2日間。用いられたスタジオは、吉祥寺にあるGOK SOUND。前作『濱口祐自 フロム・カツウラ』は、埼玉の狭山にあるGo Go KingRecorderや勝浦の隣町である新宮の六角堂など数か所で行われたセッションをまとめたものだったが、本作は一か所に腰を据えて、録音に打ち込む方法が選択された。那智勝浦の申し子である濱口祐自というミュージシャンの個性を徹底して太く刻み付けていくことがテーマだったと話すプロデューサーの久保田麻琴。彼は今回のレコーディング・スタイルについて「今はもう珍しい古いテープ録音、2インチ24トラック、15ips Non Dolbyという70年代系の暖かさに特化したフォーマットを使用。1950年代~1970年代の名機と言われるマイクも使用し、生っぽいギター・サウンドに適した音質となった」とアルバム付属のライナーノーツで語っているが、あたたかさ、生っぽさ、そして懐かしさの表出ぶりは前作のレヴェルを凌駕している。アナログ・レコーディング特有の丸みがあって優しい耳触りのサウンドのなかで濱口のフィンガー・ピッキングがよりいっそう躍動感を湛えており、いままでにないような迫力が存分に出ることになった。
その男は己であるはずの〈勝浦からやってきた男〉を長いこと理解できないままでいた。そこに映っている自分はどこか違う顔をしている。見慣れない服を着ている。まるで見ず知らずの他人の楽器を弾いているような気にさえなるのは何故だ。この弦の震えは身に覚えがない。どうにも打ち解けなくて、戸惑いが増すばかり。考えてみれば、他者からプロデュースされるという行為が人生で初めてのことだったのだ。差異ばかりが際立ってしまうのもしょうがない。そのことを踏まえ、〈フロム・カツウラ〉の発表から久保田麻琴はライヴのミックスを請け負ったりしながら、この異能のギタリストの個性をじっくりと観察していった。そんなやり取りを経て、今回の両者の対話の充実ぶりはどうだろう。濱口自身も今回の仕上がりに関して満面の笑みでサムズ・アップを差し出している。
〈ゴーイング・トゥ・ルーツ〉。本作のタイトルをこう読み換えても差し支えないだろう。もしかすると濱口本人はこちらに換えたいという気持ちを抱いているかもしれない。ブルースやラグタイムなど自分を育んでくれたアメリカン・ルーツ・ミュージック礼賛的内容になった理由について、本人曰く「製作期間が2日間という限られた日数だったためにやり慣れたライヴ定番曲、得意技に絞らざるを得なかったから」。いわば苦肉の策であったのだが、アラカルト的な〈フロム・カツウラ〉の次項としてこれは絶対に正しい選択であるし、そういう道筋があらかじめ用意されていたのではないかとすら思えるほど。とにかく必然的な力に導かれた気がしてならない。
オープニングを飾るのは、12弦ギターがまるでたなびく旗のような音を奏でる高速スライド・チューン“Happy Birthday, Mr. Cameraman”。まるでだ。この〈カメラマン〉とは誰か。2枚のアルバムでジャケット写真を手がけたMr.石田昌隆のことだ。レコーディング当日はちょうど彼の誕生日であり、記念すべき録音一発目は現場にいた彼へのお祝い演奏となったのである。祝福に満ちた開巻である。陽気な挨拶に続いて、リード・トラックの“Welcome Pickin’~Caravan”が姿を現す。もっとも音盤化が待ち望まれていたこのメドレー。ライヴでほぼオープニングを飾っている定番中の定番だ。ジャズ・ジャイアント、デューク・エリントンの代表曲であり、ベンチャーズから細野晴臣まで山のようなカヴァー・ヴァージョンがある“Caravan”は、前作のセッションでも録音されていたが、もっと良いテイクが録れるに違いないという久保田の判断からお蔵入りに。今回は伊藤大地の稲妻のようなドラムが加わり、勢力と暴風域がともに拡大している。伊藤は前作に引き続いての登板。彼が参加したトラックは計5曲で、息の合ったコンビネーションを聴かせてくれる。
そのうち2曲は、ベースが入ったトリオ編成。ベースの主は、かの細野晴臣である。濱口と細野が初めて顔を合わせたのは、2014年6月、吉祥寺にあった名物名画座、バウスシアターが閉館する際に行われたライヴ・イヴェント〈LAST BAUS/LAST LIVE〉でのこと。映画「スケッチ・オブ・ミャーク」の上映と久保田麻琴がプロデュースを行っている宮古のファンク・バンド、BLACK WAXのライヴに細野がベースで参加、メジャー・デビュー直前だった濱口もゲストで加わった。その際に演奏されたのは、ニューオーリンズR&Bクラシックの“Tipitina”。
YouTubeで何度か聴いてみたものの、曲の構成がいまいち呑み込めない。時間がない。仕方ない、細野さんに訊くしかない。あの日、ライヴ開始前、細野氏の前にギターを抱えて跪き、教えを乞う濱口がいた。そんなに焦らなくても大丈夫だからと、柔らかな口調で諭すように語りかけてくれたあのときの印象そのものの演奏であり、彼の人柄がまんま出ている、と濱口はベース・プレイを賞賛している。その2曲とは、濱口が生まれ育った町の名前を付けたデルタ・スタイルの“Wakinotani”、軽快なブギー・チューン“Hangover Shuffle”(愉快で調子っぱずれなチェット・アトキンスの“Hangover Blues”と比べるとここでの3人はシャキッとしてハツラツとしている)。
プリミティヴなギター・サウンドを響かせる“Shibinawa Blues”など、ブルース系の充実ぶりは素晴らしい。セイクレッド・スティール風に奏でられた“Amaging Grace Slide”は濱口のアレンジ力の高さを伝える1曲。というようなアメリカーナな楽曲が並ぶなか、異色な存在感を放っているのが、“Gymnopedie No.1”だ。前作の“Gnossiennes no.1”に続いて、〈眼を持った唯一の音楽家〉エリック・サティの有名曲を採り上げたわけだが、濱口のなかではこれもまたフランスのブルースという解釈になるのだろうか。
ライヴの人気曲が多く並べられているのも本作の特徴だ。バハマのギタリスト、ジョセフ・スペンス作で、傑作の誉れ高いライ・クーダーの『Into the Purple Valley』のカヴァーも有名な“Great Dream From Heaven”、映画「スティング」のテーマ曲としてもおなじみ、スコット・ジョプリンの“The Entertainer”、女性フォーク・ブルース・シンガー、エリザベス・コットンの名曲と〈大きな古時計〉として親しまれているヘンリ・クレイ・ワーク作の古いポピュラー・ソングのメドレーにオリジナル曲を足した“Lucky Train~Freight Train~My Grandfather’s Clock”、ロバート・ジョンソンに影響を与えた人物としても知られるウィリー・ブラウンの“Mississippi Blues”(濱口が初めてこの曲と出会ったのは、ステファン・グロスマンのアルバム『How To Play Blues Guitar』に入っていたヴァージョンとのこと)などのカヴァーは、いずれもアメリカン・ルーツ好きにとって食指が動かされてしまうものばかりだろう。比較的最近作られた“Spring Power”や長いことライヴ・レパートリーであり続けた“Short Time Minor”といったオリジナルのラグタイム系も独自のグルーヴに溢れている。
それにしても1曲1曲がなんて短いのだろう。数えてみれば、1分台という短尺曲が5曲もある。要の部分だけしっかり伝えられたらそれで充分、とでも言いたげな疾風のごとき演奏が続いていく。そりゃアルバムに勢いが生まれるのは当たり前だ。ただ、不思議とあっけなさが儚さと繋がっていて、耳を傾けていると濱口の人生観のようなものまで浮かんでみえてくる点がおもしろい。
待ち望まれていたということでは、エンディングに控える初のヴォーカル曲“しあわせ”も双璧を成す。誰でも一度聴いたらおぼえてしまうメロディーと歌詞、朴訥としたヴォーカル・スタイル(得意のつぶやき唱法)、こんな人生最高なんちゃあう。それでええんちゃあう?という問いかけ。あまりに濱口祐自というキャラを見事に体現しているこの曲は、ライヴに足繁く通うファンから高い支持を得ていた。ここに登場しないと物語が締まらない、というぐらいに〈ゴーイング・ホーム〉の肝となっている重要曲。友情の大切さを伝える歌として、子供たちに教えるのもアリかと思う。
この歌モノを含め、〈ゴーイング・ホーム〉の物語を支えているのは終盤に並べられているスロウ・ナンバーたちだ。ひとつめは“Mississippi Blues”。寝てもギター、醒めてもギターという日々を送っていた若い時分の彼を探るうえで欠かせない曲。大学時代にたくさんのレコード(=ブルース学校)で受けたレッスン。そこで学んだ大事なことを濱口はこの演奏に込めている。音楽で飯を食っていく、なんて考えもなしにひたすら音楽に没頭し、つねに正直でなければならない、ということを固く誓ったあの日々。そして風来坊への道をひたすらまっしぐら。これまで彼が何千回弾いてきたかわからないこの曲は、他の曲と比べて勝浦度が濃い。
ふたつめは“Arigato, Tokie Robinson”。母の友人であるトキエ・ロビンソンさんが亡くなったのは、レコーディングの少し前のことだった。濱口が初めてアメリカに旅したとき、世話をしてくれたのが彼女だった。ちっぽけなイメージを軽く吹き飛ばしてくれたあまりに大きな国。彼女と旅の思い出は彼のなかで強く結ばれているわけだが、彼女に捧げられたこのメロディーにも、そんな忘れ得ぬ思いが忍び込んでいるようだ。そんな曲は、流れ者の物語に憧れを抱いていた季節すらイメージさせてくれるだろう。走る列車に飛び乗って見知らぬ街へと向かうあの日の夢。故郷の岸を離れて異国の地へと旅立ったあの日の夢。現在は旅への興味はまったく失われてしまったそうだが、この曲には異能のギタリストが忘れてしまった夢の欠片が散りばめられている。
そして、ゆっくりと遠のいていく故郷の景色を眺めているような気分になったあとに登場するのが“しあわせ”だ。作られたのは、5、6年前。正確な時期は思い出せないが、まだトシヒデが生きていた頃なのは確かだと濱口は言う。亡き友の思い出も沁みついたこの曲は、家郷へと繋がる一本の道である。今日もまた浜を眺めながら仕事を済ませてやってくる友を待つ。ギターを爪弾きながら、夕風に吹かれながら。ここには安らかな孤独がある。でも決してわれわれを孤独にしたりしない歌。友が波に揺られながらやってくる。ギターも夕焼けに溶けていきそうだ。朝がきて、昼がきて、夕暮れがきて、夜がきて、どこまでも平和な日常が続くまどろみの入り江。自由な姿勢を崩さずに、大事なものだけを探す人生を歩んできた彼の面目躍如たるメッセージが太字で書き記されている。そして故郷へのいたわりの気持ちが溢れたこの曲は、脇の谷の心のうたでもある。
夢、ということでいうと、久保田のライナーノーツで語られているように、今回はひょっとしたらライ・クーダーがゲスト参加する可能性もあった(言っておくが、濱口の夢ではない。われわれの夢だ)。ライがお忍びで来日した際、久保田を通じて濱口は彼と対面。彼の前で生演奏を披露している。ブックレットに収められているのはその際の写真だ。自身のギターを入れることに積極的であったライだったが、ちょうど初孫が生まれたことが重なってしまい、スケジュール的にアウトになってしまった。ただ個人的な意見を述べれば、彼の存在がここになくて良かったように思う。というのも、家郷への道行の物語が少し変わってしまうような気がするから。あなたからもらった心を僕はいつまでも大事にしています――そんな謝意が綴られたこの手紙をライは喜んで読んでくれるだろう。
〈フロム・カツウラ〉は日本のエイモス・ギャレットこと井上ケン一が76年に発表した名作『レイジー・ベイビー・ケニー』の横に並べて愛聴しているんだ、と教えてくれたのは高田漣だった。同業者のなかでもっとも早い時期に濱口を支持してくれた彼だが、はたして〈ゴーイング・ホーム〉はレコード棚のどこに置いて楽しむのだろうか。当たり前すぎるが、個人的にはやっぱりバーバンク系の名作の近くが相応しいように思う。よく醸成された甘くてほろ苦いノスタルジーが詰まったこの一枚は、そこがいちばん居心地良さそうだから。
最後に〈ゴーイング・ホーム〉は、『レイジー・ベイビー・ケニー』のように、生まれながらにして隠れた名盤的な佇まいを持った作品でもある。何年か先に若い音楽好きたちが本作を再発見し、興奮を隠しきれない様子がすでに目に浮かんでいたりする。こんな凄いギタリスト、お前知ってたか? いや、知らなかった。勝浦ってどこなんだろう? わからない。でも、ひょっとしたらすごいブルース・タウンなのかも。そこへ行けば、こんなすげえブルース・マンがいっぱいいるのかな。それから彼にも会えるだろうか? わからない。でも行ってみなきゃ、なんとしても。
PROFILE:濱口祐自
今年12月に還暦を迎える、和歌山は那智勝浦出身のブルースマン。その〈異能のギタリスト〉ぶりを久保田麻琴に発見され、彼のプロデュースによるアルバム『濱口祐自 フロム・カツウラ』で2014年6月にメジャー・デビュー。同年10月に開催されたピーター・バラカンのオーガナイズによるフェス〈LIVE MAGIC!〉や、その翌月に放送されたテレビ朝日「題名のない音楽会」への出演も大きな反響を呼んだ。待望のニュー・アルバム『濱口祐自 ゴーイング・ホーム』も好評を博しており、10月6日(火)には渋谷WWWで久保田麻琴がライヴ・ミックスを行い共演者として高田漣を招くライヴを開催! 最新情報はオフィシャルサイトにてご確認を。