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 さらに2年、いまアンドロイドによるオペラはあらたな局面をむかえている。起点は「Scary Beauty」上演直後までさかのぼる。拠点のパリに戻った渋谷がオペラ座でのコンサート観賞後、会場を出たさい携帯が鳴った。

 「電話をとったら大野和士さんだった。大野さんは新国立劇場でオペラ芸術監督をつとめていて、子どもたちの合唱をふくむ、子どもも大人も楽しめるオペラを企画している。それはアンドロイドとかAIもテーマになるんだけど、『Scary Beauty』の記事を読んでこのプロジェクトの作曲家はきみしかないと思った、といわれたの」

 渋谷が作曲し、オペラに造詣が深い作家島田雅彦が台本を手がけ、複数の歌手と合唱、オーケストラからなるオペラ「Super Angels」はそのように動きだし、今年8月世界初演を迎える予定だったが、新型コロナウイルスパンデミックにより中止の憂き目をみた。しかし渋谷の声音に悲壮感はほとんどなかった。というのも一連のアンドロイド関連のプロジェクトは渋谷に幾多の知識と経験をもたらしたのである。まちがいなく科学的にも最先端の知見の数々は作曲家としての渋谷の意識にも小さくない影響をあたえただろう。たとえば作曲家が器楽曲を書くにあたり、対象の楽器の特性や奏法を理解する必要があるなら、アンドロイドを編成にふくむ作品を書く作曲家はその表現的な側面を知らなければならない。他方で、私たちは人間ならざるものとの共生のとば口にたどりついたにすぎず、それらが道具であるか、あるいは純粋な他者であるのかもいまだ判然としない。後者であれば私たちに必要なのは統御ではなくコミュニケーションなのかもしれない。

 アンドロイドとのコミュニケーションというとSFめいてくるが、音楽はすでにそのような表現領域に入りつつあるのかもしれない。そして渋谷慶一郎はアンドロイドと即興演奏をおこなった数少ない音楽家のひとりでもある。

 「即興演奏は往々にしておたがいの手札のみせあいになることも少なくないですよね。僕は(即興が)作曲と演奏の中間であるのがベストだと思う。いまは聴きとりと解析が早くなったおかげでアンドロイドは即興もできるようになりましたが、その即興演奏は人間にはまったく未知なんですね。とはいえコードには沿っていて、そこから外れることもときどきあるけどほぼ沿っていて、でも未知なことをやってくる。それにたいして僕が反応するから、やろうと思えば永遠にできてしまう」

 そのときの体験を渋谷は「新鮮だった」とふりかえり、道徳的なニュアンスとはべつの意味で「コミュニケーションをとっている感じだった」ともつけくわえる。むろん即興にもちょっとしたアドリブから純粋な即興演奏まで、幾種類もの方法と、共演者や会場の条件などの変数が介在し、これをもって人間は不要だとはいえないし、そうなったらなったでちがう道行きもあるはずだが、ここにみえる科学から音楽への問いかけが根源的なものであるのはまちがいない。

 現時点でのそれらの問いへの総決算になるはずだった「Super Angels」の中止の報はその点でも残念だが、中止を発表した7月以降も渋谷慶一郎は休む間もなかった。

 「ちょうどオペラの仕事が佳境を迎えていたとき、『ミッドナイトスワン』という映画のサントラの依頼がありました。ところが僕はオペラのまっただなかで、時間的な制約からメインテーマのみ書きおろすという話ですすめていたんです。それがオペラの中止で七日間ばかり時間がとれる目途が立った。だったらその一週間で最初から最後までつくりますといってとりかかりました」

 さきごろ映画の公開とともにリリースした『ATAK024 Midnight Swan』には上のような背景がある。本編は草彅剛がトランスジェンダーの主人公凪沙を演じたことで話題になったが、育児放棄した親元を離れ、彼女のもとに身をよせる少女一果との共生をつうじ、ジェンダー、家族、教育、生きづらさの淵源となるこれら同時代的なテーマを正面からみすえる真摯さもある。NETFLIX制作の「全裸監督」も記憶に新しい内田英治監督の意欲作ともいうべき一本だが、渋谷は本作にひかえめな抒情を奏でるピアノで併走しつづけている。基調となるのは渋谷節ともいえる旋律と和声であり、これらの変奏に現代ハリウッド風のドローンノイズなどももりこんだ構成は映画音楽作家らしいバランス感覚だが、本作の白眉は光と影が交錯する物語と同期するように、静と動をおりまぜた表題曲“Midnight Swan”に凝縮している。バレエがモチーフでもある本編で、そのような音楽は映像と、それをみる観客の感情の動きの媒介となる。それらの効果を増幅するきわめて現代的な録音もふくめて、渋谷慶一郎の多元性はきわだっている。

 


Photograph by Ronald Stoops

渋谷慶一郎(しぶや・けいいちろう)
1973年生まれ。2002年に音楽レーベルATAKを設立。作品は先鋭的な電子音楽作品からピアノソロ、オペラ、オーケストラ、映画音楽、サウンドインスタレーションまで多岐にわたる。2019年9月の『Heavy Requiem』など、人間とテクノロジー/生と死の境界領域について作品を通して問いかけている。世界的な人工生命の研究者である池上高志と15年に及ぶノイズや立体音響による協働・開発を行う。2021年には新国立劇場で新作オペラ「Super Angels」(指揮・大野和士、脚本・島田雅彦)を発表予定。

 


寄稿者プロフィール
松村正人(まつむら・まさと)

1972年奄美生まれ。編集者、批評家。雑誌「Studio Voice」「Tokion」の編集長をつとめ、2009年に独立。著書に「前衛音楽入門」(ele-king Books)。編著に「捧げる 灰野敬二の世界」「山口冨士夫 天国のひまつぶし」、監修書に「ele-king」「別冊ele-king」など多数。

 


FILM INFORMATION

©2020 Midnight Swan Film Partners

「ミッドナイトスワン」
監督・脚本:内田英治(「全裸監督」「下衆の愛」)
音楽:渋谷慶一郎
出演:草彅剛/服部樹咲/田中俊介/吉村界人/真田怜臣/上野鈴華/佐藤江梨子/平山祐介/根岸季衣/水川あさみ/田口トモロヲ/真飛 聖
配給:キノフィルムズ(2020年  日本  124分)
◎全国公開中
midnightswan-movie.com