音楽ライターの八木皓平が監修を務め、〈ポスト・クラシカル〉と〈インディー・クラシック〉 という2つのムーヴメントを柱に、21世紀以降のクラシック音楽をフィーチャーする連載〈Next For Classic〉。今回は、フランチェスコ・トリスターノが東京をテーマに制作した新作『Tokyo Stories』を取り上げる。ルクセンブルク出身、15年以上のキャリアにわたってクラシックとエレクトロニック・ミュージックの架け橋的な存在として活躍してきたトリスターノ。日本との関わりも深く、これまで40回以上も来日をはたしてきた彼は、今回収録されたほとんどの作曲を〈愛する街〉東京ではじめたという。〈ホテル目黒〉〈代々木リセット〉〈赤坂間奏曲〉など曲名からも、その旅路を想像することができる。制作には、渋谷慶一郎、HIROSHI WATANABE、U-zhaanら日本人の音楽家たちも参加。フランチェスコ・トリスターノが見つめた日本、とでも言うべき作品に聴こえる、彼の音楽的な成熟とは? *Mikiki編集部

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Photo By Ryuya Amao
 

テクノとクラシック・ピアノの間を生きて

テクノとクラシック・ピアノの間を生きることがフランチェスコ・トリスターノの持続的な関心といえる。デリック・メイ“Strings Of Life”(87年)やジェフ・ミルズ“The Bells”(96年)を演奏するピアニストとして、彼のことを知った人もいるかもしれない。これらの楽曲が収録されている『Not For Piano』(2007年)がリリースされた当時は、いまほどポスト・クラシカルが大きい潮流にはなっておらず、インディー・クラシックのシーンはまだその芽が出るか出ないかといったところだった。

だから名門ジュリアード音楽院を卒業し、バロック音楽や現代音楽を専門とする秀才ピアニストが、デトロイト・テクノの名曲をピアノ・アレンジし、アルバムに収録してリリースするというのは、新しいとは言わないまでもまだまだ物珍しかった時代だ。この時点での彼は、まだあくまで〈テクノに通じたクラシック・ピアニスト〉であり、おそらく本人も含めて、その向こう側の景色が見えてくるようなものではなかっただろう。

フランチェスコ・トリスターノが“Strings Of Life”を演奏する映像
 

しかし、彼がパリのブッフ・デュ・ノール劇場で“Strings Of Life”を弾いたことで、それを観たアレクサンドル・カザック(Alexandre Cazac)がレーベルのコンセプト――テクノとクラシックの架橋を思いつき、後にインフィーネというレーベルを設立することになったことを考えると、この時点ですでにフランチェスコ・トリスターノの功績は大きいといえる。なぜなら、その後トリスターノはインフィーネから越境的なサウンドを模索した作品をいくつもリリースすることになり、それだけでなくこのレーベルはカール・クレイグやモーリッツ・フォン・オズワルドといった著名なテクノ・ミュージシャンがクラシック・アンサンブルとコラボレーションをする機会――〈Versus〉というプロジェクトを提供するような存在になったからだ。

クラシック音楽レーベルの本場、ドイツ・グラモフォンからリリースした『bachCage』(2011年)や『Long Walk』(2012年)、そしてオーラヴル・アルナルズともコラボしていたアリス・紗良・オットーとの『Scandale』(2014年)といった作品群でクラシック・ピアニストとしての存在感を放ちつつも、彼はさまざまな方法でクラシック・ピアノとテクノのコラボレーションに挑戦していた。

 

バルトークmeetsダフト・パンクと称されたアウフガング

その試みのひとつに、ラーミ・ハリーフェやエイメリック・ヴェストリヒとともに結成したアウフガングがある。このユニットは、2014年にフランチェスコ・トリスターノが脱退するまでは、ハリーフェとトリスターノのダブル・ピアノに、ヴェストリヒの生ドラムがリズム/ビートを重ね、そこにエレクトロニクスをまぶすといったサウンド・デザインだった。

このユニットは〈バルトークmeetsダフト・パンク〉と称されることもあったが、いま聴くと単にダンサブルなトラックにピアノを乗せただけに響く部分があったり、壮大なドラマツルギーが逆にチープに思えたりするところも否定できない。アウフガングの初期作『Air On Fire』(2010年)がリリースされたのと同年に、ミニマル・ミュージックとミニマル・テクノを見事に融合して見せたブラント・バウアー・フリックのファースト・アルバム『You Make Me Real』がリリースされていることを考えると、アウフガングの野心的な挑戦はまだ佳作の域を出なかったと言わざるをえないだろう。

アウフガングの2013年作『Istiklaliya』収録曲“Kyrie”

 

デリック・メイとカール・クレイグ――2人のデトロイト・テクノ偉人との交流

フランチェスコ・トリスターノという音楽家についてより深く踏み込むために、彼とデトロイト・テクノにおける2人のキーマンとの交流についても触れておこう。ひとり目はデリック・メイ。冒頭でもふれたように、フランチェスコ・トリスターノはデリック・メイの“Strings Of Life”で、クラシックの垣根を越えて有名になったピアニストだ。

それだけでなくフランチェスコ・トリスターノの2016年作『Surface Tension』は、デリック・メイのレーベル、トランスマットからリリースされており、デリック・メイ自身も作品に参加している。当時のインタヴューでも、フランチェスコ・トリスターノは「トランスマットといえば、僕にとって伝説のレーベルだし、デトロイトのサウンドを生み出した唯一のレーベルだと思う。もちろんメトロプレックスとかそのあとにはプラネットEとかもあるけど……でもやっぱりトランスマットなんだよ」と言っているくらいこのレーベルとデリック・メイに対するリスペクトと影響を公言している。

フランチェスコ・トリスタートがデリック・メイをフィーチャーしたライヴ映像
 

もうひとりはカール・クレイグだ。インナーゾーン・オーケストラを引き合いに出すまでもなく、彼はテクノを他ジャンルとハイブリッドさせることでその可能性を拡張してきた音楽家だ。カール・クレイグはフランチェスコ・トリスターノがインフィーネからリリースした『Idiosynkrasia』(2010年)や、前述した〈Versus〉にも参加しているが、ここで注目したいのは、エイズ基金のための非営利団体〈The Red Hot Organization〉のチャリティーの一環として作られた作品『Red Hot+Bach』(2014年)だ。本作はさまざまなジャンルの音楽家が集ってバッハの楽曲をアレンジするというコンセプトで、パンチ・ブラザーズのクリス・シーリとymusicのロブ・ムースとのコラボや、ポスト・クラシカルの重鎮であるマックス・リヒター、ジャズ・ベースのレジェンドのロン・カーターといった錚々たるメンツが楽曲を提供している。

そこでフランチェスコ・トリスターノとカール・クレイグがコラボレーションしているというわけだ。トリスターノの反復的なピアノとクレイグの手によるリズムの絡み合いは、バロック音楽の中心的存在であるバッハをテクノ以降のボキャブラリーを用いて再解釈に挑んだ産物だ。本作でジェフ・ミルズが現代音楽の四重奏、クロノス・クァルテットとコラボレーションしていることも合わせて考えると、この作品はじつに意義深いものといえる。

『Red Hot+Bach』収録、フラチェスコ・トリスターノとカール・クレイグがコラボした“LudePre” 
 

 

〈東京〉というテーマと音楽的な成熟が合致した新作『Tokyo Stories』

フランチェスコ・トリスターノのクラシック・ピアノとテクノの間に親密な関係を築くための戦いは一筋縄ではいかなかった。だが、その持続的な挑戦が、トリスターノを新作『Tokyo Stories』での成功に導いたことは間違いない。これまでにも何度となく東京に訪れ、その数々の旅路から得たインスピレーションをもとに本作が産み出された。東京をテーマにしたとはいえ、本作には安易な〈和〉やオリエンタリズムの追求は存在せず、そのテーマ性が彼の音楽的成熟と矛盾するものにはなっていない。いわゆる〈企画モノ〉的な臭みはここには存在しない。

そして『Tokyo Stories』には、タブラの音楽的可能性をジャンルレスに追求し続けるU-zhaan、近年は初音ミクのオペラ「The End」、アンドロイドを使ったオペラ「Scary Beauty」を成功させている渋谷慶一郎、フランチェスコ・トリスターノと同じくトランスマットからのリリース経験もあり、ワールドワイドな人気を誇るテクノ・シーンの鋭才、HIROSHI WATANABEという3人の日本人が参加しており、彼らの貢献が大きい。

FRANCESCO TRISTANO Tokyo Stories Sony Classical(2019)

『Tokyo Stories』のプレヴュー
 

『Tokyo Stories』は“Hotel Meguro”で幕を開ける。フランチェスコ・トリスターノ自身が手掛けるエフェクティヴなシンセサイザーの音色がリリカルなピアノと違和感なく同居するとともに、2分を越えたあたりから響いてくる無機質なピアノの〈ド・レ・ド・レ〉の反復がおもしろい。抑え気味のスタッカートを一定に反復することによってマシーナリーなサウンドにする、というのはピアニストがバッハの楽曲をプレイする際に散見される手法だが、それがここにも存在しているように思える。トリスターノの頭の中でバッハがテクノとして響いているのではないかと感じられる楽曲だ。もしかしたら、トリスターノの音楽におけるシャープで無機質なピアノの反復はバッハから着想を得ているのかもしれない。

また、“Electric Mirror”は、シンセサイザーとピアノが終始並走する楽曲なのだが、ポップに響く音色に対してピアノがまったく負けておらず、しかもあくまでピアノ特有の生々しい響きを保持している。シンセとピアノが並走するケースでは、シンセをアンビエント/ドローン的に響かせたり、ピアノの響きを抑えめにすることが多いのだが、ここではそのような手法を採用しておらず、じつにワイルドかつエレガントな落としどころを彼は見つけている。

“Hotel Meguro”と“Electric Mirror”の2曲は『Tokyo Stories』のコンセプトの一角を明確に表している。それはダイナミクスの絶妙なコントロールや繊細なタッチ、ピアノが持つ生々しさ、音楽的ボキャブラリーなど、彼がクラシック音楽から得たものを失うことなく越境性を実現することだ。これは先ほど挙げた3人とのコラボレーション楽曲も同様だ。

『Tokyo Stories』のレコーディングの模様

 

U-zhaan、渋谷慶一郎、HIROSHI WATANABE――トリスターノの成熟に貢献した3人の日本人ミュージシャン

U-zhaanのタブラがエレクトロニック・ミュージックと相性がいいのは、いまさらいうまでもないことだが、“Pakuchi”でも彼は活き活きとタブラを奏でている。ときに空間を横切り、ときに明滅するシンセサイザーに柔らかにアクセントを加えてゆくタブラのリズムは、フランチェスコ・トリスターノが過去にコラボしてきた生ドラムやリズム・マシーンよりもはるかに相性が良いように思える。生ドラムやリズム・マシーンだと彼のピアノが単なる〈上物〉になってしまっていたことがあるが、ここではそうなっていない。

ピアノとエレクトロニクスの同居といえば、“Gate of Entry”に参加している渋谷慶一郎は例えば2015年作『ATAK022 Live in Paris』などで、それを形にしている。渋谷とトリスターノはまったく違うタイプのピアニストなので、ふたりのコラボレーションがどうなるか気になっていたが、冒頭のピアノの音色/響きはどこか渋谷のソロを思わせるところがあり、良い意味で新鮮な驚きを受けた。そこから徐々にトリスターノらしいタッチが中盤以降に現れるとともに、渋谷の手によるものと思われるアンビエント/ドローンの定型に捉われない動的な電子音が空間を彩り、それに呼応するようにピアノが美しく展開してゆく。

デトロイト・テクノからの少なからぬ影響が窺えるテクノ・ミュージシャン、HIROSHI WATANABEとのコラボ曲“Bokeh Tomorrow”は、これまでにフランチェスコ・トリスターノが試みてきたクラシック・ピアノとデトロイト・テクノの交差の最新報告例といっていい。冒頭ではクリアに響いていたピアノがHIROSHI WATANABEによるシンセサイザーと重なることで徐々に輪郭を曖昧にしてゆく。時間の経過とともに空間いっぱいに広がってゆくユーフォリックなシンセサイザーの海に浸かりながらも、静かにトリスターノのピアノが存在感を発揮し続ける様は圧巻の一言だ。

テクノとクラシックを同居させた音楽は、現段階ではまだまだ玉成混交であり、発展途上といわざるをえないテーマではあるが、フランチェスコ・トリスターノがクラシック・ピアノ一台からはじめて、一流のテクノ・ミュージシャンたちとコラボレーションを展開し、そして『Tokyo Stories』の達成に至ったことを考えると、この試みの先にはまだまだぼくたちの見たことのない景色が広がっているに違いないと確信できる。

フランチェスコ・トリスターノの2014年のライヴ映像