写真提供:新国立劇場 撮影:鹿摩隆司

オペラ、ピアノソロ、映画音楽。
あらゆる形式を更新しつづける作曲家の現在地。

 渋谷慶一郎の2013年の「THE END」はあらためて考えると革新的だった――、この書き出しに渋谷慶一郎は二度頭をふって以下のように言い直すだろう。「あらためて考えるまでもなく、(いまでも)革新的なんだよ」と。

 そしてそれはじっさいそのとおりなのである。私は渋谷慶一郎とはずいぶんご無沙汰で、本稿のため、オンラインで話を聞くのにひさしぶりに「THE END」を聴き直し感じたのはボーカロイドによるオペラなる謳い文句は符牒にすぎない。「THE END」は初音ミクというソフトウェアおよびその属性を主人公にすえることで生と死とそれらが想起させるテーマ、すなわち19世紀までのオペラが好んで描いたロマン主義的な主題をうちにふくむが、初音ミクがそれを歌うと途端に生と死のあいだをいったりきたりしていた振り子状の主題は死のうにも死ねないボーカロイドである彼女というフィルターをとおして死ぬとはなにか(ひるがえって生きるとはなにか)という思弁的な指向性をもちはじめる。渋谷慶一郎らしいラジカルな構想だがむろんそれだけでは作品たりえない。と同時に、形式の要件を満たさなければならないのは「THE END」をオペラと銘打つからだが、一面的には制約にもなりかねないそれらの条件を罐にくべるように、渋谷慶一郎は彼のもうひとつの主戦場である電子音楽~実験音楽~先鋭的なダンスミュージックで培った知見と技術で、オペラの強固に完成した形式の内部を充填する。他方で、舞台の中心にいる歌手がボーカロイドに置き換わることで、作品は人間との偏差そのものを表現にくりこんでいく。この時期はボーカロイドが他分野にも浸透しはじめたころで、冨田勲の「イーハトーブ組曲」など、記念碑的な作品も生まれている。とはいえその時期の作品におけるボーカロイドの位置づけは楽器ないしシンセサイザーの延長線上にあり、いうなればメロディを担うソフトウェアだったが、「THE END」でのミクはレチタティーボすなわち話すよう歌う唱法を多用し、作中のノイズや効果音と積極的に抵触する。むろん要所要所で明快な和声感の旋律に帰着するのもこの作品――あるいは作曲家=渋谷――の特徴であり、それらの偏差と振幅をふくむ形式としてオペラの行き方を提示したところに「THE END」の劃期があった。

 そのことは海外へもただちに波及していく。「THE END」は2013年、東京での初演につづきパリのシャトレ座の舞台にもかかり、その年いちばんのあたりをとった。終演後気をよくした支配人は渋谷に次にうちでやるならどうするとさっそくもちかけてきたが、大仕事を終えたばかりで息もたえだえの渋谷はなにも考えられず、とっさに口をついたのが以下のことばだったのだという。

 「アンドロイドのオペラをつくりたい」

 瓢箪から駒が出たわけではないにしても、この一言は導きの糸だった。ともあれボカロの次がアンドロイドとは連想としてはいかにもまっとうではある。ただしじっさいには科学的、技術的にも多大な負荷がかかることはいうまでもない。この世にアンドロイドなるオブジェクトをつくりだし、あろうことかそれが音楽を奏でる、そのことの、倫理の側面にまでおよぶ問題の広がりを詳述する紙幅はここにはないが、機械でも人間でもない人工生命と音楽をめぐるまっさらな領域に、渋谷慶一郎はこうして不意に足を踏み入れたのである。

 アンドロイドは人造人間を意味する用語としてSFやアニメで古くから知られているが、現在はおそらく、人工知能(AI)と並行する話題ととらえる方が少なくないであろう。渋谷がアンドロイドのオペラを最初に構想した2013年はおりしも、ジェフリー・ヒントンが提唱したディープラーニングの黎明期にあたり、自己学習により生成変化する自律的な人工知能(AI)なる用語が巷間を賑わしていた。仮にアンドロイドがそのような知性をもつなら、旧来のメカニカルなあり方よりはもっとずっと人間にちかくなる。その一方で、この10年の人工知能~人工生命の分野における科学的な知見は人間と人工的な知能や生命とのあいだのけっしてのりこられない落差もしめしてきた。認識や哲学や倫理、そしてなにより芸術をつくり、作品にふれるさいのこころの動き――、渋谷慶一郎の構想には音楽的にであれ科学的にであれ、閉じた系のなかだけでは解決できないそのような複層的な課題をふくんでいる。

 実現までの道のりは科学的、工学的、思想的、経済的、人材的にも試行錯誤の連続だったという。盟友ともいうべき複雑系の研究者池上高志や、池上との共著もあるこの分野の第一人者、石黒浩らの参加をえてアンドロイドと小編成のオーケストラの共演による習作が上演にこぎつけたのは2017年のオーストラリアのフェスの舞台だった。この時点で構想から4年の月日がたっている。その翌年作品はアンドロイドオペラ「Scary Beauty」として日本科学未来館での初演をむかえるが、本番当日までうまくいかどうか、ほとんど賭けみたいなものだったと渋谷慶一郎は述懐する。「Scary Beauty」はオルタと呼ばれるアンドロイドがオーケストラを指揮しながら歌う作品であり、それが音楽としてなりたつには中心にありすべての視線を集めるオルタの身体性がカギをにぎる。指揮というノンバーバルな言語と人間の原初的な営みである歌を、いかに滑らかに、あるいはぎこちなく伝達するか。そこに集約する人間性と非人間性の両極のあいだに口を開いたクレバスのような隔たりこそ畏怖(scary)である。

 

 さらに2年、いまアンドロイドによるオペラはあらたな局面をむかえている。起点は「Scary Beauty」上演直後までさかのぼる。拠点のパリに戻った渋谷がオペラ座でのコンサート観賞後、会場を出たさい携帯が鳴った。

 「電話をとったら大野和士さんだった。大野さんは新国立劇場でオペラ芸術監督をつとめていて、子どもたちの合唱をふくむ、子どもも大人も楽しめるオペラを企画している。それはアンドロイドとかAIもテーマになるんだけど、『Scary Beauty』の記事を読んでこのプロジェクトの作曲家はきみしかないと思った、といわれたの」

 渋谷が作曲し、オペラに造詣が深い作家島田雅彦が台本を手がけ、複数の歌手と合唱、オーケストラからなるオペラ「Super Angels」はそのように動きだし、今年8月世界初演を迎える予定だったが、新型コロナウイルスパンデミックにより中止の憂き目をみた。しかし渋谷の声音に悲壮感はほとんどなかった。というのも一連のアンドロイド関連のプロジェクトは渋谷に幾多の知識と経験をもたらしたのである。まちがいなく科学的にも最先端の知見の数々は作曲家としての渋谷の意識にも小さくない影響をあたえただろう。たとえば作曲家が器楽曲を書くにあたり、対象の楽器の特性や奏法を理解する必要があるなら、アンドロイドを編成にふくむ作品を書く作曲家はその表現的な側面を知らなければならない。他方で、私たちは人間ならざるものとの共生のとば口にたどりついたにすぎず、それらが道具であるか、あるいは純粋な他者であるのかもいまだ判然としない。後者であれば私たちに必要なのは統御ではなくコミュニケーションなのかもしれない。

 アンドロイドとのコミュニケーションというとSFめいてくるが、音楽はすでにそのような表現領域に入りつつあるのかもしれない。そして渋谷慶一郎はアンドロイドと即興演奏をおこなった数少ない音楽家のひとりでもある。

 「即興演奏は往々にしておたがいの手札のみせあいになることも少なくないですよね。僕は(即興が)作曲と演奏の中間であるのがベストだと思う。いまは聴きとりと解析が早くなったおかげでアンドロイドは即興もできるようになりましたが、その即興演奏は人間にはまったく未知なんですね。とはいえコードには沿っていて、そこから外れることもときどきあるけどほぼ沿っていて、でも未知なことをやってくる。それにたいして僕が反応するから、やろうと思えば永遠にできてしまう」

 そのときの体験を渋谷は「新鮮だった」とふりかえり、道徳的なニュアンスとはべつの意味で「コミュニケーションをとっている感じだった」ともつけくわえる。むろん即興にもちょっとしたアドリブから純粋な即興演奏まで、幾種類もの方法と、共演者や会場の条件などの変数が介在し、これをもって人間は不要だとはいえないし、そうなったらなったでちがう道行きもあるはずだが、ここにみえる科学から音楽への問いかけが根源的なものであるのはまちがいない。

 現時点でのそれらの問いへの総決算になるはずだった「Super Angels」の中止の報はその点でも残念だが、中止を発表した7月以降も渋谷慶一郎は休む間もなかった。

 「ちょうどオペラの仕事が佳境を迎えていたとき、『ミッドナイトスワン』という映画のサントラの依頼がありました。ところが僕はオペラのまっただなかで、時間的な制約からメインテーマのみ書きおろすという話ですすめていたんです。それがオペラの中止で七日間ばかり時間がとれる目途が立った。だったらその一週間で最初から最後までつくりますといってとりかかりました」

 さきごろ映画の公開とともにリリースした『ATAK024 Midnight Swan』には上のような背景がある。本編は草彅剛がトランスジェンダーの主人公凪沙を演じたことで話題になったが、育児放棄した親元を離れ、彼女のもとに身をよせる少女一果との共生をつうじ、ジェンダー、家族、教育、生きづらさの淵源となるこれら同時代的なテーマを正面からみすえる真摯さもある。NETFLIX制作の「全裸監督」も記憶に新しい内田英治監督の意欲作ともいうべき一本だが、渋谷は本作にひかえめな抒情を奏でるピアノで併走しつづけている。基調となるのは渋谷節ともいえる旋律と和声であり、これらの変奏に現代ハリウッド風のドローンノイズなどももりこんだ構成は映画音楽作家らしいバランス感覚だが、本作の白眉は光と影が交錯する物語と同期するように、静と動をおりまぜた表題曲“Midnight Swan”に凝縮している。バレエがモチーフでもある本編で、そのような音楽は映像と、それをみる観客の感情の動きの媒介となる。それらの効果を増幅するきわめて現代的な録音もふくめて、渋谷慶一郎の多元性はきわだっている。

 


Photograph by Ronald Stoops

渋谷慶一郎(しぶや・けいいちろう)
1973年生まれ。2002年に音楽レーベルATAKを設立。作品は先鋭的な電子音楽作品からピアノソロ、オペラ、オーケストラ、映画音楽、サウンドインスタレーションまで多岐にわたる。2019年9月の『Heavy Requiem』など、人間とテクノロジー/生と死の境界領域について作品を通して問いかけている。世界的な人工生命の研究者である池上高志と15年に及ぶノイズや立体音響による協働・開発を行う。2021年には新国立劇場で新作オペラ「Super Angels」(指揮・大野和士、脚本・島田雅彦)を発表予定。

 


寄稿者プロフィール
松村正人(まつむら・まさと)

1972年奄美生まれ。編集者、批評家。雑誌「Studio Voice」「Tokion」の編集長をつとめ、2009年に独立。著書に「前衛音楽入門」(ele-king Books)。編著に「捧げる 灰野敬二の世界」「山口冨士夫 天国のひまつぶし」、監修書に「ele-king」「別冊ele-king」など多数。

 


FILM INFORMATION

©2020 Midnight Swan Film Partners

「ミッドナイトスワン」
監督・脚本:内田英治(「全裸監督」「下衆の愛」)
音楽:渋谷慶一郎
出演:草彅剛/服部樹咲/田中俊介/吉村界人/真田怜臣/上野鈴華/佐藤江梨子/平山祐介/根岸季衣/水川あさみ/田口トモロヲ/真飛 聖
配給:キノフィルムズ(2020年  日本  124分)
◎全国公開中
midnightswan-movie.com