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〈聴かれなければ音は音楽にならない〉
オンライン上に生まれた新しいコンサート空間

 リリースに合わせて、8月29日(土)にはオンライン公演〈#フィルAPIスパイラル〉が開催された。観客席のないスパイラル・ホールのフラットな空間には、このライブのために設えられた植栽の樹々に囲まれて、蓮沼フィルの14人の音楽家と4組のゲストアーティストが、普段よりもゆったりと、心地よい距離感で集っていた。オーケストラのフォーマットを緩やかに解体したこの配置は、モニター越しに観るものにとっても肩の力を抜いて楽しめ、パフォーマンスを感応しやすい光景だ。

 それと同時に、配信される先のどこまでも〈耳元に届けようと〉する演出からは、位置を問わず、的確に音と映像を捉えるために高度な技術を要したであろうことが伝わる。コンダクターでありコンマスである蓮沼が、リラックスしながらも細心の配慮をもって、それぞれのパートとやりとりを交わす様子からも、ほどよいテンションが伝達され、こちらの意識を逸らさず集中させた。

 「スパイラルでは、これまでのライブでのトライ&エラーの蓄積を見直して、普通のライブでもなく、スタジオセッションでもないコンサート空間をめざしました。アンサンブルとそれぞれ独立した音が、同じ方角を向きながらも中心がない。言い換えれば、余白のあるアンサンブルの魅力でしょうか。オーケストラをまとめようとせず、そうかといって、一切が自由というわけでもないコンダクトをしようとしてます。1対1のプロセスなので、これだけ楽器数があると総合演出にも工夫が必要になる。空間的に飛ばされた配信を観る観客とまったく一緒で、演奏者たちが奏でていない時間も音をしっかりと聴いて、互いに発信体となる。観る人がいて聴かれなければ音は音楽にならない、という意識を共有しました」(蓮沼)

 10月にはこのアルバムのCDとLPがリリースされる。作品提供のみならず、アルバムのアートワークまでを日本を代表するアーティスト・横尾忠則が手がけていることにも注目したい。蓮沼が『フルフォニー』をリリースしたいと思ったとき、音楽がビジュアルとして浮かんだ最初の景色が、横尾忠則の代表作の1つである「日本原景旅行」シリーズだったという。

 「ちょうどリミックスの段階で、少しずつ音をマイナスしていく作業をしているとき、横尾さんが描かれた人物のいない風景画が思い浮かんだんです。これまでは音楽世界をビジュアル化することは意図的に避けていたんですが、今回は奇跡的なマッチングになりました。横尾さんご自身がデザインもしたいと言ってくださって、ジャケット・アートワークを引き受けていただきました」

 横尾のこの風景画の連作は、1970年代初頭、2年にわたって日本各地を旅しながら制作されたもの。1960年代を通じてグラフィック・デザイナーとして活躍していた氏が、のちに画家へと転向する前の一時期、休養を宣言していた頃である。当時まさに渦中にあった商業美術と前衛芸術から暫しのあいだ距離を置き、ローカルな日本の風景のなかに自然の美を見いだした視点と筆致はみずみずしい。

 本シリーズからアルバムのために蓮沼が選んだのは「大沼と駒ケ丘」という作品だ。鮮やかな朝焼けの山並を映す大沼のほとりに、さまざまな生物と非生物が穏やかに共生する風景が描かれたこの絵画は、ステイホーム期間に〈合奏〉という共生のありように向き合った彼自身の心映えをも投影していたのかもしれない。

 コロナ禍の起こる以前から、蓮沼の関心はすでに「社会の根本から変えていかなければ、世界がすぐに終わってしまう。洒落にならない環境のこと」(蓮沼)へと向かっていた。その問題意識から生まれた2つの実験的なプロジェクトがちょうど立ち上がったところだ。