細野晴臣『Vu Jà Dé』初アナログ化を機に、アメリカから逃れられぬことへの諦念と喜びが交錯する音世界を堪能

2020.11.06

「僕は終戦直後生まれの宿命としてやってるんだ」。これは細野晴臣が自身のラジオ番組「Daisy Holiday!」内で、ブギウギをやる動機として語った言葉である。

細野が生まれたのは、終戦直後の1947年。したがって、幼少期の細野にとって日本とはすなわち〈アメリカ占領下の日本〉を意味していた。日本の伝統文化なるものは大戦を経て焼け野原となり、その空白の地にアメリカ文化が次から次へと押し寄せてくる。そうした社会状況が彼のアイデンティティー形成に大きな影響を及ぼしたことは、想像に難くない。

細野が音楽に目覚めたきっかけはラジオから流れるアメリカ音楽であったようだが、周知の通りその後の彼が音楽家として歩んだキャリアは決して単純なアメリカ愛に貫かれたものではない。エイプリル・フール〜はっぴいえんど、およびソロ活動の初期までの間は〈アメリカ音楽のノリを日本人としていかに再現するか〉が活動のメインテーマをなしていたものの、やがて細野はアメリカ的なものと距離を取るようになる。そしてトロピカル三部作のリリースやYMOでの活動を経て、彼のスタンスはやがてアメリカを中心とする資本主義システムの否定(およびそこからの逃避)にまで至る。

だが細野はアンビエントへの沈潜を経て、ふたたび自身の根幹をなすアメリカ音楽と向き合いはじめた。離れていた期間がアメリカ音楽を愛する気持ちの否定し難さを再認識させた、というと美談のようにも聞こえるが、それは裏を返せば、アメリカ文化を浴びてアイデンティティーを確立してしまった人間として、どう足掻いても所詮はアメリカから逃れられないと悟った、ということなのかもしれない。

本作『Vu Jà Dé』は、アメリカ原産の音楽であるブギウギやロカビリーなどのナンバーで満たされている。軽やかな演奏に乗せて歌われる曲たちは、一聴するとあっけらかんとしているようにも感じられるが、そこにはアメリカ人へのコンプレックスやアメリカから逃れられないことへの諦念が滲んでいる。しかしだからこそ、アイデンティティーの深刻な葛藤を経験せぬまま、伸び伸びと演奏する本場生まれのアーティストには醸しえないような深みが備わっている。

そんな本作がこの度、初めてアナログ化された。これを機に細野のアメリカ音楽への探究心は、未来へ着実に受け継がれていくことだろう。いや、本作のアナログ化を待たずとも、もうすでに継承されはじめているのかもしれない。たとえば、近年の細野の作品およびライブ活動を支えるバンド・メンバーである高田漣(ギター)や伊賀航(ベース)、伊藤大地(ドラムス)、野村卓史(キーボード)は、みな細野に触発されてそれぞれにブギウギの〈ミソ〉を探究している。なかでも高田は、自身のソロ・アルバムでも大々的にブギウギを取り上げており、細野イズムをとりわけ強く継承しているように感じられる。

また、さらにその下の世代にも影響は波及しているようで、福原音KEEPON(キーポン)といった若者が、現にブギウギの魅力に取り憑かれている。彼らは、歴史的・社会的な文脈のなかで探究してきた細野とは対照的に、純粋な好奇心のみを原動力に、アーカイヴの恩恵をフルに活かしながら探究に励んでおり、その活動は実に興味深い。

デジャヴ=既視感でも、ジャメヴ=未視感でもない。〈まだ見ぬ懐かしさ〉を新しく作り出し、それを起点にアメリカ音楽を継承していくこと。それこそが、ヴジャデという言葉遊びの裏に、細野が込めた密やかな願いなのかもしれない。

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