Mr.Childrenが、かつてないくらいに老いと向き合っている。これが本作を聴いて最初に抱いた、率直な印象だった。老いに関する彼らの意識は、幾重にも細い傷が走る古びた卒業アルバムのようなジャケット・デザインにも表れている。

ただ〈老いと向き合う〉と一口に言っても、その態度はもちろん一様ではない。ときに苛立ち、ときに感傷的になり、ときに果敢に立ち向かい、そしてときに少しだけ受け入れ……。老いという運命に対して人々がとる態度は多岐にわたり、矛盾に満ちている。そしてMr.Childrenは、老いゆく存在としてみずからが感じることのすべてを記録しようとしているように見える。だからこそ本作は、個々の楽曲の多様さにもかかわらず、アルバム全体として一本筋が通っているように感じられるのだろう。

Mr.Children 『SOUNDTRACKS』 Toy's Factory(2020)

 

少年と大人の狭間でもがきながら、少しずつ変わっていった人生観

Mr.Childrenはそのバンド名の通り、〈少年であること〉と〈大人であること〉の狭間で絶えずもがき続けてきた。その生々しい葛藤は、まだ彼らが若者の範疇にあった90年代から一貫して見られるものだ。

さほど長い下積みを経ることなく大きな商業的成功を手にしたことで、彼らは無防備な少年のまま大人のダーティーな世界に放り込まれてしまった。それに起因するフラストレーションと強迫的な不安は、CDセールスの拡大やバンドとしての影響力の増大に比例してどんどん大きくなっていったようで、『深海』(96年)においてそれがついに極点に達してしまう。リリース後、長きにわたって〈問題作〉と謳われることになる当アルバムの表題曲において、ヴォーカリストの桜井和寿は以下のように虚無的な内面を吐露する。

〈失くす物など何もない/とは言え我が身は可愛くて/空虚な樹海を彷徨うから
/今じゃ死にゆくことにさえ憧れるのさ〉――“深海”

だがシニシズムを込め死というテーマを捨て鉢に歌う当時の桜井は、老いへの当事者意識を抱いていたというより、無防備な若者として大人たちに潰されないための鎧をまとおうとしていたように感じられる。つまり桜井の重心は、あくまで若さの側にあったというわけだ。

しかし2000年代に入ると、そんな桜井に転機が訪れる。2002年に小脳梗塞という大きな病を患い、約半年間にわたって音楽活動の休止を余儀なくされたのである。この経験は桜井に、人生というものの有限さを痛感させたことだろう。

〈残酷に過ぎる時間のなかできっと十分に僕も大人になったんだ/悲しくはない/切なさもない/ただこうして繰り返されてきたことが/そう、こうして繰り返してくことが嬉しい/愛しい〉――“HERO”

2004年作『シフクノオト』収録曲“HERO”
 

死に直面した桜井の心を強く捉えたのは、〈生が継承されていく〉という事実の美しさだったようだ。そしてまた、着実に老いていく両親との対峙が、そのような彼の認識に異なる角度から光を当てることとなる。

〈じいちゃんになったお父さん/ばあちゃんになったお母さん/歩くスピードはトボトボと/だけど覚えてるんだ若かった日の二人を〉――“あんまり覚えてないや”

〈東京は後戻りしない/老いてく者を置き去りにして/目一杯手一杯の目新しいモノを抱え込んでく〉――“東京”

人生の有限さに対する諦念と、生が継承されていくことへの希望。それは2000年代以降のMr.Children/桜井にとって、とりわけ重要なモチーフとなった。RADWIMPSやONE OK ROCKといった後輩バンドとの積極的な交流も、その一端を表しているように感じられる。

 

かつてないほどリアルに意識する〈終わり〉のとき

『SOUNDTRACKS』収録曲“Documentary film”
 

そして50歳を迎えたいま、桜井は自分自身の〈終わり〉をかつてないほどリアルに意識している。たとえば本作『SOUNDTRACKS』に関するインタビューのなかで、“Documentary film”の〈あらゆるものには終わりがある。だからこそ日々は美しいんだ〉というテーマについて、このように発言している。

「若い人にはわからないでしょうね(笑)。毎日、仏壇に手を合わせるような人だと、とってもよくわかると思いますけどね。僕がそうなので。なんて言うのかな、『いずれは自分もそちら側に行くんだな』と意識することで、ちょっとした日常がとても大事だなと思うようになってきたというか」。

〈Mémento-Mori=死を想え〉というフレーズを意匠として用いていた若者としての桜井は、もうここにはいない。そして“Documentary film”の歌詞のなかには、〈終わり〉に対するいまの桜井の切実な意識がたしかに表れている。

〈君の笑顔にあと幾つ逢えるだろう/きっと隠しきれない僕の心を映すだろう/君が笑うと泣きそうな僕を〉――“Documentary film”

“Documentary film”における痛切なまでの表現を踏まえると、溌溂としているように感じられる他の収録曲においても、やはり〈終わり〉への意識が通底しているように思えてくる。

〈さようならを告げる詩/この世に捧げながら/絡みつく憂鬱にキスをしよう〉――“Brand new planet”

〈叫びたいくらいだダーリン/この人生で最大の出会いと悟ったんだ/我が人生で最愛の人はそうキミ一人〉――“turn over?”

『SOUNDTRACKS』収録曲“Brand new planet”
 

〈終わり〉への意識と言えば、アルバム・リリースに先駆けた映像のなかで、桜井はこんな発言を残している。「現時点で思うことは、このアルバムで最後にしたい」。引退を匂わせるようなこの言葉は、多くのファンに衝撃を与えた。その真意がどこにあるにせよ、少なくとも本作が〈終わり〉を見据えた上での並々ならぬ覚悟に貫かれているということは間違いないだろう。なお、桜井によるこの言葉には続きがある。気になる方はぜひ初回限定盤を入手し、映像特典をチェックしてみてほしい。

 

〈終わり〉への意識が導いた、新しい可能性と刺激

このように見ていくと、とてつもなく内省的で沈鬱な作品であるという印象を本作に対して抱くかもしれないが、決してそんなことはない。たしかに〈終わり〉への意識が全編に影を落としてはいるものの、新しい可能性と刺激を求めようとする姿勢もまた、いつになく鮮烈に感じられるのだ。

そうした挑戦的な姿勢は、何よりもレコーディングにおいて顕著に表れている。ギタリストの田原健一が先導する形でロンドンおよびLAでのレコーディングを敢行し、さらにはU2やサム・スミスの作品を手掛けてきたエンジニアのスティーヴ・フィッツモーリス、そしてジャミロクワイやビョークの作品に参加してきたアレンジャーのサイモン・ヘイルを制作に招いたのだ。彼らの参加によって、音の粒立ちの良い骨太なバンド・サウンドと、流麗かつ生々しいストリングスの響きの両立した、いままでのMr.Childrenにないフレッシュな音像が実現することとなった。

彼らとの海外での共同作業を通して生まれた曲たちは、すべてアナログ・レコーディングされたという点で、かの『深海』の収録曲と共通している。しかしその連なりから成るアルバムの聴き心地は『深海』とはまったく異なり、リスナーにそっと寄り添うような優しさに満ちている。それは「聴いてくれる人たちの人生のサウンドトラックであれたら」という、いまの桜井の想いが色濃く反映されているからかもしれない。

私、あなた、彼、彼女……それぞれの人生があり、それぞれに少しずつ老いていく。本作『SOUNDTRACKS』は、一人ひとりの人生のドキュメンタリー・フィルムに重ね合わせられることで、単に〈Mr.Childrenの新作〉であることを超えて、それぞれに固有の響きを持ったかけがえのないサウンドトラックとなっていくことだろう。