Mr.Childrenが、かつてないくらいに老いと向き合っている。これが本作を聴いて最初に抱いた、率直な印象だった。老いに関する彼らの意識は、幾重にも細い傷が走る古びた卒業アルバムのようなジャケット・デザインにも表れている。
ただ〈老いと向き合う〉と一口に言っても、その態度はもちろん一様ではない。ときに苛立ち、ときに感傷的になり、ときに果敢に立ち向かい、そしてときに少しだけ受け入れ……。老いという運命に対して人々がとる態度は多岐にわたり、矛盾に満ちている。そしてMr.Childrenは、老いゆく存在としてみずからが感じることのすべてを記録しようとしているように見える。だからこそ本作は、個々の楽曲の多様さにもかかわらず、アルバム全体として一本筋が通っているように感じられるのだろう。
少年と大人の狭間でもがきながら、少しずつ変わっていった人生観
Mr.Childrenはそのバンド名の通り、〈少年であること〉と〈大人であること〉の狭間で絶えずもがき続けてきた。その生々しい葛藤は、まだ彼らが若者の範疇にあった90年代から一貫して見られるものだ。
さほど長い下積みを経ることなく大きな商業的成功を手にしたことで、彼らは無防備な少年のまま大人のダーティーな世界に放り込まれてしまった。それに起因するフラストレーションと強迫的な不安は、CDセールスの拡大やバンドとしての影響力の増大に比例してどんどん大きくなっていったようで、『深海』(96年)においてそれがついに極点に達してしまう。リリース後、長きにわたって〈問題作〉と謳われることになる当アルバムの表題曲において、ヴォーカリストの桜井和寿は以下のように虚無的な内面を吐露する。
〈失くす物など何もない/とは言え我が身は可愛くて/空虚な樹海を彷徨うから
/今じゃ死にゆくことにさえ憧れるのさ〉――“深海”
だがシニシズムを込め死というテーマを捨て鉢に歌う当時の桜井は、老いへの当事者意識を抱いていたというより、無防備な若者として大人たちに潰されないための鎧をまとおうとしていたように感じられる。つまり桜井の重心は、あくまで若さの側にあったというわけだ。
しかし2000年代に入ると、そんな桜井に転機が訪れる。2002年に小脳梗塞という大きな病を患い、約半年間にわたって音楽活動の休止を余儀なくされたのである。この経験は桜井に、人生というものの有限さを痛感させたことだろう。
〈残酷に過ぎる時間のなかできっと十分に僕も大人になったんだ/悲しくはない/切なさもない/ただこうして繰り返されてきたことが/そう、こうして繰り返してくことが嬉しい/愛しい〉――“HERO”
死に直面した桜井の心を強く捉えたのは、〈生が継承されていく〉という事実の美しさだったようだ。そしてまた、着実に老いていく両親との対峙が、そのような彼の認識に異なる角度から光を当てることとなる。
〈じいちゃんになったお父さん/ばあちゃんになったお母さん/歩くスピードはトボトボと/だけど覚えてるんだ若かった日の二人を〉――“あんまり覚えてないや”
〈東京は後戻りしない/老いてく者を置き去りにして/目一杯手一杯の目新しいモノを抱え込んでく〉――“東京”
人生の有限さに対する諦念と、生が継承されていくことへの希望。それは2000年代以降のMr.Children/桜井にとって、とりわけ重要なモチーフとなった。RADWIMPSやONE OK ROCKといった後輩バンドとの積極的な交流も、その一端を表しているように感じられる。