クラシックを継承し、未来へ
――ショパンやリストのように、次の時代に発展する音楽をつくりたい
ショパンとリストの時代に産業発展がなかったら、彼らは時代のスターになりえただろうか──。ピアニスト、角野隼斗と話すうちに、そんな疑問が浮かんだ。
2018年の〈ピティナ・ピアノコンペティション〉優勝後、ピアニストとしての活動を続けながら東京大学情報理工学系研究科を卒業し、フランス音響音楽研究所(IRCAM)で自動採譜の研究に従事するなど工学研究者としての顔も併せ持つ角野。Cateen名義で展開するYouTubeチャンネルでは、クラシックやジャズ、ポップス、アニメ・ゲーム音楽などを自在に奏で、総再生回数6000万回、登録者数61.8万人(2021年1月現在)を誇る。
19世紀の天才ピアニストたちが、82鍵に進化したピアノで音楽の可能性を広げ、長距離鉄道で人々にその響きを届けたように、音響工学とSNSの力でクラシック音楽界の常識を覆していく角野。その自由で新しい発想は、どこから生まれたのだろう。
「子どもの頃、音楽と算数の両方が好きだった僕の好奇心を、親が上手に誘導してくれたのは大きかったと思います。自分ではふたつを両立しているという意識はなくて、中高時代はバンドで編曲活動をしたり、ドラムを叩いたりも。本格的にピアノに取り組んだのは大学に入ってからでした。YouTubeは自分の弾きたいものを発信するため自然に選んだ場所。当初、角野隼斗とCateenは独立した存在でした」
ところが、次第に互いへの相互影響が濃くなっていく。他の演奏家とは違う、クラシックもそうじゃない曲も本気で弾くスタイル。ピアニストにとってそれは相容れないものなのかと考えこんでいたときに、答えとして浮かんだのが200年前のスター、ショパンとリストだった。
「ショパンやリストのようなコンポーザー=ピアニストは、当時(1830~40年代)の人にとってのクラシックも弾いたし、即興や作曲もしたし、人気オペラを編曲したりもした。ポップスのアレンジにクラシックの技法を使い、クラシックの演奏にもアレンジ力を生かすようになっていた僕にとって、彼らのスタイルが大きな指針になると気付いたんです。そこで、2020年末のリサイタルや『HAYATOSM』では、クラシックを継承しつつ、次の時代に発展する音楽をつくりたいという、ショパンとリストへの憧れを前面に出しました」
2020年12月、ファースト・フル・アルバム『HAYATOSM』発売に先駆け、角野はサントリーホールという舞台で、ふたりの偉大な名曲たちに真っ向から挑んだ。
公演決定の予告映像では、彼がショパンの代名詞と位置づけている“英雄ポロネーズ”を披露。満場のリサイタルもこの曲からスタートし、つづくノクターンの響きで会場を酔わせた。“子犬のワルツ”とペアリングさせた自作の“大猫のワルツ”や“ピアノソナタ0番「奏鳴」”などをはさんで、リストからは“死の舞踏”や“ハンガリー狂詩曲第2番”。後者に添えられた自作のカデンツァや非公開のセットリスト、リアル公演とStreaming+配信の2部構成も革新と驚きに満ちていて、心を掴まれた。
最も印象的だったのは、音が消える瞬間まで計算しつくされたように、丁寧で美しい弱音。ショパンの繊細さとリストの即興性。角野の音楽は、それぞれの美点を内包しているようだ。
「楽曲としてはショパンが好きなんです。彼の音楽は和声がものすごく綺麗で、シンプルかつ無駄がない。余分なものは加えず、最も美しく音を響かせるにはどうすればいいかを常に計算している。それに対してリストは――若い頃に限った話ですが、第一印象が派手です。楽譜を見ても〈弾ける人が書いたんだろう〉と一発でわかるんです。しかし、意外なことにその音型は単純。ショパンのそぎ落としたシンプルさとは違って、リストは音数が多く技巧的には難しいけど、じつは暗譜しやすい。それってたぶん、本番の即興性を第一にしていたからじゃないでしょうか。どこか自由な雰囲気を孕んだカリスマ性、スター性というのが、リストへの憧れの主軸です」
たしかにリストが現代に生きていたら、迷わずYouTubeを駆使していただろう。彼の演奏旅行は、レコードもない時代、パリで人気を博した最新ヒット曲をヨーロッパ各地に広める役割も果たしていた。後年指揮者としても活躍し、現在のリスト音楽院を創設したことでも知られるが、そうしてピアニストの枠を飛び越えていく生き方にも強く惹かれると角野は言う。
「時に演奏家をいつやめるか、ということを考えたりもしますからね。ピアノを弾くだけで一生を終えるつもりはありません。同時に、クラシック音楽をできるだけ多くの人に聴いてほしいという思いも揺らぎません。発信者の責任って、自分が音楽的に面白いと思うことを妥協しない誠実さにあると思うんです。音響の観点からセットリストを編むことだったり、21世紀に存在する多様な音楽ジャンルの関わり合いの中で新しいクラシックを模索することだったり。自分にしかできない音楽×AIの研究も含めて、大きく見ればすべてが僕の表現活動なのだと思います」
角野隼斗 Hayato Sumino
1995年生まれ。3歳よりピアノを始める。2002年、千葉音楽コンクール全部門最優秀賞を史上最年少(小1)にて受賞。2005年、ピティナ・ピアノコンペティション全国大会にて、Jr.G級金賞受賞。2011年および2017年、ショパン国際コンクール in ASIA 中学生の部および大学・一般部門アジア大会にてそれぞれ金賞受賞。2018年、ピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリ、及び文部科学大臣賞、スタインウェイ賞受賞。2018年9月より半年間、フランス音響音楽研究所(IRCAM)にて音楽情報処理の研究に従事。フランス留学中にクレール・テゼール、ジャン=マルク・ルイサダの各氏に師事。これまでに国立ブラショフ・フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、千葉交響楽団等と共演。2019年4月、パリのSalle Cortotにてソロリサイタルを開催し、好評を博す。2020年3月東京大学大学院を卒業。令和元年度東京大学総長大賞を受賞。金子勝子、吉田友昭の各氏に師事。国内外にてコンサート活動を行う他、〈Cateen〉名義で自ら作編曲および演奏した動画をYouTubeにて発信し、総再生回数は6000万回を突破している。チャンネル登録者数は61.8万人(2021年1月現在)。