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父の協力の下で音と戯れた札幌での少年時代

――レコードやCDはよく聴くタイプでしたか?

「はい。札幌の実家にはけっこうあります。親父がクラシックを含めて広く浅くいっぱい持っている人で。僕がジャズの世界に入ってからは、親父がさらにCDを借りてきてくれたりとかして、いろいろ親子で聴いてました」

――札幌の話が出ましたが、9歳から大山淳さんにドラムのレッスンを受けて、札幌ジュニア・ジャズ・スクールのビッグバンドに参加したそうですね。

「僕はそのビッグバンドの1期生です。その頃は〈楽器やったことないです〉みたいなやつがオーディションに来ていたし、バンドの方も〈みんなおいで〉みたいな感じで受け入れていたから、レベルは全然(高くなかった)。当時はビートルズの曲とかをやっていたかな」

――僕は3年ほど前に札幌芸術の森で演奏を聴いたんですが、クリフォード・ブラウンの“Daahoud”を懸命にやっていて、いま自分が小学生ならここで学びたいと思いました。男の子が必死にアドリブをとって。

「今はみんなそうなんですよ。でも僕の頃はそんなにジャズの曲はやっていなかったし、ソロをとれる子もいなかったと思います。3年目以降くらいから、わりと才能のある子が出始めたんじゃないですかね。

僕はそこには2年いました。それ以外では、親父に送り迎えしてもらって、旭川のジュニア・ジャズ・オーケストラでもよく演奏しました」

――僕は旭川出身なんですが、学生ビッグ・バンドができたのも、ゲイリー・バートンやサミー・ネスティコが指導に来たのも、自分が上京したずっと後なんです。竹村さんは札幌のどの店でジャズ演奏を始めたんですか?

「〈スローボート〉〈くう〉〈ジャムジカ〉〈ジェリコ〉とかですね。あと〈レイジーバード〉。〈レイジーバード〉はちょうど僕がジャズを始めたころにできて、もともと〈グルービー〉というジャズ喫茶をやっていた方がそのすぐ隣で始めたんです。その辺りの店に出させてもらってましたね」

 

第二のお父さん=福居良との思い出

――〈スローボート〉はピアニストの故・福居良さんのお店ですね。ここ数年、福居さんの作品が、ヨーロッパを中心に、すさまじい勢いで再評価されています。竹村さんも、内外のジャズ・ファンから〈福居さんはどんな方でしたか?〉と尋ねられる機会があると思うのですが。

「もうね、すげえ頑固おやじ(笑)! ビバップおやじっていうか、怒られて、めちゃくちゃ鍛えられました。14歳の頃から一緒にやらせてもらって……」

――トニー・ウィリアムスがサム・リヴァースと共演を始めたのも、たしかそのくらいの年齢のはずです。

「その時点でドラムを始めて5、6年くらい。16歳からレギュラーになって、毎週水曜日に演奏して、もうなんか毎週怒られていました。でも基本的には愛のある人なんです。めちゃくちゃ可愛がってくれて、ただ、音楽に関しては別で、めちゃくちゃ厳しい。ライブが終わった後に、いろんな話をしたな。第二のお父さん的な存在です」

福居良の2021年作『ライブ・アット・びーどろ'77』収録曲“メロウ・ドリーム(Live at Vidro'77)”
 

――10代半ばにして、バリー・ハリス直系のビバッパーから洗礼を受けてしまった。大変な経験です。

「ただ、ジャズだけやっていたわけでもないんです。ヤマハの発表会などで、年に数回、そのころ流行っていたポップスとか、ミスチル(Mr.Children)の曲なんかもやってたし。スピッツなんかも好きでしたよ。アイドルだと、世代的にドンピシャだったのがモーニング娘。です。僕は聴かなかったけど」

――竹村さんは道重さゆみさんと同い年ですものね。そうした世代の方が10代の頃から、王道モダン・ジャズをびしっと演奏しているのは驚きですよ。

「いやいや、とんでもないです。(当時の演奏を)今聴くと超恥ずかしい。ビ・バップ大好きな人達には本当に申し訳ないです(笑)。

それこそもし福居さんが今生きていて『村雨/Murasame』を聴いたら、僕はめちゃ怒られると思います(笑)」

 

板橋文夫、峰厚介……先輩たちから受けた衝撃が今の僕を作っている

――その後、竹村さんは板橋文夫さんと出会います。板橋さんのピアノ、瀬尾高志さんのベース、竹村さんのドラムスからなる〈板橋文夫FIT!〉が始まって10年になりますね。

「板橋さんとは〈ジェリコ〉で初めて演奏しました。イベンターの方がブッキングしてくれたのが最初です。板橋さんは〈うまく叩こうなんて考えるな、もっとぶつかってこいよ、みんなで音楽しようぜ〉というスタンスの方です。それは当時の僕にとってほんとに衝撃的でした。真横でいっぱい見て、すごく学びました。何をやってもいいんだという感じです。この出会いがなかったら、今の僕はなかったと思います。

小さい時に〈くう〉で峰(厚介)さんのライブを見たのも衝撃でした。ドラムスが本田珠也さん、あとは札幌のメンバーとの共演で。すごくデカい経験だった」

板橋文夫FIT!の桜木町ドルフィーでのライブ映像
 

――竹村さんは現在、板橋さん、峰さんのほかにも、渡辺貞夫さん、藤井郷子さんなど、さまざまなリーダーのもとで活動しています。竹村さんという存在が、一種のプラットフォームになっている。

「いやあ人柄ですかね、なんて(笑)。いや、でも真面目な話、なんでだろう? 自分としては誘っていただいたらがんばるだけなんで」

――ご自身のバンドもすでにMaziwarisがあって、今回の『村雨/Murasame』は井上銘さん、魚返明未さん、三嶋大輝さんとの組み合わせで。

「たまたま今の僕の感じがこうなんだと思います。この4人だからこそのサウンドを今、作品にしたかった。誰が入れ替わってもこの音にはならない。同世代でやりたかったというのもありますし。いずれにしろ、メンバー3人の演奏は本当に素晴らしいので、ぜひ聴いていただきたいですし、アルバムを聴いて興味を持ってもらえたら、是非ライブにも来てほしい。もちろん僕ら以外のライブにもどんどん足を運んでほしいですね」