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軽薄な流行語と優しいメッセージ

“first call”にもその気配はあり、〈今日も1日が終わった/職場と家の往復だけで/誰か呼び出したいけれど/店は早々閉まっちゃうし〉と、時短営業ながらも店がやっている希望が感じられる。

『crepuscular』収録曲“first call”

歌詞で〈陰謀論〉や〈闇落ち〉などの強い言葉を使いながらもモノにし、それに気を取らせることなくサウンドに馴染ませるテクニックはさすがだ。

『cherish』収録の“「あの娘は誰?」とか言わせたい”で〈インスタ〉や〈タワマン〉などの流行の軽薄な言葉を使う躊躇いのなさでリスナーを困惑させた堀込高樹だが、今作もそのアンテナの機敏さは健在。

繰り返される〈first call first call/捕まらない/そんな時は/僕の名を/lean on lean on〉という歌詞の〈孤独なら自分を頼ってほしい〉というメッセージが優しい。

特に〈孤独でなければいいものはできない〉〈作家たるもの孤独であるべし〉と、つらさこそ美徳という価値観が跋扈しがち&まかり通りがちな業界に身を置く小説家としては染みるものがあります。

ところで、このコラムの冒頭に書いた〈最高 最高 最高〉というのは“first call”の一節の引用。

わたしはこのフレーズを聴いた瞬間に〈堀込高樹は「空気階段の踊り場」リスナーなのかもしれない〉と思った。

お笑い芸人の空気階段がパーソナリティを務めるラジオ番組「空気階段の踊り場」のコーナー内に、水川かたまりが2021年に流行らせたいギャグ〈サイコゥ! サイコゥ! サイコゥ!〉をリスナーから送られてきた〈最高なこと〉に合わせて叫ぶというものがあるのだが、それを堀込高樹がサンプリングしたんじゃないかとふと感じた。勝手な憶測だが、万が一の時のために一応書いておく。堀込高樹も〈サイコゥ! サイコゥ! サイコゥ!〉を流行らせようとしてくれているのかもしれない。

 

軽薄な街、SNSの自己顕示欲、恋の終わりの虚しさ

4曲目“薄明 feat. Maika Loubté”。堀込高樹による純度の高いフレンチポップ。引き続き最高です。“プラシーボ・セシボン”という曲を作っておきながら最後までセシボンの意味を知らなかった堀込高樹がフランス語をやっているだけでワクワクしませんか?

『crepuscular』収録曲“薄明 feat. Maika Loubté”

〈雨上がりの観覧車/花言葉/ボードウォーク/指遊び/美術館/チャイナタウン/青りんご味〉と並べられる言葉は、横浜みなとみらい周辺の景色を浮かび上がらせる。

〈さぁここに男女で訪れてください!〉といった感じで巨大な資本によって作られたデートスポットに対して反感を抱いてしまうわたしですが、〈色とりどりのコンテナー/片っぽだけの手袋/嘆きはタイムラインの彼方/その傷はスワイプ出来ない〉〈霧の夜のイルミネーション/誕生日の蝋燭/自分らしさ装うセルフィ/ネタバレしてる人生〉と歌われる軽薄な街とSNSで開示する自己顕示欲や、〈crepuscular〉には〈衰退〉という意味もあるようで、そんなタイトルが象徴する恋愛の終わりの予感は、きらびやかさとその背後にあるものをひっくるめて虚しい。

これもまた前作『cherish』に収録されていた、“「あの娘は誰?」とか言わせたい”で使われていた〈タワマン〉や〈インスタ〉のような単語から感じられる、評価経済社会における自意識や消費社会の過剰さに対するアプローチと通底した言葉の選び方に思えるけど、この曲に出てくる〈スワイプ〉や〈セルフィ〉〈ネタバレ〉は単語の強さで選ばれているだけではなくもっと内面の諦めや自身の過去を歌っている言葉のように思える。

続いてフランス語で歌われる〈Je te vois dans le miroir/C’est plus clair qu’une image/Les étoiles que tu contemples/Nous disent de chanter la la la la.(鏡の中のあなたを見る 画像よりも鮮明/あなたが眺めている星たちが ラララと歌うように言ってくる)〉という歌詞も前作からの世界の広がりが感じられる。

〈鏡の中のあなたを見る 画像より鮮明〉、すごい。

 

コロナ禍でおぼろげになった時間感覚

“曖昧me”。

『crepuscular』収録曲“曖昧me”

『愛をあるだけ、すべて』収録の“時間がない”など、近年の堀込高樹の歌詞では年齢が強く意識されている。

“曖昧me”では〈How old?/曖昧だ/俺 今 いくつだっけ/俺 今 いくつだっけ〉と繰り返される。だけど今回曖昧になってる年齢は、コロナ禍によってほぼ失われたようになっている2年間で取ってしまった年齢なのかもしれないと思った。

〈遠い日の思い出はどれも曖昧/この身に本当に起きたことなのか〉。もはやコロナ以前の時間は少しの前後以外はおぼろげになっているのかも知れない。

先日2年ぶりに友人と会った際、前回いつ会ったのかが結局コロナ以前であること以外わからなかったことを思い出す(結局思い出せなかった)。