2021年に堀込高樹を中心とする〈変動的で緩やかな繋がりの音楽集団〉となったKIRINJIの、新体制になってから、そしてコロナ禍に突入してから初めてのアルバム『crepuscular』。話題になったシングル“再会”“爆ぜる心臓 feat. Awich”を含むこの作品は、意味ありげに〈薄明〉と題されている。では、パンデミックという暗闇に包まれたこの世界で堀込高樹が見たものとはなんなのだろう? 彼は新作でどんなことを歌っているのだろう? 小説家・奥野紗世子が『crepuscular』の歌詞を読む。 *Mikiki編集部
コロナ禍の2年、堀込高樹はなにを見てなにを感じたのか
前作『cherish』のリリースが2019年の11月20日。WHOの発表で、新型コロナ感染症の発生は2019年12月8日とされているようだ。
つまり今作『crepuscular』までのまるっきり2年はコロナ禍と完璧にかぶっている。世界も生活も一変して、KIRINJIもバンド形態から堀込高樹のソロプロジェクトになった。そのタイミングでのリリースだ。
この2年間の世界を、コロナ感染者数が下げ止まり状態の2021年の12月から振り返れば、思ったよりもずっと違うものに変わってしまったと思うし、それがいつからなのかもおぼろげだ。
コロナ以前のライブ映像を見ると人の多さにゾッとするようになった。歌いながらかき混ぜるアイス屋なんか言語道断。ビュッフェでトングを握る際には手袋必須。終電はよくわからないが30分早い。そんな表層的なことだけではなく、根本のコミュニケーションも変わり、無用な対立も起こった。
そんな2年間に堀込高樹はなにを見てなにを感じたのだろうか。鬱屈とした、緊急事態宣言やまん防、おうち時間のあいだ、わたしは常に気になっていたわけだ。
勝負に出たワードチョイスとゴン攻めのサウンド
『crepuscular』、最高 最高 最高!
まずタイトルがすごい。〈crepuscular〉と耳馴染みのない英単語を付けるのは勇気がいる。閃いたときに堀込高樹が〈これは勝った〉と確信したことも、勝負に出ていることも伝わる野心的なワードチョイス。やられますね。〈crepuscular〉。しかも意味が〈薄明〉。ちょっとずるさも感じる。
このタイトルの時点で誠実さを感じます。良くないアルバムにこのタイトルをつけちゃいけないからです。
曲調は、前作『cherish』から、こう進化するとは思わなかった。
グルーヴィかつダンサブルなのはそのままに、全体のトーンは静かで抑えめだと思う。そこらへんにもタイトルの〈crepuscular〉が意味する〈薄明〉を感じる。
わたしは音楽のジャンルに疎いので、そこらへんは別記事のインタビューやレビューなどを参考にしてもらうとして、歌詞だとかからこのアルバムのかっこよさについて話したい。
活動歴25年近くのミュージシャンが、こんなに攻めた姿勢で貪欲にリリースを続けることに恐ろしさすら感じる。今年の流行語であるところの〈ゴン攻め〉ってやつだ。本当に流行していたんでしょうか。それはわかりませんが、勝手に堀込高樹からの〈あなたたちは日和ってますね。俺は常にかっこいいですが……〉という不敵なメッセージを受け取りました。
コロナが跋扈する〈長いトンネル〉から〈薄明〉を見出す
そんなサウンド面も野心的だけど、歌詞も新鮮です。いままでの堀込高樹の歌詞で、こういう調子や日常のディテールの切り抜き方のアプローチは微妙になかったと思う。
先行してリリースされた“再会”では、〈長いトンネルの先/誰だって望んでいるよ/その時を求めている/嘆きと怒り/諍いの向こうで/また会える日を/Let’s meet again!〉と明けないコロナ禍での生活に対するストレートで切実なメッセージが描かれていたけど、1曲目“ただの風邪”――曲名はきっと〈コロナはただの風邪〉と主張している人たちへのアイロニカルなダブルミーニングだろう――では一旦コロナ感染者が減った東京に漂う小休止的なムードと、〈水を飲んでいる/キッチンテーブル/結局、ただの風邪/なんでもなかった〉というコロナではなく風邪で体調を崩していたことがわかった人の安堵が歌われる。
熱があるかどうか確かめるために額に置かれる手のひらを〈冷たいピンクのbutterfly/僕の額でその翅を広げていてよ〉と表現する美しさに目を奪われます。
これはワクチンの接種などにより、コロナが跋扈する〈長いトンネル〉から〈crepuscular〉、つまり薄明が見出されているということなのかも知れない。季節は春と書かれているし、冬来りなば的な希望が見える。