96年、岡村靖幸プロデュースのシングル“愛の才能”で鮮烈なデビューを果たし、現在はメジャー/インディーの枠組みにとらわれない自由な活動を続けている川本真琴。そのデビュー前、20歳のときに自身で作ったデモ17曲が2020年に本名〈川本和代〉名義のカセットテープ『No.1 Hippie Power』としてリリースされた。カセットは即完売してしまったが、今回待望のCDとして再発売される。これを機に、川本本人に当時の話を訊いた。

川本和代(川本真琴) 『No.1 Hippie Power』 MY BEST!(2021)

 

幼少期と88年の川本真琴

初めてのレコーディングはラジカセを4台並べて

――中学・高校時代の川本さんはどんな音楽が好きだったんですか?

「ユニコーン一筋、でしたね、中学3年生くらいから。高校のときはもう追っかけでした。初めて聴いたのはクラスの友達がカセットを貸してくれたからで、〈もう1回聴きたい〉って思って。それからは雑誌の文通欄で、ビデオの貸し借りを全国の人と手紙でやりとりしていました」

――『No.1 Hippie Power』の収録曲のほとんどはヤマハのシンセサイザーであるV50で制作されていますね。

「音楽を自分でやり始めたのは、母がピアノの先生をやっていたので、家にピアノがあったからです。それで、3歳くらいからクラシックを弾いていました。

小学校6年生のときに母がV50を買ってきたんですよ。母が自分で弾くわけじゃなくて買っただけなんですけど、私はそういう機械をいじるのが好きだったので説明書を読みながら何となく使い方を覚えたんです。〈こんなことが出来るんだ、面白いな〉って。それで曲を作ろうとしたわけじゃないんです」

『No.1 Hippie Power』トレーラー

――初めて作詞作曲をしたのは?

「短大を卒業して地元の河合楽器に就職したんですけど、その後すぐに福井でエイズ撲滅のための慈善コンサート(94年3月)という大きなイベントがあったんですよ。地元のバンドがいっぱい出るチャリティーコンサートです。

そこに私もバンドで出ることになって、そのイベントの実行委員もやっていたので、最後に出演者みんなで歌う曲を作ることになったんですね。〈じゃあ、私が作ります〉ってV50で作ったのが最初の曲です。出来るか出来ないか分からなかったけど、やれば出来るだろうって。曲名は忘れましたけど、当時流行っていた“We Are The World”(85年)的な曲です」

川本真琴が出演した94年のチャリティーイベントを報じた新聞記事

――初めての録音はご自身でどうやったのでしょうか?

「その曲はみんなで歌うものなのでコーラスが多いんですけど、家にはMTRとかの録音機材が無いので、ラジカセに1つずつコーラスを録っていって。母が歌謡教室をやっていたからラジカセが4台あったので、それを廊下に並べて同時に鳴らして1つのレコーダーで録るという原始的な方法でミックスしたんです。低音のパートのラジカセはちょっと後ろに置くとか高音はこことか、工夫して。それが初めてのレコーディングです。人に教えてもらったことがなかったので、当てずっぽうというか、〈こうしたらこうなるだろうな〉って考えて作ったわけです」

 

川上茂幸との出会いからオーディションへ

――そのイベントがデビューのきっかけになったんですね。

「そのイベントの審査員に川上(茂幸)さん※がいたんですけど、もう1人、福井に藤丸さんという事務所やレコード会社に詳しい方がいて。その曲、最初はその方に〈ビックリした〉って言われて認められたんです。

川上さんは、そのイベントが終わったときに私のパフォーマンスを褒めてくれたんです。私のパフォーマンスはメチャクチャだったんですけど、〈すごく面白かったから連絡先を教えてほしい〉と言われて。そのときはどういう方かを知らなかったんですけどね。その後何度か連絡をいただいて、〈東京でオーディションを受けてみる?〉って言われたんです」

※編集部注 元カルメン・マキ&OZのベーシストで、NOIZのメンバーとしても知られる。愛称は川上シゲ。福井出身

――最初のオーディションはどうでしたか?

「芸能事務所だったかレコード会社だったかは忘れたんですけど、川上さんに紹介された最初のオーディションはスタジオで、きちっとしたオーディションだったんですよ。カメラも回っているしマイクが上から吊るされていて予想していたのと違ったから、〈マイクを下さい〉と言ってハンドマイクで歌いました。歌ったのはたしかREBECCAの“ガールズ ブラボー!”(85年)。私はあまりにもムチャクチャでスタジオの中で暴れまくったんですよ。壁を蹴って飛んだり、転んでパンツが丸見えになったり。カメラの人は面白がって追っかけてくれたんですけど。

もちろんオーディションには落ちました。でも帰り際に川上さんとソニーのプロデューサーさんから〈今日は落ちたけど、次は大きいステージに出すから〉って言われたんですよ」

REBECCAの85年作『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』収録曲“ガールズ ブラボー!”

――次のオーディションのために曲作りを始めたんですね。

「川上さんから〈次のオーディションでは自分の曲をやった方がいい、詞も曲も自分で書いてみて〉と言われて、〈出来るかなあ〉と思ったけど〈やってみよう〉って思ったんです。それで最初に出来たのが“少年”ですね。

曲は何となく出来たけど歌詞は悩みました、もうゼロからなので。当時付き合っていた彼に相談すると、〈好きに書けばいいやん〉ってちょっとサポートしてくれたんです。その頃、手塚治虫の『ブッダ』を読みまくっていたので、その影響で歌詞が出来ました。

1曲出来てからはどんどん出来てきて、次に出来たのが“人形”ですね。それを川上さんに聴いてもらったら、〈すごくいい〉って言ってくれて」

ぱいぱいでか美の2014年作『レッツドリーム小学校』収録曲“少年”。川本真琴がデビュー前に制作していた同名曲をぱいぱいでか美に提供したもの

――そして、ソニーのオーディションに参加したんですか?

「2回目は新宿のスペース・ゼロという大きいホールで、SIAM SHADEも出ていました。それはソニーのSD制作部が外部にプレゼンテーションするためのショーケースでした。その前の年はPUFFYの(吉村)由美さんが出ていましたね。そこで“少年”と“人形”を歌いました。

それで正式にデビューが決まってソニーの担当さんも付いて、〈まずはアルバムを出すためにどんどん曲を作っていきましょう〉となったんです。その頃、好きだったのはCharaさん、五島良子さんでしたね。

ホントはバンドがやりたかったんですけど、川上さんから〈ソロがいい〉と言われて、曲作りもソロ向きのシンプルなメロディーラインを作っていったと思います。どういうメロディーが面白いかと考えていました」

 

そして〈川本真琴〉になった

――上京したのはいつなのでしょうか?

「川上さんにびっくりされたんですけど、実はそのオーディションの前に会社を辞めて東京に引っ越してきちゃっていたんですよ、受かるかどうかも分からないのに。親は〈出ていくのはいいけど援助はしない〉と言うので、会社と自分の家でピアノ講師をして、それ以外のバイトもしまくって半年くらいで100万円貯めて、これで何とかなるだろうって。

そして、レコード会社も事務所もマネージャーも同時に決まったんです。その後ソニーで曲作りをしていてしばらくしたときにディレクターさんが変わって、マネージャーさんから〈デビュー曲は誰かに頼んだらどうか〉という話が出て、〈誰がいい?〉と訊かれたので、〈じゃあ、岡村靖幸さんに!〉とお願いしたんです。

それでこれまで作ったデモを岡村さんに聴いてもらったら、〈僕の曲もいいけど、このデモの曲を出すのもいいんじゃないか〉と言われたこともありましたね」

――そうして生まれたのがデビュー曲“愛の才能”(96年)なんですね。

「岡村さんから曲が届いて詞を書き始めたんです。プリプロが始まってからは缶詰状態でしたね。私の歌い方が曲に合っていなくて、ディレクターさんから〈それじゃダメだ、まず“Stand By Me”をマスターしなさい〉と言われて。“Stand By Me”の合格点が出てから何度も練習して歌い方を見つけていったわけです。私の中ではそれが初めてのロックでした。

そしてディレクターから〈これからは新しいプロジェクトでやっていきたいから、これまでに作ったデモのことは忘れて〉と言われて、アルバムのために曲を作っていったんです」

――〈川本真琴〉になる前は〈Lupino〉という名義でデビューする予定だったそうですね。

「〈Lupino〉という名前は私がつけたんです。あと、ソニーのプロデューサーから〈小川ハノン〉がいいんじゃないかと言われて、それに決まりそうになったこともありました。もっと面白いのは、母の知り合いから〈あなたは面白いから芸名を付けてあげる、『朝霧舞子』にしなさい〉と言われたこともありました。それで、事務所のマネージャーが行きつけの神保町の占い師のところに行って、〈今日からあなたは『川本真琴』だから〉となったわけです」

 

私は絶対に歌手になる

――では、今回CD化されるデモ音源集『No.1 Hippie Power』の収録曲について教えてください。

「“G.I.W.”は、東京に越して来てから出来た曲です。電気屋の周りを自転車でぐるぐるしながらメロディーを考えていて、踏み切りの前で遮断機が下りてきたときに思いつきました。〈これだ!〉っていうのが降りてきたんです。この頃作った曲は他に“Will You Are Marry?”と“助けてよwindy”ですかね。

竹達彩奈の2013年作『apple symphony』収録曲“G.I.W.”。川本真琴がデビュー前に制作していた同名曲を竹達に提供したもの。ちなみに〈G.I.W.〉は〈Go! Inspiration! Wow!〉の略

あとは福井の実家で作ったものです。家に居た20歳くらいのときは、体の中がエネルギーで充満していました。やる気というよりは栄養で満たされているというか、体重もかなりあったし、平気で3日寝なかったり1日中走り回ったり、何でもかんでも楽しかったです。

これらの曲を作っていた頃、毎日夜中に家の近くの川の前や公園の空き地やグラウンドの駐車場で歌っていました。ハスキーボイスに憧れていたので声を潰したくて車の中で意味不明な雄叫びを上げていましたね。眠くなったらそのまま寝ちゃっていたんですけど。

あるとき、降ってくるほどの、見たことないくらいに星が沢山出ていたんです。朝は海によく行っていましたけど、空と海と自分が一体化する感覚があって。自然と繋がっているんだって強く思いましたね。次元を超えた満たされ方をしていた時期でした。そのときに〈私は絶対に歌手になる〉と思ったんです」

 


RELEASE INFORMATION

川本和代(川本真琴) 『No.1 Hippie Power』 MY BEST!(2021)

リリース日:2022年1月19日(水)
品番:MYRD146
仕様:CD
価格:2,805円(税込)

TRACKLIST
1. G.I.W.
2. 誕生日
3. No.1 Hippie Pop
4. 少年
5. ギター
6. LOVE YOU
7. 三日月のドア
8. Happy End For You
9. 人形
10. 四次元の風船
11. 夕焼けの丘
12. 悲しい空もよう
13. 恋のリップ
14. さんぞうほうし
15. 助けてよwindy
16. 誕生日(full ver.)
17. Will You Are Marry?

作詞、作曲、編曲、演奏、ボーカル、録音:川本和代 1994年

 


PROFILE: 川本真琴
74年生まれ。96年、ソニーよりシングル“愛の才能”でメジャーデビュー。2000年代初頭にプライベートオフィスを設立し、メジャー/インディーにとらわれない活動を続けている。近年はソロ活動の他、川本真琴 with ゴロニャンずなどのバンドプロジェクト、楽曲提供、絵本の原作、CMの歌唱など多方面で活躍中。2019年8月に9年ぶり、4作目のアルバム『新しい友達』を発表、話題となる。