クラシックや古の映画音楽にも通じる劇的さを有する、独特のエクストリームミュージックを奏でてきたVeiled in Scarletが、2枚組の新作『Reincarnation』を完成させた。アルバムタイトルは〈生まれ変わり〉を意味する言葉だが、本作はバンドを率いるKeija(ドラムス/キーボード)がかつて在籍していたSERPENTの楽曲をセルフカバーした内容だ。

SERPENTとは、神戸で結成された、日本のメロディックデスメタルシーンの先駆け的な存在で、『CRADLE OF INSANITY』(2005年)と『xGODx』(2008年)という2枚のアルバム等を残し、後続世代に多大な影響を与えたバンドとして知られている。

彼らの最大の魅力は、アグレッシブさはもちろんのこと、ピアノ等を交えた、涙腺を刺激する叙情性に溢れたメロディーを配するドラマティックな楽曲にあった。その理念はVeiled in Scarletにも受け継がれており、ライブでのレパートリーにもなっているが、今、なぜ過去の名曲たちを改めて採り上げることになったのか、KeijaとShin(ボーカル)に話を訊いた。

Veiled in Scarlet 『Reincarnation』 Walküre(2022)

 

歴史的に重要なメロディックデスメタルバンドSERPENTの始まりと終わり

――SERPENTがいかに歴史的に重要なバンドであったのかは、実際にその音に触れていたファンにとっては自明の理ではありますが、Keijaさんのキャリアにおいても、大切な存在であり続けていると思うんです。

Keija「そうですね。当事者だから、周りからどう見られていたのかというのは、あまりわからないですけど、自分の音楽的な土台を作れたバンドだとは思いますね。

あの当時って、周囲にあまりメロディックデスメタルバンドがいなくて、何とか知名度を上げて、もっと多くの人にこういった音楽を聴いてもらおうと頑張ってたんですよね。その点では、今よりもっとギラギラしてたかなと思うんですよ」

――ShinさんもSERPENTを聴いていたそうですね。

Shin「普通にファンとして聴いてましたね。当時、僕も別のメロデスバンドやってましたけど、正直、このクォリティーはヤバいなと思って。特に『xGODx』はかなり好きだったんですよ。だから、今、巡り巡って、僕が今回のアルバムでSERPENTの曲を歌っているというのは不思議なんですけどね」

――そうでしょうね。現在のKeijaさんに繋がるという意味で、SERPENTの起点は新たに始動した2002年になると思うんです。翌年にリリースされたデモCD-R『BLOODY GATES』が尋常ではないセールスを記録して、SERPENTへの注目度が一気に高まった。

Keija「僕はイン・フレイムスを聴いて、ああいうスタイルの音楽をやろうと始めたんですけど、もっと日本的に、日本人にわかりやすいようにと曲作りをしていたんですね。だから、『BLOODY GATES』では、それに対する手応えをすごく感じることができて、〈これはいけるかな〉と思いましたね。

『BLOODY GATES』は、あの当時、世界30ヶ所ぐらいのレーベルに送ったんですよ。その中でドイツのニュークリア・ブラストとオランダのハマーハートから連絡があったんですね。ただ、その時点では、〈もうちょっと他の曲も聴きたい〉みたいな曖昧な返事で。そのうちに日本のサウンドホリックから〈ライブを観てみたい〉とコンタクトがあって、結果的に契約をすることになったんですよね」

――当時、海外アーティストのCDを販売していたサウンドホリックが、初めて手掛けた国内のバンドがSERPENTでした。それぐらいバンドに対する期待も大きかったことになりますよね。

Keija「あのデモがなかったら、始まってなかったですよね。『BLOODY GATES』は1,200枚ぐらい売れたんですよ。でも、そんなに売れると思ってなかったし、自分のパソコンで全部焼いてたんですよね。ジャケットもプリンターで印刷して……プリンターも2台ぐらい壊れましたからね(笑)」

――サウンドホリックからは、まず2005年に『CRADLE OF INSANITY』を発表し、2008年には『xGODx』をリリースしましたが、SERPENTの歴史は、ほどなくして閉じられてしまうんですよね。

Keija「自然解散に近いですね。精神的にも参ってましたかね。バンドをやるのに疲れていて、腰も調子が悪いし、ちょっと休みたいなって。当時、方向性にも迷ってたところがあったんですよね。『xGODx』のときにはHiro(ベース)が書いた曲もありましたけど、結構モダン寄りなところもあって、バンドとしてどう進んでいけばいいのか、それを考えてるうちに疲れてきて。〈何か変えなきゃ〉みたいな意識はありながら、やっぱり根っこの部分は変えたくなくて。そんな葛藤はありましたね。

だから、自分の中で、やり尽くした感みたいなものもあったんだと思います。もう書きたい曲は書けたかなみたいな」