BLINDMAN(ブラインドマン)は、今年でアルバム・デビュー20年の節目を迎える日本産ハードロック・バンドの重鎮だ。ハードロック/ヘヴィメタルが他ジャンルとの混交を繰り返して細分化・枝分かれする一方で、BLINDMANは度重なるメンバー交代と紆余曲折を経ながらも、骨太かつメロディアスなハードロックを一貫して追求。2018年11月21日(水)には、通算10枚目となるニュー・アルバム『Reach For The Sky』をリリースする。

前作『To The Light』(2016年)で、バンドは新メンバー2人を迎え入れて文字どおり〈光〉を見出し、その勢いを保ったまま、今作『Reach For The Sky』では同一ラインナップでさらなる高みを目指している。ミュージック・ビデオが公開された“Now or Never”やタイトル・チューンを一聴すればそれは明らかだ。

Mikiki初登場となる今回は、バンドの屋台骨を一手に担うリーダー、中村達也にデビュー20年の節目を迎えた心境や、ニュー・アルバムで試みた新機軸、そしてソングライティングとアルバム制作に対するこだわりなどを語ってもらった。

BLINDMAN 『Reach For The Sky』 Walküre(2018)

 

長年バンドを継続できた秘訣は〈好きだから〉

――BLINDMANは98年4月の『SENSITIVE PICTURES』でアルバム・デビューを果たしました。長いキャリアを通じて、メジャー進出~活動休止~解散~再結成という浮き沈みがあったものの、20年間でオリジナル・フル・アルバムを10枚リリースしているので、結構なハイペースでは?

「そうですね。今回も特に20年の節目だからといって仰々しいことをせず、ごく普通にアルバムを作りました。

これだけ長期間バンドを継続できた秘訣は、一言で表せば〈好きだから〉。でも、アルバムを出しても結果がまったく伴わなければバンドは潰れやすいですよね。幸いなことに、うちは最低限のラインをクリアしているので、活動を続けられるのではないかと思います。

言い換えると、ことさら大きな野望を抱いていないんですよ。ハイリターンを望めば望むほど、リスクが高くなる一方なので」

――それは無理なく自然体、という意味ですか?

「自然体であることと、一生懸命やることは別物なんですよ。アルバム作りに関しては一切妥協しないし、もし予算面で妥協しなきゃいけない事態が生じたら、身銭を切る覚悟もあります。良質のアルバムを作ろうという気持ちは誰にも負けませんから。

でも、それは名誉欲を満たしたいからじゃない。もうそんな年齢じゃないですし。もしかすると下の世代から猛烈な突き上げを食らったら、僕の出番はもう来ないかもしれない。下の世代にはもう少し発破をかけたいところだけど、最初に話したように〈好きだから〉ここまで続けていられるんでしょう」

――遡ること20年前、BLINDMANがデビューした90年代末、洋楽シーンはコーン、リンプ・ビズキット、リンキン・パーク、スリップノットなどのニュー・メタル勢の全盛期で、邦楽シーンではヴィジュアル四天王(FANATIC◇CRISIS、L’acryma Christi、MALICE MIZER、SHAZNAの4組)がメジャー進出していました。その一方で、BLINDMANやCONCERTO MOONのような正統派HR/HMバンドが登場した現象は興味深く映ります。下山武徳加入後のSABER TIGERが北海道から全国区に進出したのもほぼ同時期で、少し後になるとANTHEMが9年間の沈黙を破って2001年に再結成しますが。

「僕は18歳からバンドを組んでライヴハウスに上がっていましたが、二十歳を過ぎた頃にはジャパニーズ・メタルブームが下火になっていました。音楽性は今も昔も変わらず正統派HR/HMでしたが、当時はどんなライヴハウスに出ても客席では閑古鳥が鳴いているような状態で、本当にしんどかったです。

でも、それはヴィジュアル系の人達のほうが勢いで勝っていただけのこと。僕自身は時代を変えるような斬新な音楽をクリエイトするタイプではないし、長年影響を受けて培ってきたHR/HMをひたすら愚直にプレイするしかなかったんです。おそらくSABER TIGERやCONCERTO MOONなども同じスタンスじゃないかと思いますが。

あくまで自分達のバックグラウンドであるHR/HMを正常に進化させようじゃないか、という道を選んだところ、90年代末にヴィジュアル系の熱気が一段落し、もう一度HR/HMムーヴメントが起こるのでは、という気運が高まった。それで、98年にアルバム・デビューして今に至っているわけです」