田村三果とBRIAN SHINSEKAIのデュオが待望のアルバムを完成! 洗練されたエレガントな音世界にはラブとエナジーとモチベーションが広がっている!

音楽やってみない?

 巷のシティ・ポップ熱に重なる情緒も備えつつ、より広範なニューミュージックやニューウェイヴ、80年代ポップスが伸びやかに広がるレトロ/モダンな音風景――もともと田村三果のソロ・プロジェクトとして2020年に始動し、今年1月にサウンド・プロデュースを務めるBRIAN SHINSEKAIが正式加入したLafuzin(ラフジン)。田村は00年代末に福岡から登場したCHEESE CAKEの元ベーシストで、BRIANはソロ活動のほかOKAMOTO’Sの鍵盤サポートやPIGGSの楽曲プロデュースでも知られる鬼才だが、そんな両者の縁は、CHEESE CAKEとブライアン新世界(当時)が揃ってファイナリストに名を連ねた10代限定フェス〈閃光ライオット2009〉にまで遡れる。時を経てバンドを脱退した田村はデザイナーの道へ進むが、BRIAN率いるBryan Associates Clubのアートワークを手掛けるなどの交流は続いていたそうだ。その後プライベートでは交際に発展した二人ながら、音楽面でのコラボまではそれから数年を要することになった。

田村三果「福岡で暮らしてた頃から趣味で曲作りはやってて。曲作りと言ってもホントiPhoneのGarageBandで簡単なデモを作るみたいな作業なんですけど、それはずっとコンスタントにやってました」

BRIAN「一緒に住みはじめて〈音楽やってみない?〉みたいに話したけど、たぶん音楽活動を再開するのも最初は相当ためらってたよね? デモを初めて聴かせてもらったのも付き合って3年目ぐらいで、まず曲を作ってることすら教えてくれなかった(笑)。恥ずかしかったんだと思うけど」

田村「そう、ベーシストだったんで、何か自分で作った歌を人に聴かせるのが凄い抵抗があって、ずっと隠してたんです(笑)」

BRIAN「聴かせてもらったら何か殺人鬼みたいなノイズとかグランジみたいな曲もやりつつ、ポップスもやってて、何か凄いデモ集だなって(笑)」

田村「デモはあっても、自分の中でどういう形で世に出していいか迷ってたんです。で、“ポーラー・ナイト”を聴いてもらった時に、デモは90sのヒップホップみたいなビートだったんですけど、〈シティ・ポップみたいな方向性に固めていったら合うかもしれないね〉って言ってもらって、そこで自分でも進んでいけそうな自信が持てて」

BRIAN「デモはけっこうハスキー・ヴォイスでブルー・ノートを多用したっぽい歌い方が合いそうなアレンジで。三果ちゃん的にも自分の声質と合ってないんじゃないかって悩んでて、それが2020年の1~2月ぐらいの、日本のシティ・ポップが海外でバズってる感じも広まってきた頃で。僕は竹内まりやさんや山下達郎さんはドンピシャで通ってはないですけど、オフコースとか大好きで、その時代の文化が大好きなので、三果ちゃんの声質とか存在感ってそういう曲にバッチリ合うんじゃないかと思って、陰な感じのデモをシティ・ポップ風のサウンドにしてみたら良い感じにまとまって、それで方向性が見えた感じでした。三果ちゃんも自分の声が乗った“ポーラー・ナイト”を聴いて前向きな自信が持てて、それが〈ちゃんと世に出そう〉ってなったきっかけだったかな」

田村「バンド時代は曲作りにもほとんど携わってなかったですし、自分が歌って、自分の考えを曲に反映するっていうのは、まったく別の作業みたいな感覚で。活動再開というよりは新しいことに挑戦する気持ちが大きかったですね」

 ちなみにLafuzinという不思議なネーミングも彼女が名付けたものだ。

田村「さっき殺人鬼の曲とかいう話が出たんですけど、最初はけっこうヒップホップっぽい、陽と陰なら陰のほうの音楽をやりたくて、漢字で〈裸婦人〉にしようと思ってたんですよ。芸術の鑑賞が好きで、クリムトの『裸婦人』を見てこの名前にしたいなって思って。そこから音楽性も練っていって、明るめのジャンルにしていったほうが自分的にも納得できるなってなった時に漢字表記はやめて、フランス語で女性名詞に〈La〉を付けるので〈La Fuzin〉ってちょっとオシャレな感じでいいなと思って」

BRIAN「〈roughな人〉みたいな意味も込めたんですよ、確か」

田村「そう、〈laugh〉だと笑うっていう意味になるなと思って。そのラフっていうところと、〈La〉でフレンチ・ポップみたいな要素もちょっと入れつつ、いろんな意味を込めてLafuzinにしました」