〈リチャード・カーペンター plays The Carpenters Greatest Hits and more Billboard Live 15th Anniversary Premium Live〉が2023年3月27日(月)にビルボードライブ大阪で、3月29日(水)、3月30日(木)、4月1日(土)にビルボードライブ東京で、4月3日(月)にビルボードライブ横浜で開催される。
カーペンターズとして音楽史に残る名曲を生み出してきたリチャード・カーペンター。彼の特別な来日公演を前に、オフィシャルサイトのバイオグラフィーをもとに、その偉大な足跡を簡単に振り返ってみよう。
1946年、米コネチカット州ニューヘイブン生まれのリチャード・カーペンターは、幼い頃から音楽好きの父が所有するレコードに親しみ、当時のポピュラーやジャズなどを聴いていたという。8歳でアコーディオンを始めたがピアノに転向、15歳でピアノを本格的に学びはじめ、地元で演奏活動を開始。いっぽう1951年生まれの妹、カレンも10代になると音楽で表現することに目覚め、ドラムの演奏を始めた。
2人は、65年にリチャードの同級生であるウェス・ジェイコブズとリチャード・カーペンター・トリオを結成し、ジャズを演奏しはじめた。そして66年にレーベル、マジック・ランプのオーディションを受けて、カレンのソロで契約をすることになる。リチャードが作曲したシングル“Looking For Love”(B面は“I’ll Be Yours”)をリリースしたものの鳴かず飛ばずで、レーベルもすぐに廃業してしまった。
その後、トリオはハリウッド・ボウルで開催されたコンテストにてボサノバの名曲“Girl From Ipanema”のインストゥルメンタル版を演奏して優勝。その日にRCAのマネージャー、ニーリー・プラムから声をかけられ、トリオでRCAと契約した。ビートルズのカバーやオリジナル曲“Flat Baroque”などを録音したが、サイケデリックムーブメント黎明期の時代にそぐわないと判断され、契約を打ち切られてしまう。
トリオの解散後、2人の音楽活動は軌道に乗らず、ジョン・ベティスらと新たなバンド、スペクトラムを結成。バンドは短命に終わってしまったが、次にジョー・オズボーンに誘われてレコーディングを敢行。バンドサウンドから離れ、カレンのボーカルをメインにする方向にシフトしていった。
その後、TV番組「Your All American College Show」のオーディションに合格して出演を果たす。さらに、それを見た広告代理店がフォードのCMにスカウトした。2人は成功を手にしたものの、レコード会社との契約には至らなかった。
そんななか、オズボーンと録音したデモテープをA&Mのハーブ・アルパートが耳にし、彼はカレンの歌声とリチャードのサウンドに魅了される。2人は69年に契約を取り付け、同年にファーストアルバム『Offering』(のちに『Ticket To Ride』に改題)をリリース。大ヒットには至らなかったものの、ロングセラーになった。
そんな2人に興味を持ったのが、『Ticket To Ride』を耳にしたバート・バカラックだった。彼は、以前ディオンヌ・ワーウィックに書いた“(They Long To Be) Close To You”をカーペンターズに提供。同曲のリリースから6週間後、全米チャートでついに1位を獲得することになる。
71年にはグラミー賞でアルバム『Close To You』(70年)が6部門にノミネートされ、最優秀新人賞などを獲得。“We’ve Only Just Begun”もヒットして、全米2位にまで上昇した。さらに、ロジャー・ニコルズ&ポール・ウィリアムズ作の“We've Only Just Begun”も大ヒットする。71年にはそのうえ、“For All We Know”“Rainy Days And Mondays”“Superstar”といった名曲たちを生むことになる。
翌72年には、『Carpenters』(71年)に続く4作目『A Song For You』を発表。翌年にヒットする“Top Of The World”などの代表曲を含む名作だ。
73年に入ると、シングル“Sing”がミリオンセラーに。さらに、誰もが知る名曲“Yesterday Once More”が産み落とされ、米英と日本で驚異的なヒットを記録する。それらを収めた名コンセプトアルバム『Now & Then』が成功するとともに、リン・アンダーソンのカバーをきっかけにカットされたシングル版の“Top Of The World”がミリオンセラーに。同年にリリースされたベスト盤『The Singles 1969-1973』は、アメリカで1,200万枚以上のセールスを記録するなど、破格のヒット作になった。
74年はビートルズのカバーでも知られる“Please Mr. Postman”がヒットし、アルバム『Horizon』がベストセラーになる。しかし、レコーディングとツアーの繰り返しでカレンの健康と精神に負担がかかり、体重管理への不安から拒食症の症状が目立つようになった。75年には食欲不振のために休養を余儀なくされ、2人はツアーの延期を決断した。
76年、アルバム『A Kind Of Hush』をリリース。12月には特別番組「The Carpenters’ Very First TV Special」が放送され、高視聴率を獲得。この成功は、その後の特番へと続いていく。しかし、この頃にリチャードは以前からの睡眠薬の常飲が発覚し、彼の健康が蝕ばれていくことになる。