演劇界・映画界の最前線に立つ鬼才マーティン・マクドナーの全世界待望の最新作
映画と舞台。芸術の分野で共通点も多い2つの世界だが、演出家としてその両方で成功を収める人は意外に多くない。イギリスのマーティン・マクドナーは、その数少ない才能の一人だ。
映画監督としての前作で、その年の映画賞レースを席巻した『スリー・ビルボード』(2017年)。娘がレイプの末に殺され、その犯人を探す母親の過激な行動を描いた同作で、マクドナーの脚本家、演出家としてのアプローチに驚いた人は多い。理屈では説明できない人間の感情の動き、意味深げなセリフを俳優たちにナチュラルに語らせる手腕、そして時に織り交ぜられる強烈なブラックユーモア。思いもよらぬ方向で観る者の心をざわめかせる、そんなマクドナーのスタイルが改めて発揮されたのが『イニシェリン島の精霊』だ。
1923年、アイルランドの小さな島で、純朴な性格で誰からも愛されるパードリックが、長年の親友のコルムから突然、絶縁を突きつけられる。壊れていく2人の友情に、ただならぬ不穏な空気が張り詰め……。冷気も伝わってくるような荘厳な映像美、アイルランド伝承の精霊というファンタジックな要素に、島の住民の生々しいエピソードも絡んで別世界へ連れて行くこのドラマ。マーティン・マクドナーは、タイトルをきっかけに作り上げていったという。
「かつて『The Banshees Of Inisherin(イニシィアの精霊)』という未発表の戯曲を書きましたが、長い年月とともに残ったのは題名だけでした。奇妙で神秘的なこの題名を基に、今回の脚本を一気に書き上げたのです。イニシェリンは架空の島で、アラン諸島で最大のイニシュモア島で撮影を行うことにしました。来る日も来る日も同じことを繰り返し、同じ人としか会わない島の暮らしは偏狭になりがち。そんな島での静かな毎日が、ある日破壊されたら……という発想です」
これまでもアラン諸島を舞台にした自作の戯曲を演出してきたマクドナーだが、本作では物語をアイルランドの内戦の時代に設定している。ここには大きな意図があったようだ。
「この映画では2人の男の〈小さな戦争〉を描きつつ、背景の大きな戦争とともに、錯乱状態にある感覚をもたらしたかったのです。両方の戦争には寓話的な側面もあるので、現代のドラマとしては描けなかったでしょう。美術や衣装のスタッフの功績により、脚本の文章が鮮やかに視覚化され、衣装を着た俳優が現場に現れただけで演技の必要すらないと感じるほどで、これは私にとっても初めての体験でした」
そう語るマクドナーだが、俳優たちは信じがたいレベルの演技力を発揮している。前作『スリー・ビルボード』もアカデミー賞では、フランシス・マクドーマンドに主演女優賞、サム・ロックウェルに助演男優賞がもたらされたように、マクドナーの作品では、もともと実力派といわれた俳優たちが、その演技力のレベルが何段階も引き上げられる。『イニシェリン島の精霊』でも、その事実を改めて実感するはずだ。しかもメインの2人を演じるコリン・ファレルとブレンダン・グリーソンは、マクドナーの監督作『ヒットマンズ・レクイエム』でも共演している。親友に突然嫌われた理由がわからない、お人好しのパードリックの苦悩、そして、ある強い信念から人生を変えようと、辛辣な行動にも出るコルムの揺るぎない決意……。それぞれを変幻自在の表情とともに体現するファレル、グリーソンに、観ているこちらの心は鷲掴みにされるのだ。マクドナーは初めから2人を想定したいたのだという。
「『ヒットマンズ~』以来のコンビを組んでもらいたくて、脚本では2人を当て書きしました。2人とも真実の醜さから逃げず、真実を追求する優れた俳優なんです。彼らは役がどんなに陰険になろうと、あるいは邪悪になろうと物怖じせずに演じ切ります。セリフのひとつずつを誠意と誇りで満たすのです。同時に2人は卓越したコメディアンでもあります。本作は場面によっては悲痛極まりないのですが、同じくらいに笑える要素もあり、ハードルの高い演技が要求されますが、彼らは全く動じませんでした」
こうした俳優たちの名演技に引き込まれ、張り詰めた空気の中で友情が壊れていく物語には後半、目を疑うような展開がいくつか用意される。この衝撃はぜひ本編で〈体感〉してほしいが、マクドナーが「寓話的」と語るように、またアイルランドの島の荒涼としたノスタルジックな風景もあって、どこかファンタジーの世界に誘われる感覚も濃厚だ。タイトルにある「精霊=バンシー」も、その感覚を誘う重要なキーワードだ。
「アイルランドでは多くの人が神話の幽霊であるバンシーを知っています。普通は女性で、歳をとっている場合もあります。むせび声を上げ、村々に不吉な死を告げるのです。このバンシーは映画を観れば、より深く知ることができるでしょう」
そう語るように、マーティン・マクドナー監督は精霊の力も与(あずか)ってわれわれ観客に魔法をかける。強烈なまでにシビアで痛々しいストーリーの後、訪れる幻想的で優しげな後味は、おそらく予想外のものであるだろう。
MOVIE INFORMATION
「イニシェリン島の精霊」
監督・脚本:マーティン・マクドナー
音楽:カーター・バーウェル
出演:コリン・ファレル/ブレンダン・グリーソン/ケリー・コンドン/バリー・コーガン/他
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(2022年|イギリス・アメリカ・アイルランド|114分)
©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
2023年1月27日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか 全国ロードショー
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