貴重な写真集やポスターに想像力を刺激される

このソニー独自パッケージこそ国内盤SACDの眼目だ。手のひらの上に乗せると持ち重りがする。全体が7インチシングル盤と同じ寸法の紙ジャケット仕様なのだが、それと同じサイズの写真集が付属していて、これが重さの正体だ。中身は72年の来日時に撮影されたメンバーの写真40葉で、画質・紙質とも申し分ない。当たり前だが全員揃って若々しく、カラー写真では血色の良さに目を見張った。50年という歳月の流れを思い知らされる。

サイズは小さいが、縦長のツアーパンフの複製も興味深い。当時フロイドの理解者として力があった宇野亜喜良氏のコメントや、内田裕也氏の生々しいフロイド体験記が載っている。バンドのメンバーを紹介する文章も辛辣かつ挑発的で、身を張ってロックの最前線で戦っていた時期のフロイドを思い起こさせ、時代の相が窺われる。

その他のポスター・来日公演チケットの複製など付き物については各種の記事などに説明を譲りたい。これらの印刷物は日本国内オンリーのものが貴重だ。今まで伝説や写真でしか知らなかった物品なのに、(複製とはいえ)いきなり実体を突きつけられるのだから堪らない。73年に埋められたタイムカプセルを開けるような体験ができて、いたく想像力を刺激される。こんな思いを味わえるとは想像しなかった。令和の時代も、こう見えてなかなか捨てたものではない。

『狂気ー50周年記念SACDマルチ・ハイブリッド・エディション』開封動画

 

〈建築科出身〉のバンド

この文章の冒頭で指摘した『狂気』の特異性について説明したい。

ロックの世界には〈アートスクール系のバンド〉という系譜がある。ロキシー・ミュージックやトーキング・ヘッズが典型的で(他にも多数)、音楽が専門ではないから演奏はそれほど上手ではないかも知れないが、ビジュアルのセンスや発想の面白さで勝負をかけるタイプだ。音楽的なルーツと確かな演奏力で音楽を作る伝統的なバンドのあり方とは違うが、ロックは折に触れてアートスクール系バンドから新しい血を導入し、刺激を受けることで表現の幅を広げてきた。

ピンク・フロイドもアートスクール系バンドに準じるが、他と決定的に違うのは主要メンバーが建築科の出身だった点だ。文系ではなく理系であり、当然のことながら両者の発想は全く異なる。建築は完成形から逆算し、仕事を完遂するための材料を地道に積み上げる作業が重要だ。堅牢な建物は一時の衝動や思いつきだけで建てられない。全体を見通す構想力が必須となる。効率や手順、テクノロジーを重視するのは言うまでもない。そして、当初の目標を達成するために使える手段は何でも使う。これがフロイドの音楽の作り方の基礎となった。

演奏力が平凡なら、楽曲の構成や詞作、舞台上の演出、照明、映像……それらすべてを動員して自分たちの不利を補う。初期のライブにおけるスライドショウ、ライトショウに始まり、録音済みテープによる効果音、円形スクリーンに投影するイメージ映像、人間や豚を形どった巨大なバルーン、花火、さらには会場内を飛行してステージに激突し燃え上がる模型飛行機……とエスカレートしていった。単なるミュージシャンとして振る舞うのではなく、総合力で勝負したわけだ。

ピンク・フロイド『狂気』50周年記念ドキュメンタリー

 

先進的なサラウンドの試み

その中でも特に威力が強いのがサラウンド音響である。PA装置の平均水準が現在とは比べ物にならないほど貧弱であった頃から、フロイドは〈アジマス・コーディネーター〉と名付けたオリジナル機材を装備し、ライブ会場に4チャンネルサウンドを導入した。会場の四隅にスピーカーを置き、それぞれから好きな音を出せるようにセットする。映画のサラウンド音声よりもはるかに先駆けており、先進的な試みだった。

70年代に入ると4チャンネル規格のLPレコードが実用化され、家庭でのサラウンド再生が可能になった。フロイドにしてみれば、ライブ会場と同じ演出をリスナーの部屋で再現できるのだから、我が意を得た思いだったろう。必然的にアルバムの4チャンネルバージョンが次々と作成された。『狂気』50周年盤のジャケットに巻かれた金帯の表示〈「4チャンネル」RMサウンド〉は、それを表したものだ。

しかし、今と違って当時はオーディオ機材の全てがアナログ技術に基づいており、4チャンネルLPレコードの再生音は理想から程遠かった。ノイズが多く、演奏音が曇りがちになる。各チャンネルのセパレーション(分離)が悪く、チャンネルどうしで音が混じり合ってしまう。そうした弱点をカバーするため、ソフト側ではサラウンド感を強調するミックスが行われた。初心者が聴いても効果が分かりやすく、サラウンドのありがたみが伝わる音場構成だ。初期のステレオLPにもあった〈泣き別れ〉と呼ばれる分離過剰な音作りである。

こうした技術的な問題にオイルショックがもたらした不景気が追い打ちをかけ、新しいハードウェアを必要とする上に部屋の中で場所を食う4チャンネルLPは成功しなかった。この失策が音楽業界と家電業界のトラウマになったのか、アナログ盤と交代したCD規格はサラウンドをフォローせず、CDの次の音楽ソフト規格となるSACDおよびDVD-Audioが登場するまでの約20年間はサラウンドにとって冬の時代となった。