音楽の聴き方が多様化した今、タワーレコードがおすすめしているのが高音質なSACDでのリスニング。この連載〈SACDで聴く名盤〉では、そのSACDの魅力や楽しみ方をお伝えしています。今回取り上げるのは、ビクターとタワレコの小澤征爾さん追悼企画として『黒人霊歌集/ミュージカル・ハイライト』と同時に初SACD化された『オーケストラル・スペース 1966 & 1968』。本作を著書「ジャズの秘境」などで知られる書き手の嶋護さんが紹介してくれました。 *Mikiki編集部
1960年代、熱気の時代に頂点に差し掛かった前衛音楽
1960年代は熱気の時代だった。経済や技術の急速な成長に、人々は明るい未来を熱く確信していた。そして、科学や社会が進歩するように、音楽も進化するものだと信じた。こうして、新しい価値観に基づいた前衛音楽が世界中で創られた。しかし、1968年から世界的な規模で民主化運動や反戦運動が広がり、進歩史観は楽天的に過ぎるのではという疑念が頭をもたげ始めた。
日本では、前衛音楽シーンの高揚感は、大阪で万国博覧会が開かれた1970年まで持ち堪えたが、1973年のオイルショック以降はっきりと収束に転じた。時代的気分の変化が主な原因だが、現代音楽の演奏会の運営には古典作品よりも大きな手間やコストがかかり、大きな収益も期待し難いことも追い討ちをかけた。
1966年と1968年、武満徹と一柳慧は東京で現代音楽祭〈オーケストラル・スペース〉を企画開催した。指揮者は小澤征爾、若杉弘、秋山和慶。室内楽曲や器楽曲も俎上に載せられ、海外作曲家の作品も取り上げられた。
日本ビクターは、この演奏会をライブ録音し、そこから1966年に2枚、1968年に1枚、計3枚のアルバムをリリースした。今回のリイシューは、このLP 3枚を2枚のSACDハイブリッドに収めたものである。
1966年と1968年という日付には重要な意味がある。20世紀初頭に端を発した現代音楽の潮流は、この時一大潮流になっていた。〈オーケストラル・スペース〉の録音は図らずも、頂点に差し掛かっていた時代の熱量を生なましく記録したドキュメントになったのである。
〈オーケストラル・スペース〉が良音質である2つの理由
ところで、この時代の日本のオーケストラ録音は共通する弱点を抱えていた。日本でホールといえば多目的ホールばかりで、オーケストラ専用のホールはひとつもなかった。これは録音制作にとっては、足腰を鍛えていないスポーツ選手が試合に出るようなものだ。
だが、幸いにも〈オーケストラル・スペース〉の録音は上々のサウンドだった。その理由を2つほど推測してみよう。
ひとつは、収録された作品の性質だ。ベートーヴェンやブルックナーのオーケストラ作品は、重厚なレゾナンスを有するコンサートホールで演奏されることを暗黙のうちに想定している。一方、ここに収められた20世紀中期の作品は、少なくともブルックナーのようにはトラディショナルな厚い響きのコンサートホールを前提としているとは言えず、〈不利〉もそれほど気にならない。
もうひとつは、これがライブ録音であることだ。通常、ライブ録音には様々な制約や障害がつきまとう。しかし、ここではライブ録音特有のアンビエンスや演奏中の様々なノイズが、むしろリアリティの向上に一役を買っている。とかくデッドになりがちだったこの時代の国内録音に比べ、明らかな活気が付け加えられている。