©Anton Corbijn

ピンク・フロイド再評価の気運も何のその、巨人は新境地に辿り着いた。家族や仲間と語らい、老いや死について思索を重ねたギタリストの眼差しは静かに人生を捉えている

 ロック史に残る名作『The Dark Side Of The Moon』の50周年記念盤、ドキュメンタリー映画「シド・バレット 独りぼっちの狂気」など、昨年からピンク・フロイドの歴史を振り返る作品が続いたが、ロジャー・ウォーターズ脱退後に新生ピンク・フロイドを率いたギタリスト、デヴィッド・ギルモアが9年ぶりの新作『Luck And Strange』を完成させた。

DAVID GILMOUR 『Luck And Strange』 Legacy/ソニー(2024)

 ここ数年、ギルモアは活発だった。2020年にソロで新曲“Yes, I Have Ghost”、2022年にはウクライナ支援を目的にピンク・フロイド名義の新曲“Hey Hey Rise Up”を発表。“Yes, I Have Ghost”では娘のロマニー・ギルモアをゲスト・ヴォーカルに迎え、妻であり作家のポリー・サムソンが歌詞を提供していて、パンデミック中に家族で曲を作り上げたことが『Luck And Strange』を生み出すきっかけのひとつになったのだろう。本作でもロマニーがヴォーカルとハープで参加して、歌詞の大半をポリーが提供。さらに息子のガブリエルとチャーリーも参加している。そして、バンド・メンバーには、80年代からピンク・フロイドやギルモアのソロ作に参加してきたベーシストのガイ・プラットを始め、レジェンド級のドラマー、スティーヴ・ガッド、ロジャー・イーノなどギルモアが信頼を置く仲間たちが集まった。

 ギルモアと共同プロデュースを手掛けたのは、アルト・ジェイのプロデュースで注目を集めたチャーリー・アンドリュー。彼の仕事ぶりを高く評価していたギルモアが、アンドリューのInstagramに直接メッセージを送って声を掛けた。ギルモアの自宅に招かれたアンドリューはデモを聴いて「どうして、ここにギター・ソロが必要なんだ」と率直な感想をぶつけたという。萎縮せずに対等な立場でアイデアを投げてくるアンドリューの姿勢、そして、その的確さに感心したギルモアは、彼と意見を交わしながらアルバムに取り組んだ。

 その一方で、パンデミック中にギルモアはポリーと老いや死について何度も話し合い、それがアルバムのテーマとなった。アンドリューは歌詞の内容についても質問して、そのテーマに沿ったアイデアを曲作りやレコーディングに落とし込んでいったという。

 そして、完成したアルバムは、ギルモアらしい叙情的なメロディーを軸にして、〈歌〉をじっくりと聴かせる作品に仕上がった。“Yes, I Have Ghost”を発表した際、深みを増した歌がレナード・コーエンに例えられたこともあったが、本作にはシンガー・ソングライターのアルバムのような内省的なムードが漂い、死を意識しながら静かに人生を見つめ直す眼差しが、曲に毅然とした力強さを生み出している。亡くなった盟友、ピンク・フロイドのキーボード奏者だったリチャード・ライトとのセッション音源が表題曲に使用されているのも感慨深い。

 アンドリューの采配もあってか、ギルモアのギター・ソロは自然に曲に溶け込んでいる。全盛期のピンク・フロイドにおいて、ロジャー・ウォーターズがバンドの〈知性〉だとしたらギルモアは〈感情〉だった。ブルースをベースにしたギルモアのエモーショナルなギター・プレイは、ピンク・フロイドの曲に豊かな表情を与えたが、本作でもギルモアが奏でる歌うようなギターが、もうひとつの声として聴く者に語りかけてくる。

 ギルモアは本作をかなり気に入っているようで、海外のメディアの取材では、『The Dark Side Of The Moon』以降、自分の作品のなかでは最高の出来と語っている。今回ピンク・フロイド関連の作品では初めて日本盤のみのボーナス・トラックが認められたのも、その満足感があればこそだろう。新しい才能との出会い。そして、家族との絆から生まれた本作は、80歳を目前にしてなお音楽を探求し続けるギルモアが、新たな一歩を刻んだ重要なアルバムだ。

デヴィッド・ギルモア関連の近作。
左から、ジ・オーブ&デヴィッド・ギルモアの2023年作『Metallic Spheres In Colour』(Legacy)、デヴィッド・ギルモアの2015年作『Rattle That Lock』(Columbia)、ピンク・フロイドの73年作の50周年記念盤『The Dark Side Of The Moon(50th Anniversary Remaster)』(Pink Floyd/Legacy)

チャーリー・アンドリューの参加作。
左から、マリカ・ハックマンの2023年作『Big Sigh』(Chrysalis)、アルト・ジェイの2022年作『The Dream』(Infectious/Canvasback)