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大きな喪失感

 後半は打って変わって、シブがき隊+チェッカーズな“ナイナイ!セブンティーン!”からスタート。タイトルからしてほぼあの曲である。

桜井「リリースの2か月前ぐらいの時点で3曲しかなかったから、これはやべーぞ?と保険かけて突貫で作った曲。その割に気に入ってます(笑)。世界観は既存の“ミッドナイト!ミッドナイト!ミッドナイト!”と繋げていて、どちらもイメージは『特攻の拓』だったり『特攻天女』だったり。あとはまあ、〈ナイナイ〉って言ったら“NAI・NAI 16”ですよね。ぶっちぎりでヤバい森雪之丞氏の歌詞に負けないよう、ぶっちぎりに80年代な歌詞をノリだけで書いてます(笑)」

 そこに続くのは、クールなグラム・ロック“恣”と、ジャジーなグルーヴと密やかな詞世界が蠱惑的に渦巻く“東京アーバン夜光虫”。

桜井「“恣”を最初に聴いたときは〈めちゃカッコいい曲がきた〉と思って。かと思ったら突然〈コラージュにモンタージュにソバージュ♪〉って始まってぶっ飛んだっていう(笑)」

石井「ラヴロケ(ラヴ&ロケッツ)みたいな淡々としたメロディーにしたかったんだけど、そこに日本語の歌詞を乗せると変になるから、だったらまるっきり意味のないものがいいだろうと。〈意味がないよ、こんなものは〉ってことを歌ってるっていう」

桜井「“東京アーバン夜光虫”のテーマは、最後の歌詞に集約されてますよね。〈夜しか生きられない〉し、〈夢は夜ひらく〉んですよ。強くないと、したたかじゃないと生きていけないねって。いまなんて、トー横がすごいことになってるじゃないですか。女の子がズラッと並んでて。でもまあ、時代は関係なく、宇多田(ヒカル)の母ちゃんも〈十五、十六、十七と私の人生暗かった〉って歌ってますしね。“圭子の夢は夜ひらく”わけです。あと〈Big City Tokyo〉ってフレーズは、浅川マキ氏の“TOKYOアパートメント”から拝借。80年代の東京がこれでもか、ってくらい溢れている大好きな曲ですね。いま聴いても『CAT NAP』(82年)以降のマキのアーバンさ加減は他の追随を許さないですから」

 ラストの2曲は石井による“月に吼えるまでもなく”と、桜井による“沈む夕陽は誰かを照らす”。サウンドの方向性はそれぞれだが、詞世界から感じられるのはいずれも大きな喪失感。この一年の間に世を去った、彼らの音楽的な源流を遡ると行きつくであろう存在に向けたパーソナルな心情だ。

石井「“月に吼えるまでもなく”の原曲はデヴィッド・ボウイの“Heroes”みたいなミニマルな感じだったんですよ。それをコード進行だけ残して、もう少し日本人に優しい感じにしようと。ガッツリとした歌モノの曲にアレンジを変えました。歌詞は、書き出したらこうなってたってことです。それぐらい大きな出来事がありましたよね? それがなければ、こういう歌詞は一生書かなかったと思います」

桜井「“沈む夕陽は誰かを照らす”の大元になってるのは、『11』のときに作った“東京、40時29分59秒”。西新宿のあの時と同じ何も変わらない景色と空の色を見ながら、それでも望む望まないにかかわらず取り巻く環境はいつの間にか変わってしまっていて、そのことに感じる空虚さや焦燥感を30周年のタイミングで書いておこうかな、って。だけど、あまりにも大きい出来事が起こると、どうしてもそれに引っ張られちゃいますよね。高校のときからずっと追いかけてきた存在が、当たり前に続くと思っていた世界が突然失われてしまった。そんなときに自分はどうするか。その意志表明をしたというか、目的を見誤らないようにいまの思いを書いておきたかったというか。この歌詞はそんな感じです。サウンド面は“東京、40時29分59秒”と同じで、ファンハウスに移籍してからのオフコースのイメージ。思った通りのものに仕上がったと思います」

 リリース直前からはツアーも開幕。「いまは『17』の曲をちゃんとやれるようがんばってるところ(笑)」(桜井)とのことだが、本文中にもあるように、既存曲と『17』収録曲との結び付け方もポイントとなるはず。最終公演のLINE CUBE SHIBUYAまで、cali≠gariの30周年はまだまだ続く。

cali≠gariの近作。
左から、2024年のEP『冬の日』(密室ノイローゼ)、2023年作『16』(ビクター)、2023年のEP『16予告版』(密室ノイローゼ)、2021年作『15』(ビクター)

石井秀仁と桜井青が参加したDER ZIBETのトリビュート盤『ISSAY gave life to FLOWERS -a tribute to Der Zibet-』(POP MANIA LABEL)