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頂点に立ったブラーとブリットポップの熱狂

そんなアルバムを、これまた英国発祥のグレーハウンドレースの写真で包んで1994年4月に送り出したブラーは、先陣を切って1993年春にファーストアルバムを全英1位にしたスウェードに続いて、初のナンバーワンを獲得。奇しくもこの直後にカート・コバーンが急死し、またもや服喪ムードにしばし行く手を阻まれたのだが、今回は勢いが違った。アルバムの出来も違った。

セールスを着々と積み上げた彼らは、本作の発売とほぼ同時にデビューしたオアシスとツートップでブリットポップを加速させ、1995年にはエラスティカやパルプもアルバムチャートを制し、ブラーがオアシスとシングルチャートの頂点を競う〈バトル・オブ・ブリットポップ〉が英国民を熱狂させたことはご承知の通り。さらにジーン、スーパーグラス、メンズウェア、スリーパーなどなど新人が続々デビューし、チャートを騒がせ、グランジ勢から主導権を奪っただけでなく地元のポップやダンスアクトの類も圧倒する。つまり、英国独自のオルタナティブロックがメインストリームを制覇したわけだ。そう、まさにニルヴァーナやパール・ジャムがアメリカのメインストリームを席巻したように。

それでいてブラーは次の『The Great Escape』(1995年)でブリットポップ時代に別れを告げ、5作目『Blur』(1997年)で、ほかでもなくアメリカのインディロックに刺激を求めて、大胆に路線を転換。アイロニックな展開とも言えるのかもしれないが、名実共に彼らを国民的バンドの座へと引き上げて、好きなことをする自由を与え、究極的には30年後も存続することを可能にしたアルバム――それが『Parklife』だったのである。