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30年を経てなお愛される名作『Different Class』の真価とは?

バンドにとってのふたつのピーク

 2025年と1995年。30年の時間に隔てられたふたつの年は、もうすぐ結成から半世紀を迎えるパルプのキャリアにおいてもっとも重要な節目であり、クリエイティヴなピークだと言って過言ではない。

 まずは2025年について話そう。1990年代英国のブリット・ポップ・シーンを象徴するバンドのひとつとして広く知られる彼らは、2002年にいったん活動を休止したのち、2023年5月になって本格的に活動を再開。大規模なツアーで世界各地の新旧ファンを熱狂させたのみならず、今年5月に8作目にあたる24年ぶりのアルバム『More』をリリースすると手放しの称賛を浴び、全英No. 1を獲得。長い空白を経て、単にカムバック・ツアーを成功させただけでなく、自分たちのレガシーに相応しい新作を完成させるという偉業を達成し、華麗に復活を遂げている。

PULP 『Different Class 30』 Island/ユニバーサル(2025)

 他方の1995年はご存知、このたび30周年記念盤としてリイシューされた名盤『Different Class』が登場し、パルプが満を持して国民的バンドの座に就いた年だった。〈満を持して〉というのは、この時点ですでにバンド誕生から17年の歳月が流れていたからだ。何しろフロントパーソンのジャーヴィス・コッカーが、15歳の時に故郷シェフィールドでパルプ(当時はアラビカス・パルプと名乗っていた)を結成したのは78年のこと。その5年後にファースト・アルバム『It』を発表し、メンバー構成と音楽性を変えながら細々と活動を続け、80年代末にジャーヴィス、キャンディダ・ドイル(キーボード/コーラス)、ニック・バンクス(ドラムス)、スティーヴ・マッキー(ベース:2023年に死去)、ラッセル・シニア(ギター/ヴァイオリン)のラインナップに落ち着く。そして90年代初めにはマイナー・ヒットを放ち、メディアの関心を引くようになった。ちょうど、当時優越的な位置にあったアメリカン・カルチャーに対し、英国的な美意識や音楽性に則った表現で抗う動きとして、ブリット・ポップに火が点いた時期だ。

 さらに大手レーベルへの移籍を経て、94年に4作目『His ‘N’ Hers』で全英TOP10入りを果たした彼らは翌年5月、キャリア最大のヒットを記録することになるシングル“Common People”(全英チャート最高2位)を送り出した。つまりこの時点で十分に勢いづいていたわけだが、『Different Class』リリースに向けて絶好の追い風を呼び込んだのが、95年6月の〈グラストンベリー・フェスティヴァル〉での初パフォーマンスだった。今回の30周年記念盤では、リマスターされたアルバム本編をDisc-1に収録し、Disc-2にはその公演の一部始終を『Sorted? Live At Glastonbury 1995』として収めている。正式に音源化されるのは初めてだ。

 出演に至る経緯もおもしろい。当初、同フェス2日目のメインステージではザ・ストーン・ローゼズがヘッドライナーを務める予定だった。しかしギタリストのジョン・スクワイアの怪我でキャンセルに追い込まれ、パルプが代役に抜擢されたのが開催8日前! このアルバムを録音中だった彼らは急遽リハーサルを行ない、6月24日、まだ誰も聴いていない新曲を多数含む計13曲のセットを披露した。「人生で一番緊張した」とジャーヴィスは回想しているが、音源からも聴き取れるように、パルプは数万人の観衆を自分たちのペースに引き込み、随所で大合唱を誘って、のちに伝説と化すパフォーマンスを見せ付けたのである。

 「あの栄光を経験したから、何をしても大きな話題になるだろうと思えた。上昇気流に乗っているのを実感していたんだ」とニックが語っているように、さらなる刺激を得てスタジオに戻ったバンドは曲をブラッシュアップし、出来に満足できない曲をボツにしながら、アルバム制作を続行。プロデューサーを務めたのは、ビートルズからロキシー・ミュージックにセックス・ピストルズなどなど大物と軒並みコラボしてきたクリス・トーマスだ。起用の理由をジャーヴィスは、「特徴的なスタイルが明確にあるわけではなくて、とにかく質の高いレコードをたくさん手掛けていた」からだとしている。また、ファンクラブ会長を経てツアー・マネージャーを務めるなどして長年バンドを支えたマーク・ウェバーがここにきてギタリストとして正式メンバーとなり、6人編成で取り組んだ作品だったことも指摘しておきたい。