盲人による映画のすべて
山中の湖畔の家に引っ越しを決めた主人公は不動産業者に「ご職業は?」と尋ねられるとぶっきらぼうに「転売業者です」と答える。不動産業者はその答えにたいした反応もせず帰っていくのだが、いよいよ主人公が新しい人生を始めるという転居のシーンの最後に添えられたこのやり取りのぶっきらぼうさとあいまいさがいつまでも鈍く心に残る。果たして人は転売業を実際にやっていたとしても新居を借りる契約をしたばかりの不動産業者に「転売業です」と何の躊躇も思惑もなく答えたりできるものだろうか? この奇妙な肌触り。当たり前の普通さゆえの強さ、何もないゆえの重さと言ったらいいのか。主人公のそんな態度が黒沢清の最新作「Cloud クラウド」という映画に雲のようにぼんやりと纏わりつく。
カメラは感情や人間の内面を写すことはできないのだと、これまで何度となく黒沢清は語ってきた。この映画ではそんなカメラの制限を極限まで徹底させる。登場人物たちは今ここに映っている人でしかない存在として彼らの現在に向き合い言葉を発し行動を起こす。水蒸気が集まり雲となり雨が降りそして気圧と風の影響で水蒸気は霧散して雲は消える、そんな自然現象のように人々は集まり行動を起こし散り散りになっていく。主人公は悪辣な買取を見せたかと思えばネットでの新たな買取のシーンでは買取のクリックをする指先が震えなかなかクリックできないという始末。その行動の原理が見えないと言ったらいいのか見えすぎると言ったらいいのか。まるで盲目の人が手探りで世界を見ていくようなこの世界の肌触りと言ってもいい。いや、生きるとはそのようなものではないかとこの映画は語る。われわれは手探りで世界と向き合う盲目の人なのである。カメラはそんな盲目の人として世界を見て写し取る。手のひらと足の裏がカメラのレンズであるのだと。
宇宙人がこの地球の現実を見たらこんなふうに見えるんじゃないだろうか。無意味な戦争、狂暴化する自然災害、株の乱高下、きりのない性犯罪や広がるばかりの差別……。まとめてみるとトータルな動きであるようにも見えるが個別にはまったく一貫性のない現象の連続。まさにそれもまた雲のようなものと言えるだろうか。そして気が付くとそこは地獄。この映画はそんなわれわれの世界を厳密に映し出す。謎はどこにもない。スクリーンにはカメラの限界を徹底厳守した純度の高い映像と音響があるだけだ。盲目ゆえに撮り得る世界の姿はどこまでも鮮明で軽やかで同時に底なし沼でもある。普通に生きていたはずの若者が気が付くと銃撃戦の真っただ中。どこにでもある東京の日常から自然の中の湖畔の家へ、そして一気に廃墟へと風景が変わる。その変容と断絶の強さを手のひらと足の裏で観ることができるかどうか。われわれは生き方を確実に変えねばならない。身体の在り方を変えなければならない。それを示すことだけが今映画にできるすべてであると、つまり映画のすべてがここにあるのだと、この映画のようにそっけなく当たり前のように言えたらと思う。
MOVIE INFORMATION
映画「Cloud クラウド」
監督・脚本:黒沢清
音楽:渡邊琢磨
出演:菅田将暉/古川琴音/奥平大兼/岡山天音/荒川良々/窪田正孝 ほか
配給:東京テアトル 日活
(2024|日本|123分)
©2024「Cloud」製作委員会
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公式Instagram:@cloudmovie2024
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2024年9月27日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか 全国ロードショー