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20年前に集まった、自由に駆ける馬たち

――話を聞いていると、目に見えない絆とともにNo Name Horsesが続いてきたのだなと思えます。ジャズシンガーの伊藤君子さんのレコーディングがNo Name Horses結成のきっかけと聞いていますが、それがなかったら組んでいなかったのでしょうか。

「なかったでしょうね。2003年に伊藤さんのレコーディング(『Once You’ve Been In Love』)があって、そこで集まったみんなの音があまりに素晴らしくて、2005年にファーストアルバム(『No Name Horses』)を出したんです」

――当時はニューヨークにお住みでしたでしょうし、そもそもどういう方々に声をかけたのでしょう?

「ぼくがもしビッグバンドをやるんだったら、三木俊雄(テナーサックス)とはやりたいと思っていたんです。彼はフロントページ・オーケストラを持っており、ぼくは日本の管楽奏者を知らなかったこともありましたし。

そんなおり、ペコさん(伊藤君子の愛称)がご主人の海老沢一博さん(ドラムス)と1枚アルバムを作りたいとおっしゃって、海老沢さんだったらコンボじゃなくてビッグバンドだろうとぼくは思い、ビッグバンドで録音しました。海老沢さんが声をかけたのはエリック(・ミヤシロ/トランペット)、近藤和彦(アルトサックス)、(中川)英二郎(トロンボーン)とかだったかな。ぼくは三木に声をかけてジャズのライブでバリバリやっているメンバー6人を集め、一方、海老沢さん側のスタジオでガッツリやっているメンバー6人も集まってできたのがこのバンドなんです。

そしたら、そのブレンドが良かったのか、素晴らしい響きが出て、〈だったらこのバンドでツアーをやりたい〉と思ったんですよ」

――No Name Horsesというバンド名なんですが、そもそもどういう意味合いでつけたのでしょう?

「相棒の三鈴が考えた名前ですが、このバンドにはメンバーとして東京のサラブレッドが集まっているわけじゃないですか。東京でファーストコールの所謂サラブレッドと呼ばれるメンバーが集まったバンドなんです。ただサラブレッドには馬主がいて名前もついている。これだけ自由奔放に駆け回る馬なのにオーナーがいないということで、No Name Horsesはどうだろうとなりました。ところが、実はみんなそれぞれのお家には馬主がいたんですけど(笑)」

 

アレンジを学んだことがピアニストとしてのぼくに広がりを与えた

――もともと、小曽根さんはビッグバンド経験はおありだったんですか?

「中学の時に北野タダオさん(ピアノ)に師事していたことがあって、高校の時からかな、週一で北野さんのアロージャズオーケストラのクラブギグに参加していました。北野さんは自分の席を高校生のぼくに譲って弾かせてくれました。だから、その頃からビッグバンドが好きで、ビッグバンドのアレンジを勉強しにバークリーに行ったんです」

――バークリー音楽大学では、ピアノ専攻ではなかったんですか。

「作編曲科です。それと一番のきっかけは穐吉敏子さんですね。穐吉さんが『花魁譚』というアルバムを出されて、高1ぐらいの時に昔の大阪サンケイホールで演奏を聴いたんですよ。その音楽に心から感動して、穐吉さんを追いかけてぼくは絶対アメリカに行かなきゃと思いました」

――それは知りませんでした。

「バークリーで学んでアレンジができるようになったら、すぐに帰ってこようと思っていました。恩返しで北野さんのお手伝いをできたら、と。でも、ありがたいことにクインシー(・ジョーンズ)にまず声をかけられ、その後は天下のコロムビア(現ソニー)からデビューさせていただき、ゲイリー・バートンに出会いました(セルフタイトルのデビュー作『OZONE』は彼がプロデュースした)。

結局、アレンジを学んだのがピアニストとしての自分にすごく広がりを与えたんだと思います。だって、当時のぼくは(オスカー・)ピーターソンのように弾けるピアニストになりたかったんですから。ピーターソンのモノマネだと言われても、それでよかったんですよ。でも、デビューするとなった時に〈これはまずい〉と思って、〈ピーターソンじゃない方向に行かなきゃ〉とコンポーズを必死で始めたわけです」