タワーレコードのアナログ専門店〈TOWER VINYL SHINJUKU〉のレコメンド盤を紹介する連載〈TOWER VINYL太鼓盤!〉。第17回は前回に引き続き、2020年7月からTOWER VINYLに期間限定でオープンしているパイドパイパーハウスを特集します。
TOWER VINYL内のパイドパイパーハウスのオープンを記念して、12月23日にタワーレコード限定のアナログ盤として再発されたのが、フィフス・アヴェニュー・バンド『The Fifth Avenue Band』、オハイオ・ノックス『Ohio Knox』、ピーター・ゴールウェイ『Peter Gallway』という〈三種の神器〉。パイドの店主・長門芳郎さんの監修で最新リマスタリングを施し、さらに重量盤としてよみがえった3枚は、必携の決定盤と言えるでしょう(詳細はこちら)。
今回はこの再発盤について、長門さんと、『Peter Gallway』のライナーノーツを執筆したミュージシャンの谷口雄さんにたっぷりと魅力を語っていただきました。3枚に隠された秘密、歴史的な重要性、日本のシーンとの関わり、そして音楽的な豊かさとは?
ユーミンの名曲の元ネタはオハイオ・ノックス?
――今回再発されるのは、山下達郎さんいわく〈三種の神器〉です。
長門芳郎「これまでに何度か再発されて、僕らの世代は聴き継いできた作品です。ただ新しいファンも増えているし、いまだに若手ミュージシャンたちに影響を与えている。リリースから50年経ったいまも、〈すごい!〉って思う人はいるだろうね」
――谷口さんがこの3作を知ったのはいつでしたか?
谷口雄「15、16年前の学生時代ですね。深夜のスーパーでバイトしていて、同僚に変わった人が多かったんです。そのなかにこの時代の音楽が好きで、ウッドストックまで遊びに行っちゃうようなすごい人がいて。向こうでブラウニーを食べたらマリファナが入っていたとか、そういう話をよく聞かせてもらっていました(笑)。その人の家で聴いたのが、たぶん最初。ドリームズヴィル(長門芳郎のレーベル)のCDを好きでよく買っていたので、その流れもあったかも」
――なるほど。では、リリース当時はどういう状況だったのでしょう?
長門「69~72年頃の日本ではほとんど紹介されていなくて、はっぴいえんどやシュガー・ベイブ周辺の人たちが聴いていた。
はっぴいえんどでは誰が最初に聴いていたのか実際のところはわからないけど、僕は大滝(詠一)さんだと思う。大滝さんはビージーズ・ファンクラブの会員で、ラヴィン・スプーンフル・ファンクラブの会長の石塚(始子)さんと仲がよかったんだよね。大滝さんは石塚さんからスプーンフルのレコードを借りたそうだから、スプーンフルの弟バンド的なフィフス・アヴェニュー・バンドも聴いていた可能性が高い。スプーンフルとフィフスは、プロデューサーもマネージャーも同じだからね」
――フィフス・アヴェニュー・バンドはラヴィン・スプーンフルの弟バンドだったんですね。
長門「よく覚えているのは72年に四谷のロック喫茶、ディスク・チャートに僕がウェイター兼音楽係で入ったときのこと。この3枚やアルゾ、ベン・シドランなんかのレコードをリアルタイムで仕入れてヘビロテしていたんだよね。
それを聞きつけて、山下(達郎)くんたちが遊びに来るようになった。あるとき矢野誠さんが〈ここはいい音楽がかかるから〉ってター坊(大貫妙子)を連れてきて、それから彼女はしょっちゅう来ていたね。ザ・ゴールデン・カップス、スクール・バンドのジョン山崎もよく来ていた。オハイオ・ノックスやベン・シドランをかけていると〈これ、いいね〉って言ってくれて。スクール・バンドにはその影響がもろに出ていたね」
――そして、なんと言ってもティン・パン・アレーへの影響が大きいですよね。
長門「キャラメル・ママ/ティン・パン・アレーのメンバーは、みんなこの三種の神器やフル・ムーンのアルバム(72年作『Full Moon』)を持っていた。たとえば、シゲル(鈴木茂)の“氷雨月のスケッチ”(73年)は、(フル・ムーンの)バジー・フェイトンが書いたラスカルズの“Icy Water”(71年)が元になっているしね。
あと、これはあまり言われないけど、松任谷(正隆)がアレンジしているユーミン(荒井由実)の『MISSLIM』(74年)あたりにはその影響が顕著に出ている。“瞳を閉じて”はオハイオ・ノックスの“Land Of Music”だから、ぜひ聴き比べてみて。『MISSLIM』の演奏はキャラメル・ママだし、コーラスはシュガーだから、当然だよね。
松任谷のソロ・アルバム『夜の旅人』(77年)が再発されたときにインタビューしたら、ユーミンも歌っている“HONG KONG NIGHT SIGHT”はフル・ムーンの“Need Your Love”が元ネタなんだって。たしかに、ベースラインは思いっきりフレッド・ベックマイアー(笑)」
ジャンルを横断する移民たちの歌
――70年代は、日本のポップスにこの3枚やフル・ムーンからの影響が表れていた時代だったわけですね。日本のポップ音楽史を語るうえで、実は外せない3枚だと。
長門「そう。シュガー・ベイブのバンド名の候補には、〈下赤塚5丁目バンド〉もあったから。それだけ日本では、彼らの音楽から得たインスピレーションがポピュラーに、わかりやすい形で出ている」
谷口「その世代の人たちが吸収していたからこそ、いまだに日本のポップスにはその響きが残っていますよね。当時、どういうところが琴線に触れたんだろう?」
長門「フィフスのメンバーはグリニッジ・ヴィレッジで育って、モータウンからブルース、フォークまで、いろいろな音楽を吸収していたから、それが魅力なんだろうね。当時のNYにはブラジル音楽も新しい刺激として入ってきていたし」
――フィフス・アヴェニュー・バンドやフル・ムーンの音楽は、本当にジャンル横断的ですよね。
谷口「グリニッジ・ヴィレッジはハーレムも近いんですよね」
長門「そう。ストリート・コーナーのア・カペラ、ドゥーワップがすぐそばにあった。黒人だけじゃなくてプエルトリカンの子どもたちも歌っていて、それを聴いて育ったのがフィフスの連中やローラ・ニーロだった。
あと、フィフスのようにハーモニーを重視したバンドはいなかったね。彼らのコーラスは、ビーチ・ボーイズとはぜんぜんちがう。ルーツは、そういうストリート・コーナーの音楽やイタロ・アメリカンのドゥーワップだろうね」
谷口「だから、〈移民の歌〉でもあるんですよね。最近本で読んだのは、アメリカに先に入植したプロテスタントの移民は芸術活動をよしとせず、後から来たカトリックのアイルランド系やイタリア系移民が芸術の仕事を担ったということ。アメリカの歴史を調べるとアイルランド系のアパラチアン・ミュージックやイタリア系移民の音楽が重要だとわかって、おもしろいんですよね」