店長/オーナーの長門芳郎氏とゲストをお迎えしてイヴェントも定期的に開催
はちみつぱい、ムーンライダーズの歴史を鈴木慶一が語った大満足の1時間30分!

 70年代に青山にオープンして、数多くのミュージシャンや音楽ファンから愛された伝説のレコード店、パイド・パイパー・ハウスの店主にして、細野晴臣大貫妙子など様々なミュージシャンのマネージャーも担当してきた長門芳郎。そして、はちみつぱいムーンライダーズといったバンドを通じて日本のロックに影響を与えてきた鈴木慶一。日本のロック・シーンの激動期の真っ只中を生きた二人によるトークショウが1月19日に行われた。場所はタワーレコード渋谷店内に復活したパイド・パイパー・ハウス。店の前には大勢の音楽ファンが駆けつけて、二人のおしゃべりに耳を傾けた。

 二人の出会いは72年。長門が働いていたロック喫茶、ディスクチャートに客としてやって来た鈴木は、店内でレフト・バンク《プリティ・バレリーナ》が流れているのを聴いて、思わず「このレコード、持ってるんですか?」と長門に話かけたとか。ディスクチャートといえば、同じく客として来ていた山下達郎、大貫妙子らがシュガー・ベイブを結成した場所。彼らのデビュー・シングル曲《DOWN TOWN》のレコーディングを、鈴木は見学していたらしい。その一方で、はちみつぱいのファースト・シングル『君と旅行鞄』のレコーディングを覗いた長門が、大滝詠一がエンジニアをやっているのを見て驚いたという話も。どちらも、70年代の日本のロック・シーンの熱気が伝わるエピソードだ。

 はちみつぱい解散後、鈴木は76年に「鈴木慶一とムーンライダース」名義で、ソロ・アルバム『火の玉ボーイ』を発表する。昨年、本作は2枚組デラックス・エディションで復刻されたが、その際に76年に行われた新宿ロフトのライヴ音源が収録された。鈴木によると、そのほとんどが他ではやっていないアレンジで貴重な記録だとか。さらにムーンライダーズのクラウン在籍時代のアルバムをまとめた『ムーンライダーズ in CROWN YEARS 40th Anniversary BOX』についても触れ、クラウン時代に朝までレコーディングして守衛に睨まれたことや、ツアーの出し物として、トランポリンで宙返りをしながら楽器を弾くという危険な挑戦をしたことなど、笑いを交えて当時を振り返った。そして、鈴木はクラウンと契約した理由のひとつとして「細野さんがいるから大丈夫だと思った」と語ったが、70年代のクラウンは、細野晴臣、大貫妙子、鈴木茂などの作品を次々と発表して、日本の新しいロック・シーンを牽引していた。

 そして、話題がムーンライダーズのトリビュート盤『BRIGHT YOUNG MOONLIT KNIGHTS -We Can't Live Without a Rose-』についての話になると、参加アーティストのポニーのヒサミツ1983谷口雄がサプライズで登場。それぞれのカヴァーをその場で聴いて選曲の理由を語った。鈴木と長門というレジェンドを前に、照れくさそうな若者二人。「このアルバムは本当に良い! 他人が歌うとまったく違うものに聴こえるね」と鈴木はアルバムに太鼓判を押したが、世代を越えて音楽が繋がっていくことを伝えるこのイヴェントが、復活したパイド・パイパー・ハウスで行われたのも感慨深い。

 レコード店はモノを買うだけの場所ではなく、音楽好きの交流の場でもある。そんな「場」であることを大切にしてきたのがパイド・パイパー・ハウスだった。かつてパイドは自主的にアーティストを招聘したり、レーベルを立ち上げたりして、独自のネットワークを広げていった。この日、長門は79年にパイドが出したフリーペーパーを持参して、そこに鈴木が80年代の音楽シーンを展望する原稿を寄稿していたことを紹介。鈴木は「この写真の私は化粧してるね」と照れ笑いしながら、当時、ムーンライダーズのメンバー全員がパイドで段ボールいっぱいのレコードを買っていたこと。そして、そこには長門さんのおすすめのレコードが必ず入っていたことを振り返った。そこで行き交っていたのは、お金とレコードじゃなく、音楽への愛と情熱。それが今も二人の原動力になっていることが伝わるイヴェントだった。

 


INFORMATION

PIED PIPER HOUSE in TOWER RECORDS SHIBUYA
期間:7/14(金)まで(予定)
場所:タワーレコード渋谷店5F 特設コーナー
営業時間:10:00~23:00 不定休
towershibuya.jp/