JJJが死去した。

SPACE SHOWER MUSICおよび同スタッフのXアカウントが、JJJの訃報を伝えた。JJJは昨日4月13日に亡くなり、葬儀は近親者のみでおこなう予定だという。死因などは発表されていない。35歳だった。

JJJ(jjj)こと相馬貴裕は1989年、神奈川・川崎生まれのラッパー/DJ/プロデューサー。故FEBB(Febb as Young Mason)と知り合ってFla$hBackSを結成、同ヒップホップグループにはのちにKID FRESINOも加入した。Fla$hBackSとしては2013年にフリーEP『FLY FALL』を配信し、その後に1stアルバム『FL$8KS』をリリースした。同作が評判を呼び、2014年の映画「渇き。」の音楽に参加するなど話題を呼ぶが、3人は個々の活動が増え、Fla$hBackSとしての活動は散発的になる。

ソロアーティストとしてのJJJは、FRESINOのソロアルバム『HORSEMAN’S SCHEME』(2013年)をプロデュース、さらに2014年に自身の1stアルバム『Yacht Club』を発表。同作も高く評価された。

2016年にはTBS系列のテレビ番組「クイズ☆スター名鑑」のオープニング曲を担当し、2018年に2ndアルバム『HIKARI』をリリースした。前作に続いて高い評価を得たほか、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)主催の〈Apple Vinegar Award〉で大賞も受賞。

その後も客演やビートメイカーとしてのビート提供を続け、2023年に6年ぶりになるソロアルバム『MAKTUB』を発表。多様なラッパーやプロデューサーが参加した同作は、やはり絶賛された。

JJJは、2024年にシングル“Kids Return”“Nov”などを精力的にリリースしており、2025年6月から〈the light tour〉を開催することを発表したばかりで、その矢先の死に驚きと困惑が広がっている。

1990年代ヒップホップの精神を受け継ぎ、ブーンバップ的なサンプルづかいを得意とし、研ぎ澄ました細やかかつ大胆なビートメイキングが最大の魅力だったJJJ。サンプリングベースのビートだけでなく、トラップなどを柔軟に取り入れた幅広い作風は唯一無二だった。また、落ち着き払ったフロウで確実に韻を踏んでいくリズミカルで自然体なラップも才能にあふれていた。彼が遺した3作のソロアルバムは、いずれもジャパニーズヒップホップの名盤だと言える。その早すぎる死に、今は言葉を失うばかりだ。