伝説のレコード店・パイドパイパーハウスが、〈PIED PIPER HOUSE in TOWER RECORDS SHIBUYA〉という名の下にタワレコ渋谷店で復活したのを機に、Mikikiでスタートしたパイドパイパーハウス連載第2回。前回はこのレコード店がいかにして伝説と言われるようになったのかを紐解く、音楽ライターの桑原シロー氏の個人的なエピソードも交えたコラムをお届しましたが、今回は7月15日に店長・長門芳郎氏の著書「パイドパイパー・デイズ 私的音楽回想録1972-1989」発売記念として行われたトークショウの模様をレポートします。登壇したのは、長門氏に加え、中学生時代(!)から当時の南青山のお店に足繁く通っていたという片寄明人氏(GREAT3、Chocolat & Akito)。長門氏独自のお店作りの様子が窺えるのはもちろん、片寄氏による常連ならではの貴重なエピソード、2人のミュージック・フリークっぷりに痺れる内容になっていますよ! *Mikiki編集部
ビートルズは大好きだけど、お店には置かない
アナログ盤が入ったエサ箱をサクサク物色している人たちの横顔に笑みが浮かんでいる。〈こんなものがリイシューされていたなんて知らなかった!〉――ジャケットをマジマジと見つめる彼らの顔にはそう書いてあるのが見えたりしたけれども、甘い誘惑が詰まったその箱から冷静に身を引くのはさぞかし辛いだろうな、なんて心配をしてしまう。
彼らの足元の床には〈ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY〉の文字がデカデカと。ここは、この夏に復活した伝説のレコード・ショップ〈パイドパイパーハウス〉。ショップ・イン・ショップとして、タワーレコード渋谷店5Fの一角がパイドに変身することになったのだ。2015年夏に横浜・赤レンガ倉庫で開催されたイヴェント〈70's バイブレーション!〉で26年ぶりに限定復活をしていたが、今回は半年に渡って(予定)の営業である。来店者数も大幅に上回るに違いない。
このたびお店のオープン、並びに店長の長門芳郎の著書「パイドパイパー・デイズ 私的音楽回想録1972-1989」の刊行を記念して催されたトークショウが開かれることとなった。第1回のゲストは、お店の常連だった片寄明人。68年生まれの彼は、当時パイドの最年少のお客だった、なんて話もある。

片寄明人「閉店したのは僕が21歳のとき。中2か中3だった83年から通っていたんですけど、かなりの若輩者で。今日来られているお客さんのほうがバリバリ通っていらっしゃったでしょうね」
長門芳郎「パイドパイパーハウスのTシャツを着ている方も来られていて。デッドヘッズならぬ〈パイドヘッズ〉。嬉しいですよね」
片寄「凄いですよ。そこまで愛を注いでらっしゃるお客さんがいるって。本にも書かれていましたが、何を中心に聴いていたかによって客ごとにお店の印象も変わると思う。僕の場合は、エルヴィス・コステロが在籍したレーベル、F・ビートとかそのへんのものにいちばん興味があった。コステロのプロデューサーを務めるニック・ロウという人がいて、彼はかつてブリンズレー・シュウォルツというバンドにいた。そういった知識はあったものの、聴く機会がない。当時タワレコの渋谷店(宇田川町に出来た第2号店。81年にオープン)はありましたが、そこでもなかなか手に入らないパブ・ロック関係のアルバムがパイドパイパーハウスにはあって。僕がいちばん最初に買ったのはブリンズレー・シュワルツの72年作『Nervous On The Road』。いわゆる普通の流行モノを置いてなかった印象があります」
長門「一応(全米)トップ40モノは置いてましたけどね。ただどこにでもあるような〈コーナー〉がなかった。まずビートルズを置いてない。今回もビートルズ・コーナーはないし」
片寄「ビートルズは大好きなのに、お店に置かない」
長門「ビートルズは基本ですけどね。でもお店が狭いし、あれもこれも入れはじめたらキリがないから」
片寄「いまでいうセレクト・ショップに近いイメージですよね」

長門「それは僕が始めたことじゃなくて、初代オーナーの岩永正敏さんと仲間たちが75年の秋にオープンさせたときからそういうコンセプトだったんです。僕はオープン前から外部ブレーンみたいな形で品揃えに関する相談は受けていて、実際にお店に立つようになったのは77年の秋から。当時はアーティストのアルファベット順に並べていたけど、今回は独自の配置を考えたりしていて、例えば〈ローレル・キャニオン〉という括りとか、何だろう?と思うでしょ。ジョニ・ミッチェル、ママ・キャス(キャス・エリオット)、フランク・ザッパが入っている。名前を見れば、なるほど!とわかると思う。それからラヴィン・スプーンフルからスザンヌ・ヴェガまで〈グリニッジ・ヴィレッジ〉で括ったりとか。でもなぜかアーティスト単体で、NRBQとかはあったりする(笑)」
片寄「2000年に入ってからトータスというバンドと交流を持つことになるんですが、レコーディングでアメリカに行って、僕の根っこにあるミレニウム※1やフィフス・アヴェニュー・バンド※2について話しても、彼らは知らないんですよ。パイドパイパーハウスに通っていた人ならマストのマスターピースなんだけど。それらをジョン・マッケンタイアに聴かせたら、何だこれは!?って反応を示して、続々と人が集まってきたりして。そういうことから、僕は東京でちょっと変わった感性で音楽を聴いて育ったんだなと気付かされた」
※1 米西海岸の音楽シーンでヒット作を連発していたプロデューサー、カート・ベッチャーが率いたポップ・バンド。68年作『Begin』は、プログレッシヴなサウンドと凝ったコーラス・ワークが融合した名盤だったが、当時はまったくヒットせず。しかしのちに局地的に日本で評価が進み、90年初頭にはCD化が実現。ソフト・ロックの大傑作として渋谷系リスナーを中心に支持された。現在ではソフト・サイケ・ポップの古典として広く認知されている
※2 ピーター・ゴールウェイ、ジョン・リンド、ケニー・アルトマンらが グリニッジ・ヴィレッジで結成したグループ。フォークやジャズ、R&B、スワンプ、ラヴィン・スプーンフルに通じるグッドタイム・ミュージックなどのエッセンスを含んだ音楽性は当時としては時代の一歩先を行くもので、山下達郎や大貫妙子らがシュガーベイブを組んだ際、多くの点で参考にしたことも有名
長門「ジョン・マッケンタイアはネッド・ドヒニーも知らなかったんだよね」
片寄「そう。ネット・ドヒニーはデヴェンドラ・バンハート周りのカリフォルニアのミュージシャンたちがつい最近発見して盛り上がった。〈お前これ知らないだろう〉って聴かされたりして(笑)。いやいや、日本のみのアルバムが4、5枚出てるよ、って話でね」
長門「例えばヴァン・ダイク・パークスなんかもカリフォルニアの人ならばある程度知っている。ビーチ・ボーイズ繋がりでね。でも東海岸に行くと、それ誰?って感じですよ。ロジャー・ニコルズやカート・ベッチャーあたりに最初に飛びついたのは日本人だよね」
片寄「僕なんかはこういった長門さん的センスに多大な影響を受けているし、橋本徹くんもフリー・ソウルなどで枝葉を広げていった印象がある。90年代の渋谷系を担った感性の大元は、実を言うとここにある。そのへんについて僕らは無自覚だったんですよ。独自のアメリカン・ポップスの解釈による日本ならではの音楽文化が形成されていった大元に長門さんがいることは薄々わかってはいたものの、本を読んで改めて理解できたところがあるかな。ネッド・ドヒニーもそうだけど、アメリカのインディー系アーティストはパイドパイパーハウスに置いてあったような音楽をいま発見しているんだよね。なんでかわからないんだけど。だから90年代の渋谷にあったようなレコード屋さんが、いまアメリカにあったりする」
GREAT3誕生の背景にある!? パイドパイパーハウスの影響力
片寄氏がパイドで購入したシングルのなかでも印象深い一枚だというエルヴィス・コステロの“From Head To Toe”をかけながらトークは進んでいく。アトラクションズが繰り出すシャープなビートがすこぶるゴキゲンだ。
片寄「カウンターの奥の壁に7インチがいくつかディスプレイされていて、そこで見つけて買った一枚ですね」
長門「入ってすぐのフロアには売れ線のレコードが置いてあって、一段上がって奥に行くと、ニューオーリンズやカリプソのようなマニアックなモノが置いてあった」
片寄「F・ビート系の品揃えはかなりのものでしたよね?」
長門「スタッフみんな好きだったからね。そういやコステロがパイドに一度だけ来ました。2回目の来日のときだったかな」
片寄「本のなかで、コステロがヴァン・ダイク・パークス『Discover America』のイタリア盤カセットをパイドで買ったというエピソードが語られていますが、実は僕も同じものを買ってるんですよ(と言ってカバンからカセットを取り出す)」
長門「お~。あの当時『Song Cycle』や『Discover America』はとっくに廃盤だったから、イタリアの廃盤カセットを大量に入荷させて売ったんだ。来店した際にかけてみたら買ってくれたわけ。で、翌年彼のマネージャーがやってたレーベル(デーモン)からヴァン・ダイクのアルバム3枚が再発されたという」
片寄「もしかしたらパイドで買ったことがきっかけじゃないのかって話ですよね。それと、コステロがあるインタヴューで、ティーチャーズ・エディションの“I Wanna Be Loved”をカヴァーしたのは、日本へ行ったときに買ったハイ・レコードのコンピレーションに入っていたのを聴いたのがきっかけだという話をしていて」
長門「ウチだと思います。そのとき彼が何を買ったかノートにメモしてある。確か一緒にエヴァリー・ブラザーズも買っていったな。あとデヴィッド・リンドレー※も来たことがある。彼は日本でしか出てないアトランティック・ソウルのコンピを買って行ったんだけど、その翌年に彼のアルバムでそのなかの1曲をカヴァーしていたね」
※ジャクソン・ブラウンの相棒としても知られる西海岸きっての名ギター・プレイヤー。ラップ・スティール、ワイゼンボーン、バンジョーなどさまざまな弦楽器をマスターしていることも知られ、ソロ・アーティストとしても81年作『El Rayo-X』(邦題〈化けもの〉)ほか多数作品を残す。ブルースなどのルーツ・ミュージックや世界各国の音楽を大胆にミクスチャーしてみせるセンスは非常に評価が高い
司会「僕は三重の片田舎に住んでいたんですが、わりと敷居の高いイメージがあったんですけど」
長門「そう言われることもありますね。メディアに取り上げられることも多かったんですよ。田中康夫さんの小説『なんとなく、クリスタル』に登場したりだとか」
片寄「有名な人が集まるトレンディー・スポットみたいな感じ」
長門「場所柄、ファッション関係の人がショウで流す曲を探しに来たりしていた。四方義朗さんとかね。そういうのが雑誌に載ると、普通の人は入りにくい、みたいに思われたりして。そういうのが嫌でね」

片寄「ハハハ。僕も中学生だったからすごく敷居が高かったですよ。結構緊張しながら店に行きましたもん」
長門「でも店に入ったらそんなことないでしょ? お洒落な店みたいに書かれたりしたけど、お洒落らしさなんて欠片もなかったよ。店に来る人の一部がお洒落なだけ。スタッフなんて鈍くさい人ばっかりだったし。天井には畳が張り付けてあったし」
片寄「え、畳? 覚えてないなぁ」
長門「吸音するためにね。上におばあちゃんが住んでいたから。2階建ての木造モルタルだったんです」
片寄「田中康夫さんは何回かお店で見かけたことがありますよ。すごい勢いでレコードを抜いていて、片手に20枚ぐらい抱えて。お金持ちなんだなぁと思った(笑)」
長門「週に2、3度来てたからね。彼はDJをやっていたから、ネタ探しだったんでしょう」
もし長門さんがいなかったら知らなかっただろう音楽がいっぱいある、と繰り返し主張する片寄氏。彼の話からは、ソフト・ロックやAOR、ニューウェイヴにスウィート・ソウルといった多彩なエッセンスが共存するGREAT3の音楽性の形成に、パイド体験の影響が少なからずあったということを窺い知ることができたりもする。個性的な東京のレコード・ショップによって育まれた特異なセンス。かつて意志を持ったレコード屋が優れたミュージシャンを育てていた時代が確かにあった。
長門「でも別に、僕が大元でも何でもないんだけどね。そういえば去年、アメリカの大学院に通う女子学生から、〈サンシャイン・ポップを広めたのはあなたですよね?〉って連絡があってね。卒論に書きたいからお話を訊きたいと。どこでそういう話になったのかわからないんだけど、いやいや僕だけが悪いんじゃないと(笑)。あなたたちのおかげで人生が変わった、なんて言う人も結構いるからさ。そうそう、青学(青山学院大学)の近くだったこともあって、毎日来ていたそこの学生さんがいてね。その子は、当時1,200円で売っていたロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズのカット盤を聴いていたんだけど、のめり込んじゃったわけ。でも周りの同級生はディープ・パープルとかを聴いているし、自分の趣味は変わってるんだと疎外感を抱いたと言うんだ。その後、ピチカート・ファイヴが海外で評価されることになり、ロジャニコがようやく脚光を浴びるようになったんで、彼は溜飲を下げたと言っていた。同じ青学に通う子供を連れて、会いにきてくれましたよ」
片寄「ロジャー・ニコルズなんてホントそうですよね。あのアルバムはどうやって発見されたんですか?」
長門「もともと大滝(詠一)さんとかがラジオでかけてたんだよ。日本で4人ぐらいが持っていたかな(笑)。もっといたかもしれないけど、4人までは名前が言える。ひとつ言いたいのは、決して隙間を狙っていったわけじゃないんだ」
片寄「好きなものを紹介していただけ、ってことですかね」
長門「そう、メジャーもマイナーも関係なく、いいものはいい、というのがパイドパイパーのポリシーというかね」
片寄「子供ながらに、洒落た音楽だなと思ってましたよ。自分が求めている音楽がここにいけば手に入る、という気持ちでしたから」
長門「そういうセンスをサウンドで具現化したのがピチカート・ファイヴの小西康陽くんだったりするんだろうね」
そういえば、パイドパイパーハウス渋谷店には、現在活躍中のインディー系アーティストのアルバムもいくつか取り揃えられている。長門さんの趣味に適ったこれらのポップ/ロック作品は実のところ、パイド系の音楽を継承する若いアーティストが少なくないことを物語っているのだ。ヴェテランも若手も関係なく、いいものはいいってことを打ち出しているパイド的セレクション。一度お店に足を運んで見てみてほしい。間口の広さに驚かされるから。
店長の長門さん(役職はストア・マネージャーとのこと)は、週に3日ほど出勤されているそう(出勤日のスケジュールはショップに掲示されている)。トークショウ当日もタイムカードを押して出勤、9時に朝礼に出席しての終日勤務だった。聞けば、ご飯を食べる暇がなく、差し入れのおにぎりを少し口にしただけというハード・ワークぶりだ。
「いや、売り場から離れたくないんだよ。お客さんと接していたい。だって、レコード屋楽しいんだもん。仮眠するところはあるのか訊いたんだけどね。そうしたらほら、泊まれるからさ。今日は女子高生に話しかけられたよ。〈K-Popコーナーはどこ?〉って(笑)」
カウンターにはコーヒーメイカーが設置されていて、これはお客さんに自由に飲んでもらうために用意しているのだそう(数に限りあり)。売り場のディスプレイが3日ごとに変わるかも、なんて言っているし、これからしばらく足繁く通うことになりそうだ。
★次回は長門芳郎&鈴木茂が出演したトークショウをレポートします!
