シカゴ音響派オールスターとの夢のようなレコーディング
――その後、ジョン・マッケンタイアのスタジオ〈Soma〉で、ソロアルバム『HEY MISTER GIRL!』を制作することになった経緯は?
「そのシングル2曲で、佐橋さんは本当に素晴らしいアレンジをしてくださいました。でも、当時の僕の中では〈なんかちょっと違うな……〉という感覚もあって。おそらく佐橋さんにも、それは伝わっていたのでしょうね。僕があまりに試行錯誤するので頭にきてたのかもしれませんが(笑)、そこで佐橋さんがすごいのは、〈だったら僕だけじゃなくて、片寄くんが好きな外国人ミュージシャンともやったほうがいいんじゃない?〉と言ってくれたことです。〈こういう時は、自分が一番好きな音楽をやってる人のところへ行くべきだ〉って。本当に器の大きさを感じる助言ですよね。
当時の僕が一番聴いていたのは、ザ・シー・アンド・ケイクやジム・オルーク、トータス、それからジョン・マッケンタイアが手がけていたステレオラブ……いわゆる〈シカゴ音響派〉と呼ばれていたシーンの音楽でした。それで、例の20曲入りのデモをジョン・マッケンタイアやジム・オルークに送ってみたんです」
――どんな反応がありました?
「ジムからの返事はなかったかな(笑)。でもある日突然、ジョンからメールが届いたんです。びっくりしましたよ。しかもそのメールには、送ったデモの中から〈これをやりたい〉と思った曲がすでにリストアップされていて、1曲ずつに対して〈こういうアレンジにしたい〉と細かいメモまで添えられていました。それをレーベルのスタッフや佐橋さんに見せたら、〈すぐ行こう〉という話になって。たしか2000年の1月頃だったと思います。ジョンがシカゴに作ったばかりの〈Soma〉で録音することが決まりました」
――ジョン・マッケンタイアに惹かれたのは、どういった部分だったのでしょうか。
「彼はとても実験的な音楽を手がけていますが、どこかにポップスの素養というか、そうした感覚も持ち合わせていると感じていたんです。だから、〈自分が書くようなポップソングを彼らが手がけたら、どんな仕上がりになるんだろう?〉という興味が強かった。実験的な音楽家が本気でポップソングに取り組んだら、ものすごく面白いものが生まれるのではないか。そういう〈意外性〉に、昔から惹かれてきたんです。
たとえばジャック・ニッチェ。フィル・スペクターのチームにいたプロデューサー、アレンジャーで、エキセントリックで前衛的な持ち味のある鬼才でしたが、80年代にはジョー・コッカーが歌った“愛と青春の旅立ち(Up Where We Belong)”のようなヒット曲も手がけている。そういう振れ幅が、僕はすごく面白いと思うんです。同じように、ジョンが自分の音楽をどうアレンジするのか見てみたかったんですよね」
――スタジオに着いた時に、レコーディングメンバーを知ったそうですね。
「そうなんです。ドラムはジョン・マッケンタイア、ベースはトータスのダグ・マッコームズ。ギターはザ・シー・アンド・ケイクのアーチャー・プレウィットと、トータスのジェフ・パーカー。さらにキーボードには、当時はまだ無名だったけれど、のちにウィルコに加入するマイケル・ヨルゲンセンもいた。ストリングスアレンジを手がけてくれたのは、ブライアン・ウィルソンのバンドでバンマスを務めたこともあるポール・フォン・マーテンス。まさに、自分にとって〈オールスター〉でした」
――レコーディングも楽しかったでしょうね。
「夢のようでしたね。自分の中で描いていたイメージが、ちゃんと形になったという手応えがありました。彼らにとっても、かなり珍しい録音だったんじゃないかな。たとえばトータスのダグやジェフ・パーカーが、あんなふうにストレートなポップソングを演奏する機会って、なかなかないだろうし。
アルバムに入っている“Madonna 49”という曲では、ジェフがギターを弾き出した瞬間、周囲が〈え、なんかTOTOっぽくない!?〉ってざわついたんですよ(笑)。〈ジェフがTOTOみたいなギター弾いてる!〉って、みんなで盛り上がって。〈ギルティプレジャー〉というか、表立って〈好き〉とは言ってないけど、でも実はちょっとやってみたかったサウンドを面白がって演奏してくれたんですよね。今でも〈あれは楽しかったよね〉と言ってくれるのが嬉しいですし、そこから彼らとの関係が始まり、今も続いています」
――“Veranda”と“Tears of Enamel”のアレンジも、シングルバージョンとは違いますね?
「アルバムに収録するにあたっては、もう少しサイケデリックな雰囲気にしたいと。意識的に音を重ねたり、モジュラーシンセに佐橋さんが弾いたギタートラックを通して揺らしたりしてリミックスしました。“Tears of Enamel”では、ジョンが〈自分でドラムを叩きたい〉と言い出して。シングル版は打ち込みだったんですけど、アルバム版では生ドラムに差し替えています。
ちなみにマルコス・ヴァーリなんかは、シカゴではみんな知っていましたね。ダスティ・グルーヴという素敵なレコード屋さんがあって、そこではトータスの初期メンバーだったバンディ・K・ブラウンも働いていたんですが、そういう場所でも共通言語のひとつとしてブラジル音楽がありました」