日本を代表するセッションギタリストであり、プロデューサーやアレンジャーとしてJ-POPの名曲の数々を手がけてきた佐橋佳幸。ピーター・ゴールウェイとの共作アルバム『EN』が話題だが、彼の40年超に及ぶ仕事を振り返った大著「佐橋佳幸の仕事1983-2025 EN」も好評を博しており、Mikikiの特集記事も大ヒットした。そんななか、本書の刊行記念イベントがタワーレコード渋谷店のTOWER VINYL SHIBUYAで2025年7月11日に開催された。著者の音楽評論家・能地祐子とともに語られたのは、小田和正や佐野元春、TM NETWORK、渡辺美里、福山雅治といった著名アーティストとの秘話や忘れ難い(?)エピソードの数々。笑いが絶えなかったイベントの模様をお届けしよう。 *Mikiki編集部

先輩たちに〈かわいがり〉をされてきた名ギタリストの40年
佐橋佳幸「司会進行するはずだったやつ(『ギター・マガジン・レイドバック』編集長の野口広之)が風邪で倒れまして、今日は完全にフリートークとなります。マイクスタンドってありますか? あると(ギターを)弾きながらでもしゃべれるので」
能地祐子「やっぱりギターを持っていると落ちつきますか? (忌野)清志郎さんも取材中にギターを弾いていて、たまに音がうるさくて話が聞こえなくて(笑)」
佐橋「そういうわけで、こんな本が出ました」
能地「5月に出た『佐橋佳幸の仕事 1983-2025 EN』の取材と執筆を担当させていただきました、能地と申します。なかなか読み応えがある本なんじゃないかと思います」
佐橋「本を読む習慣のない方にとっては結構な文字数だと思います。まずこの本がどういう経緯で上梓されたかというと、ノージが提案してくれたんだっけ?」
能地「そうですね。そろそろ佐橋さんがデビュー40周年だなって」
佐橋「僕は1983年9月21日にUGUISSってバンドでデビューしたんですけど、ちょうど40年後、一昨年の9月にそういう話になって。そこからウェブマガジン(Re:minder)で連載をしてきました」
能地「その前にこういうのもありまして。タワーレコードだけで買えるんです(現物を見せる)。3枚組のコンピレーションCD『佐橋佳幸の仕事 1983-2015 Time Passes On』。これは30周年の時に作りました」
佐橋「ここからちょうど10年!? 三軒茶屋の人見記念講堂(〈佐橋佳幸(祝)芸能生活30周年記念公演~東京城南音楽祭 T.J.O~三茶編〉)と目黒のBLUES ALLEY JAPAN(〈佐橋佳幸(祝)芸能生活30周年記念公演~東京城南音楽祭 T.J.O~目黒編〉)で30周年イベントをやったんですよね。その司会を萩原健太さんとノージがしてくださって。その時に〈こういうのを作りましょう〉って言われた記憶がある」
能地「そのイベントには、この本やCDに登場する渡辺美里さんや佐野元春さんといった方々が出演されて。佐橋さんはセッションギタリストやプロデューサーとして録音に参加し、ライブのバックバンドのギタリストとして活動されているんだけど、周年イベントとなると〈佐橋さんのためなら〉と80年代以降のJ-POPヒストリーの代表的な方々、錚々たるアーティストが集まっちゃうんですよ。こんな方、いそうでいないんですよね。珍しいギタリストだなって」
佐橋「僕はプロデュースやアレンジ仕事がかなり多いじゃないですか。なので、いろんな人にお世話になってきたんですよね。
それに、意外とこの性格が幸いしたというか。もし子どもだったら誰にでもどこにでも着いていってしまって誘拐されそうなタイプというか(笑)」
能地「おつかいに行って、その先でかわいがられてお菓子とかをもらって帰ってくるタイプですね(笑)」
佐橋「本当の〈かわいがり〉もだいぶされましたけどね(笑)! つい最近も武道館でCharさんのライブがあったんです。その時もリハーサルでかわいがられましたね。〈お前、今、俺が弾いてほしくない音を弾いたな〉とか〈せっかく合図出しを任せたのに、お前の背が小さすぎてよく見えなかった〉とか(笑)」
能地「Char先輩らしい愛のムチ。大貫(妙子)さんにもめっちゃかわいがられていますしね」
佐橋「大貫さんはね、大きな音を出さなきゃ叱られないんです。手違いで〈ピーッ!〉なんてハウリングを起こしたら、しばらく口を利いてくれません(笑)」
能地「そんな感じで、みんな〈佐橋くん〉〈サハシ、サハシ〉って親しみやすく呼ぶんです。でも、そんな佐橋さんも60歳を過ぎ、40周年も超えて、もはや大ベテラン。〈この人はすごい仕事をたくさんやってきたんだぞ〉っていうのを一旦立ち止まって、振り返ってまとめる本を出したらいいんじゃないかなと。このCDの続きの活字版としてセッション、アレンジやプロデュースからソロまで、いろんな仕事のなかから佐橋さんにとって印象深い曲、思い出に残っている曲を40曲選んで語ってもらいました」

J-POPの進化と発展の貢献者
能地「私自身は当初そこまで考えていなかったんですけど、この本は結果的に佐橋ヒストリーであるのと同時に、80年代のJ-POP前夜から日本のポップスシーンがどんどん成熟していく歴史も伝えているんですよね。バブルがあって、いいスタジオができたり、優れた才能が登場したり。
もちろんご本人の才能もあるんですけど、時代の追い風にすごくうまい具合に乗ったんですよね。たとえばCD時代になってから初のミリオンセールスを記録した小田(和正)さんがいたり(“ラブ・ストーリーは突然に”)、渡辺美里さんが社会現象になったり。その現場に佐橋さんがいて、いろんなことを間近で見ていらっしゃったJ-POPヒストリーの目撃者なんです。ご本人はそんなことを考えながらやっていないですよね」
佐橋「僕がギターを弾きにいったりスタジオでプロデュースしたりしている時は、ヒット曲やスタンダードな名曲になるかってわからないですからね。ただいいものを作りたい、いい演奏をしたいと思ってやっているだけだから。
もう一つ言うと、この本もこのCDも、僕が主役というよりまずは曲が主役ですよね。たまたまみなさんの印象に残った作品に僕が参加していたという。なので、珍しい本だと思うんですよ」
能地「ほかの人では作れない本ですね」
佐橋「僕がデビューした1983年はデジタル機器が音楽業界のなかで一般化していった頃ですが、まだアナログテープに録音していた時代でした。ちょうどバンドが解散してスタジオミュージシャンを始めた頃に〈CDっていうのがあるらしいよ〉と聞き、デジタルのレコーダーが出てきて、まだ24チャンネルしか録音できなかったところに倍の48チャンネルレコーダーが登場し、今度はコンピューターに記録する時代になり……。
要するに、僕がミュージシャンを始めてからメディアもすごく変遷があってね。音楽に携わる方々がそれに翻弄されつつ、なんとか上手に使っていこうとしたのがこの40年のなかにある。それを現場で目の当たりにしてきたって意味でも、そこはとっても大きなポイントだと思うんです」
能地「だから、『プロジェクトX』みたいな本なんですよ。プロデューサーの方は本を出すと〈あれは俺がやったんだ〉なんてよく言うんですけど、実際の現場ではそのプロデューサーが家に帰ったあとも仕事をしていた人がいたわけですよね。たとえば〈佐橋が残ってやるなら、俺も一緒にやるよ〉とマニピュレーターの方が朝まで一緒に作業してくれたり」
佐橋「あった、あった。シンセサイザーのマニピュレーターやプログラマーというのは、松武秀樹さんが最初にそういう職種を作った人になるのかな。(藤井)フミヤの“TRUE LOVE”なんかは、ミュージシャンを呼んで本ちゃんの生演奏をやる前のデモテープを松武さんと作っていたね」
能地「亀田誠治さんとかはそのあとに出てきた世代だから、スタジオワークの世界は〈佐橋さんがいてくれたおかげで自分たちはすごくやりやすくなった〉とおっしゃいますよね」
佐橋「亀ちゃんはそう言ってくれるよね」
現場で巻き込まれた〈事件〉の数々
佐橋「でも僕は、現場ではずっと一番下の世代だったわけ。だから、〈今日は若手でメンバーを揃えてみようか〉となると呼ばれて。
今でも覚えているんですけど、スタジオミュージシャンを始めた頃に、レコーディングが終わったあと、インペグ屋さんっていうコーディネーターの方に〈佐橋くん、何時間かかった?〉と聞かれたことがあって。〈2時間です〉と答えたら、〈コンを呼んでいたら1時間で終わったんだけどな~〉なんて言われたんですよ(笑)!」
能地「今剛さん?」
佐橋「そうそう。そういうことを平気で言われていたわけです」
能地「〈俺のチューニングがおかしいのか?〉事件もあったんですよね」
佐橋「その事件は忘れもしない、スタジオミュージシャンとしてそれなりに忙しくなってきた頃、中村哲さんがアレンジで、〈ラララ〉で仮歌が入っていて誰の曲になるのかわからないもののレコーディングでした。
僕も自己流で勉強して現場に慣れてきた頃で、譜面を見たら結構オタマジャクシ(音符)が書いてあったんですね。でも〈大丈夫だ〉と思って、ドラムの山木(秀夫)さんがカウントを出してレコーディングを始めたら、ちゃんと譜面通り弾けた。
そのプレイバックを聴いて哲さんが〈いい感じじゃん〉なんて言っていたら、あるベーシストの方が〈チューニングってどうなってる? おかしいな〉と言いだしたんです。で、もう一回演奏してみても、〈やっぱりチューニングがおかしいぞ〉と言って。その時に気がついたんですよ。ギターがベースとユニゾンだったので、俺のピッチが悪いって言っていることに。そうしたら哲さんが〈そんなことねえじゃん! 佐橋をいじめんなよ! そういうことばっかりやってるから若いやつに嫌われるんだよ!〉と言ってくださって。その方は今でも活躍されている有名なベーシストです(笑)」
会場「(笑)」
佐橋「それをだいぶ経ってからご本人と一緒になった時に〈こんな人に会った〉と伝えたら、〈それは大変だったね~〉なんて言っていて。〈いや、あなたですよ!〉と言ったら、〈そんなことするわけないじゃん!〉と否定していましたね(笑)。
もう一個思い出しちゃった。僕ってバンド時代から、いろんな弦楽器を弾くじゃないですか。エレキもアコギも、なんならマンドリンも弾いていて、それが普通だと思ってたんですけど、80年代半ばまでエレキとアコースティックのギタリストは別の職種だったらしいんです。それがまずびっくりで。
で、ある現場にとっても有名なアコギのスタジオミュージシャンの方がいらして、光栄だなと思って挨拶しにいったら〈ああ、君か、エレキもアコギもやるとかいって俺たちの仕事を奪っているのは〉なんて言われたんです。初対面の一言目がそれですよ(笑)!」
会場「(笑)」
能地「温厚なお人柄で知られる方なんですけど」
佐橋「それで80年代末か90年代初頭に僕が腱鞘炎になっちゃった時、自分がプロデュースした仕事でアコギが弾けなかったので、インペグ屋さんに頼んでその方を呼んでもらったんです。
で、レコーディングのあと、飲みにいったんですね。その時の話をしたら、その方も〈俺なわけがないよ!〉と否定していました。どちらも現役の大変有名なミュージシャンの方ですけどね(笑)!」

〈チャカチャーン〉ではなく〈チャカチャチャーン〉
能地「この本を読み返して面白いのは、そういう佐橋さんのエピソードの一つ一つがドラマみたいなんですよね。〈これ、朝ドラにしたら?〉なんて思ったぐらいで(笑)」
佐橋「朝ドラで思い出した! 永野芽郁ちゃんが主演の『半分、青い。』は脚本が北川(悦吏子)さんだったからさ、小田さんの“ラブ・ストーリーは突然に”がかかった時に〈知ってる? このギターを弾いてるのって松たか子の旦那らしいよ〉なんてセリフがあったんです。で、朝起きたら100何十件もメールが来てるわけ。知り合いが死んだか捕まったかしたのかな?と思ったら、みんな〈朝ドラ見ました〉って送ってきてて(笑)」
能地「佐橋さんっていうとあの〈チャカチャーン〉ですからね」
佐橋「違うの。正確には〈チャカチャチャーン〉」
能地「原稿も直されましたね。〈チャカチャーン〉じゃないんだよって」
佐橋「(ギターを持って弾きはじめる)この曲ね。シャープ2つのキーでBマイナーだからこの位置から上げて弾かないと駄目なんだけど、正確には〈チャカチャチャーン〉! 3連だから」
能地「みなさん、覚えて帰ってください。Twitter(X)にも〈チャカチャチャーン〉ってちゃんと書いてくださいね」
佐橋「今、弾き方を教えましたからね、お家でやってみてください」
ヒット曲を生み出してきた抜群の演奏と豊富なアイデア
佐橋「あと、いじめられたこともそうですけど、この本に書いてあるエピソードは本当にあったことっていうのがポイントですね。
先輩って大体(話を)盛るじゃない(笑)? 盛る先輩といえば、亡くなられた村上“ポンタ”秀一さん。ポンタさんの話は話半分で聞いた方がいいって周りの人からも言われてましたから。ポンタさんの先輩にはジョージ川口さんってジャズの巨匠ドラマーがいて、ポンタさんが飲みながら〈ブレッカー・ブラザーズとか、外国の有名なミュージシャンと渡り合ってきたんですよ〉と自慢したら、ジョージさんに〈俺は大戦中に敵機のパイロットの顔を目視したからな〉と返されたそうです(笑)。
あと、上の世代の方々は言葉をひっくり返しますよね」
能地「〈シースー〉とかですね」
佐橋「〈ギロッポン〉とかね。ああいうのも嫌だなと思っていました。僕なんて〈若いターギの子〉って言われてましたよ(笑)。〈ギター〉をひっくり返しているのかって、あとで気づきましたけど。割り勘の時は〈G(ゲー)線通し〉でしょ。そういうのを忌み嫌っていたんだけど、巻き込まれちゃって。僕って常に巻き込まれてばっかりな人生だよね!
あと人懐っこさ以外にもう一個大事な自分の要素は、ちょっと負けん気があることですね。むかつくことを言われると、逆に頑張ってしまうっていう。ディレクターさんやプロデューサーさん、アレンジャーさんが〈こうしたい〉って言うものを実現させたいと常に思ってやってきました」
能地「たとえば、この本にも出てくる槇原敬之さんの“もう恋なんてしない”もそうですよね。佐橋さんは〈こういうギターを弾いてくれ〉と呼ばれてきた先様ありきのセッションミュージシャンなんだけど、音楽マニアなのでちょっと聴かせてもらったデモから〈こういうのを入れたらどうかな?〉ってアイデアが浮かぶことも。それが結果的に大ヒットに結びついたり……。ヒントを一言与えてヒット曲を生み出してきたんです」
佐橋「“もう恋なんてしない”は、キーボードがうっすらと弾いていたフレーズをスライドギターで弾いて、しかもハモってみたらどうですか?って提案して、4チャンネルも貸してもらって。そうやって弾いてみたら、喜んでもらえましたね。〈ジョージ・ハリスンみたいなエレキの12弦ギターを弾いてみてもいいですか〉とかね、そういうのを採用してもらったり。
〈想像していなかったことだけど、曲がよくなるならやってみてほしい〉っていう柔軟なアーティストにアイデアを受け入れてもらってきたんです。思いついたアイデアを口にして〈どう思う? もしよかったら試しにやってみるけど〉っていうスタイルになっていったんでしょうね」
能地「(会場で)今かかっていますけど、福山(雅治)さんの“HELLO”も佐橋さんが曲作りのセッションから参加してアレンジもしたんですよね」
佐橋「“HELLO”は作曲のクレジットに入ってもよかったかもね。僕がリフを弾いていたのを横で聴いていた福山くんが歌い出してできた曲ですから」
能地「すごいですね。人間ChatGPTみたいな(笑)。そういうことができるのは、バンドマンとしてバンドで曲を作っていたからなんですかね」
佐橋「それはすごく思うね。バンドをやっていると、〈もっとこうしたほうがいいんじゃない?〉〈こういうのはどう?〉ってやりとりを日常的にするじゃないですか。僕がスタジオミュージシャンを始めた頃の業界は、ミュージシャンが遠慮させられるような威圧的で閉鎖的な感じで、いじめてくる人もいるし……僕、だいぶ根に持ってるよね(笑)」
会場「(笑)」

エンジニアの口コミで広まった佐橋の評判
能地「そんな佐橋さんは腕もいいし、アイデアも持っているし、おまけに人柄もいい。なので、当時の最前線にいたエンジニアの方々が〈佐橋、いいよ。使ってみたら?〉って口コミを伝えてくれたんですよね。実は、80~90年代のJ-POPにおいてそのエンジニアのネットワークってすごく大事だったんですが、意外と語られていないんですよね」
佐橋「そうですね。どなたかそういう本を書けばいいのに……」
能地「だから出したんじゃないか(笑)!」
佐橋「あっ、ここにあったね(笑)!」
会場「(拍手)」
佐橋「エンジニアが重要になったのは、たぶん70年代の終わりぐらいからなんですよ」
能地「昔はエンジニアはレコード会社についていて、演歌でもなんでも録音している状況でしたからね」
佐橋「昔は白衣を着てましたからね。技師だから」
能地「えっ、そうなの?」
佐橋「ビートルズの時代のそういう写真が残っているんですよ。この前、念願叶ってリイシューされたUGUISSの幻の2枚目(『Presentation』)は当時超売れっ子だった梅津達男さんに録音していただいたんですけど、梅津さんはその頃ビクターの社員エンジニアで、元々、人事異動で録音科にいって初めて録音する仕事に就いた方だったんですよ」
能地「それから時代がだんだん変わって、みなさんご存知の吉田保さんを筆頭にクリエイティブで音作りにも関わっていくエンジニアの方々が出てくるんですよね」
佐橋「僕の仕事がエンジニアを介して広がっていったのは、それこそ80年代だったからかもしれませんね。よく一緒に仕事をしていた伊東俊郎さんというエンジニアは、それこそ(山下)達郎さんの『僕の中の少年』や佐野(元春)さんのデビューアルバム(『BACK TO THE STREET』)もやっていた方なのですが」
能地「TM(NETWORK)もそうだよね。〈4人目のメンバー〉って言われていた」
佐橋「そうそう。僕が知り合ったのは、師匠の清水信之さんに〈今度、俺たちの後輩がデビューするらしいよ〉ってことで呼ばれた、渡辺美里さんのファーストアルバム(『eyes』)の“きみに会えて”というてっちゃん(小室哲哉)の曲の録音なんですね。
その直後に、同じ信之さんがアレンジした大江千里さんの“REAL”ってヒットシングルがあるんですけど、それも伊東さんがエンジニアだったの。今思えば、伊東さんが〈佐橋くんってギターの子、いいよ〉って推薦してくれたのかもしれませんね。エンジニアって音をまとめる責任があるから、録りやすさとかそういうところに一番敏感な職種なんですよね」
能地「この本で佐野元春さんと対談してもらったんですけど、佐野さんも〈佐橋くんのギターはすごくクリアでチャンキーだ〉とおっしゃっていました」
佐橋「佐野さん、〈チャンキー〉って言葉好きだよね(笑)。
佐野さんっていうと、サカゲン、坂元達也さんってエンジニアがいて、それこそヒムロック(氷室京介)とかの現場で僕はめちゃめちゃ仕事していたんです。なので、サカゲンが佐野さんに僕のことを話してくれたのかも」
能地「佐橋さんってソニー系の仕事が多いイメージあるけど、それは単に人脈の問題じゃなくて、そういうエンジニアのコネクションも関係しているんだろうなって」
佐橋「この本の最後に除川(哲朗)さんが作ってくれたすごく詳細な年表が載っていますけど、あれがすべてじゃないんですよ。アイドルやもう忘れられてしまったアーティストの仕事もやっていて、そういうのも入れるとソニーだけでもないよなって」
TM NETWORKの〈ピコピコ〉に挑んだギタリスト
能地「本当に幅広いですよね。今回初めて知ってびっくりしたけど、『(魔法の天使)クリィミーマミ』の太田貴子さんに楽曲提供されていて(“Long Good-bye”)」
佐橋「僕は、バンドが解散した時に信之さんとEPO先輩がいた事務所から〈うちに来て裏方として頑張ってみないか〉って誘われて、作曲家として入ったの。だから、あの頃は日常的に曲を書いていたね」
能地「最初は作曲家になりたかったんですか?」
佐橋「なりたかったっていうか、できることはそれぐらいかなって。でも、伊東さんやいろんな方が〈佐橋いいよ〉って言ってくれたおかげでギターを弾く仕事がくるようになって、それは嬉しかったです。
さっきTMの話が出たけど、彼らはUGUISSと同じレコード会社から翌年にデビューしたんだよね。当時、サンプル盤をカセットでもらって家で聴いたら、ピコピコいってるから〈やべえ! こんな時代になっちゃうのか! どうしよう?〉なんて思って(笑)」
能地「UGUISSの敵みたいな音楽だったからね(笑)」
佐橋「でもスタジオミュージシャンとしてキャリアを積み重ねていくなかで、なぜかそのピコピコの現場に呼ばれるようになるわけですよ。最初は何をすればいいかわからなかったけどね。てっちゃんが〈この曲はこうなっていて、ここにワイルドなギターが欲しいんだよね〉って言うので、打ち込みの音楽におけるギターの役割がわかっていって。僕は、それを発明したギタリストかもしれないよね。……あっ、いや、先輩がいました。YMOで弾いていた大村憲司さんがいらっしゃいます(笑)」
能地「小室さんは〈YMO的なテクノでも、ギタリストは顔がちゃんと見えるぐらいで弾いていていい〉って考えだったのでしょうね。クレジットがないのでどれに佐橋さんが参加しているのかわからなかったんですけど、言われて聴いてみるとTMのギターはサハシ節ですね」
佐橋「TMの『Self Control』ってアルバムが再発されたんだけど、その特集企画があった時、なぜか僕のとこに〈各曲にコメントしてもらえませんか〉と連絡がきて。僕も忘れていたけど、ひさしぶりに聴いてみたんですよ。そうしたら、全曲のギターを誰が弾いているのかわかっちゃった。〈あっ、これはB’zの松本(孝弘)さんだ。これは木根(尚登)ちゃんが弾いてる。これは俺。これは窪田晴男だな〉とか。そのリストをメールしたら、〈すごいですね〉って言われて。てっちゃんは新しいロック系のギタリストを積極的に使っていたんだよね」

能地「松本さんから佐橋さんまでギタリスト名鑑みたいな感じなので、その視点でTMを聴くと面白いんですよね。80年代ってまだヒットのマニュアルがなかったから、意外とそういう……」
佐橋「冒険をみんなしていましたよね。そういうのに付き合ってあげられる、面白がれるかどうかが大事だったんじゃないですか」

録音現場で重要な〈出前〉
佐橋「あっ、また変なエピソードを思い出しちゃったんだけど、大丈夫かな。80年代の終わりから90年代にかけてヒットがあった、これまた有名なシンガーソングライターのレコーディングに呼ばれたことがあって。
ベースは当時EPO先輩のサポートをやっていた有名な富倉(安生)さんって元トランザムの方で、若い頃すごくお世話になって。ドラムは山木さんだったんですが、セッションが長くなったんですよ。そうしたらそのシンガーソングライターがすごく横柄で、先輩たちに向かって〈今の感じ、違うんですけど〉なんて言うわけです。で、録音に付き合っていたんですが、僕らが押さえられていたのは19~21時だったのね。でも、やれどもやれども終わらないから、エンジニアもディレクターもみんな黙り込んじゃって。
そうしたら、あの温厚な富倉さんが〈ふざけんなよ!〉ってまずキレたの。それで山木さんが〈まあまあまあ〉って宥めて、また録音ボタンを押してレコーディングが始まったのね。と思ったら、山木さんが録音中なのに腕時計チラチラ見ながらパッてスティックを置いて、〈21時になったので、お疲れ様でした〉って帰っちゃったの。で、スタッフが真っ青になって〈ちょっと待ってください!〉って止めたんだけど、〈こいつの仕事は二度とやらないから。じゃあ、お疲れ〉って行っちゃったんだよね。あの時はね、山木さんに一生ついていこうって思った(笑)」
会場「(笑)」
能地「でも佐橋さんのセッションに集まってくれる方々は、みんなあったかい人ばかりですよね」
佐橋「そう。でも、この業界は人として酷いやつがいっぱいいたからね! いい人がいい音楽を作っているとは限らないですから。こういう書けなかったことを今度、続編で話しませんか(笑)?」
能地「私が面白かったのは、喜納昌吉さんの“花(〜すべての人の心に花を〜)”の話です。大巨匠の星勝さんは佐橋さんを重用していたんだけど、“花”のセッションで佐橋さんが張り切りすぎたがために、それ以降お声がかからなくなってしまったんですよね」
佐橋「〈こういう楽器は入りませんかね〉って喜納さんご本人が言い出してマンドリンとかを弾いちゃったんですけど、星勝さんが置いてけぼりになっちゃったんですね。〈勝手にやりやがって〉みたいなムードになっていたのを察していたんですけど、ご本人に言われたからやるしかない。それで、それからちょっと疎遠になっちゃったんですけど。
それから数年後に、僕が松さんと初めて仕事をしたツアーの打ち上げに星勝さんがいらっしゃってご挨拶したんだけど、〈あっ、根に持ってるな〉って思いました(笑)。
それからまた数年後にソニーのスタジオへ行ったら、隣のスタジオが明らかに浜田省吾さんのレコーディングをやっている感じだったんですよ。〈これは絶対、浜田さんだな〉と思っていたらエレベーターの扉がバッと開いて、麻布の有名な高級中華店の岡持ちを持った人が現れたんです。それで〈絶対に星勝さんだ!〉と思って。星勝さん、必ずそこの出前を取るんですよ。予算で。なので、今日は隣のスタジオに近づくのはやめようって(笑)」
会場「(笑)」
能地「データだけを見ると〈星勝さんはこのスタジオにこだわりがある〉と思われるんでしょうが、実はその中華屋の出前の範囲内にあるスタジオを使っていただけだったりしたら面白い(笑)」
佐橋「あと、松武さんは僕と同じ蕎麦粉アレルギーなんです。で、スタジオで出前を取る時にディレクターの人が〈○○屋にしようかな〉なんて言ったら、〈佐橋、あの店は俺たちは無理だ。うどんとそばを同じところで湯がいているから。外に食べにいこう〉って教えてくれて。……出前にまつわる話だけで1時間は話せるな(笑)!」
会場「(爆笑)」
能地「今はスタジオに集まって〈せーの〉で音を出すなんて特別なイベントになっていますけど、バブルの頃は都内のスタジオが常に全部埋まっていて、佐橋さんは毎日そこを渡り歩いていたんですよね。そりゃ出前にも詳しくなるわ(笑)」
佐橋「そこが大きく今と違うね」
人と人が会って音楽を作っていた時代
佐橋「急に思い出したけど、当時はアレンジャーがパート符を全部書いていて、シンセのシーケンサーのフレーズも全部オタマジャクシで書いてあったんです。で、配られた譜面見ながらプログラマーがワーッて打ち込んでいって。彼らはプロ中のプロだったね。
僕が未だによく仕事をしている石川鉄男くんってプログラマーがいるんですけど、彼がまだ師匠の迫田(到)さんの機材を運んでいたような頃、コンピューターの前で〈石川、いくぞ〉ってストップウォッチで計りながら譜面の打ち込みを同時に始めたのを見たことがありました。で、迫田さんが〈はい、終わった。石川、負けたから腕立て100回な〉なんて言ってて」
能地「デジタルな割に、めちゃくちゃ体育会系ですね(笑)」
佐橋「そういう時代だったんです。いろいろ思い出すね」
能地「だから、この本は佐橋さんの歴史でもあるけど、人と人が会って音楽を作っていた時代の記録でもありますよね」
佐橋「まあ今回、必ず言っていることがあって、それは〈僕が書いたのは後書きだけです〉ってことですね。それ以外、何もしてませんから(笑)!」
能地「いやいや、ようしゃべったな~って思いますけどね(笑)。連載も毎回1,000~2,000字にするはずが、会うとね、しゃべっちゃうんですよ。で、初回が4,000字になって、だんだん6,000字とかに増えていって(笑)」
佐橋「今日もそうなんですけど、しゃべりながら……」
佐橋&能地「思い出しちゃう!」
能地「会ってしゃべるのって大事ですよね。ミュージシャンもライターも会わないまま仕事することは多いですが、やっぱり音楽も人肌の温もりが宿ったものは違う。いいですよね」

隙あらば仕事が入る多忙な音楽家
佐橋「SNSの時代になって一個思ったことがあるんですけど、この本に出てくる先輩たちに共通項があって。それは、絵文字が多いこと(笑)」
能地「おじさんメールね(笑)」
佐橋「あれ、なんで? 今度はその辺を研究してみようかなと。……トークはこれぐらいにしないとね。で、次はいつやります(笑)?」
会場「(拍手)」
能地「(笑)。この本はピーター・ゴールウェイさんとのアルバム(『EN』)が最後の章になっていて、佐橋さんのこれまでのまとめでもあるけど始まりでもあるんですよね」
佐橋「2025年になってからもめちゃめちゃ仕事してますから」
能地「このCDの続編も出したいですよね」
佐橋「続編もだけど、アナログを出したいよね」
能地「なので、みなさんも見逃さないよう聴き逃さないように、今後も佐橋さんの仕事を追いかけていただければと思います。頼れるやつなので、隙あらばどんどん新しい仕事が入っちゃいますから」
佐橋「僕は、最近はしゃべるほうの仕事を優先してますので(笑)!」
能地「このあとは何がありますか?」
佐橋「来週は小坂忠さんの3回忌のイベントがビルボードライブ東京であります(7月15日に開催された〈小坂忠 Memorial “LIVE and FILM”〉)。あとは、T字路sのプロデュースですね。この前、先行シングル(『美しき人/マイ・ウェイ』)が出ました。ほかにもいろいろやっています。……ところで今日、これ(ギター)必要だった?」
能地「しゃべりすぎて弾くの忘れてた?」
会場「(笑)」
BOOK INFORMATION

発売日:2025年5月20日(火)
定価:2,750円(税込)
CONTENTS
・ライブ・グラフ/愛用ギター・コレクション
・佐橋佳幸物語
・佐橋佳幸の「40曲」
・対談 1 佐野元春 × 佐橋佳幸
・対談 2 ピーター・ゴールウェイ × 佐橋佳幸
・活動年表
PROFILE: 佐橋佳幸
1961年生まれ、東京都出身。全米トップ40に夢中だった中学時代、シンガーソングライターに憧れ、初めてギターを手にする。1983年、当時先鋭的な存在であったバンドUGUISSのメンバーとしてエピック・ソニーからデビュー。解散後はセッションギタリストとして、数えきれないほどのレコーディングセッションおよびコンサートツアーに参加。80年代後半からは作編曲・プロデュースワークと活動の幅を広げ、1994年に手がけた藤井フミヤの“TRUE LOVE”はミリオンセラーとなりそのクリエイティビティーが高く評価される。同年にはイーストウエスト・ジャパンからソロアルバムを発表、多種多様な音楽活動を展開している。山下達郎、竹内まりや、佐野元春、小田和正など日本の音楽シーンを牽引しているアーティストからの信望が厚く、様々な創作活動の局面で数多く起用されている。また小倉博和とのギターデュオ山弦として3枚のオリジナルアルバムを発表、個性的な活動も注目されている。
PROFILE: 能地祐子
1964年、東京生まれ。音楽評論家。洋楽からJ-POP、歌謡曲まで多岐にわたるジャンルの評論、紹介記事を「ミュージック・マガジン」や朝日新聞等で執筆。旧譜再発の企画・解説、ラジオ・TVなどの構成も手がける。2015年には佐橋佳幸の音楽生活32年分の仕事をコンパイルした『佐橋佳幸の仕事(1983-2015)〜Time Passes On〜』(CD 3枚組)を企画・プロデュースした。




